仏教余話

その181
もっとも、サーンキヤの影響を受けたのは、漱石や賢治ばかりではない。その辺りのことは、やはり今西博士が、森鴎外の『審美綱領』という訳本から、以下のような文章を提示している。
 「僧佉論師の執計に較似ありと雖も、談理多くは相宗大乗の玄旨に同帰す」(インドのサーンキヤ学派の思考法によく似ているが、内容のほとんどは、仏教の法相宗の奥義に帰す)(「森鴎外とサーンキヤ哲学」『比較思想研究』20,1993,p.67,( )内の訳は私)
これは、共訳者大村西崖の序文にある言葉である。サーンキヤと仏教の親縁関係が伺える記述であろう。『審美綱領』はハルトマン(E.Hartmann,1842-1906)という哲学者の『無意識の哲学』を訳したものらしい。
さて、宮元博士の含蓄に富んだ言葉を胸に刻み、以下では、サーンキャと仏教との因縁浅からぬ関わりを見ていきたい。中村博士は、この辺りのことを簡単に、こう述べている。
 仏教の起源をサーンキヤ哲学のうちに求めようとした学者が西洋には多数いたが、日本のほとんどすべての学者はこの見解に反対して、文献について立証されていないものだと批判している。(中村元『中村元選集[決定版]第24巻ヨーガとサーンキヤの思想 インド六派哲学I』1996,p.535)
中村博士は、これ以上、詳しいことを述べていない。それにしても、極めて、興味深い話題である。

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