性相学

その5
色々、性相学=唯識と文芸の関わり合いを瞥見してきた。遠い昔の話だと思うと、これがそうでもない。ネットで「三島由紀夫と唯識」で検索すると、面白いサイトがある。「ふぉ とんバックナンバー」とある。「ふぉとん」という文芸雑誌のようで、恐らく最終号であろう15号の「編集後記」には、次のような興味深い話が載っていた。
 先日、知人と文学上の話をしていて、たまたま三島由紀夫に話が及んだ。「豊饒の海」の中心主題「唯識」についてである。三島自身、「唯識」について、或は「阿頼耶識」について何度か書き、自殺前、武田泰淳との対談で、切迫した口調の言及もしている。「唯識」
は、恐ろしい思想=思考法だ。それはひょっとすると文学的思考、営為の「最大限綱領」として、あるかもしれない。その時、わたしと友人は、それぞれの切迫を以って、一致したのだった。そしてわたしは、もしかすると、自分は結局、ただ「唯識」ということをのみをめぐって、生き、書いてきたのかもしれない、という思いに、その友人との会話以後も、何度も囚われた。「唯識」の恐ろしさとは何か。細かい議論を措いて、一言で言うならば、それは、たとえば、あらゆる妄想は真理である。-或はあらゆる妄想以外に、真理はない、とでも言えようか。インドの詩人、タゴールと、物理学者、アインシュタインは、夜空に浮かぶ月をめぐって、「存在論」を交わしている。「わたし」が見ている時のみに「月」はあり、「わたし」が見ていない時、「月」は存在しないのかどうか、という議論である。見ていない時に「月」が存在しない(それは量子力学の、一つの主張である)とするならば、すべては、宇宙=神の秩序は崩壊してしまうではないかーとアインシュタインは悲痛に言い、タゴールはただ「月」は、あると思えばあり、ないと思えばないのだ、と返すのだが、それはまた、「真理」と「妄想」をめぐっての、永遠の問いの応答であっただろう。問いは、ついには必ず人を、「思議」の外に、「不可思議」の領域に踏み出させずにはおかない。「不可思議」という「神秘」の領域に。「豊饒の海」を書く、三島の切迫し、切羽詰まったモチーフは、結局、彼が「生まれかわり」という神秘の中に、何とか、一つの答えを発見したかった、ということなのかもしれない。彼もまた、「不可思議」(「思議」の全く及ばない)の領域に踏み込む以外には、なかったのだ。文学的思考の「最大綱領」として。(三島由紀夫と唯識でネット検索、「ふぉとんバックナンバー」というサイトwww.toukasha.com/photon/pho_15.html
から一部引用、最終閲覧日)2023/01/11)
三島の著書『豊饒の海』第三巻「暁(あかつき)の寺」第十八章には、唯識に関する記述が掲載されている。その1部を引用して、三島自身による唯識の解説を聞いいてみよう。
・  ・・かってあれほど若い自分を悩ました唯識論あの壮大な大伽藍(だいがらん)のような大乗仏教の体系へと、本多は今や、バンコックの残した美しい愛らしい一縷(いちる)の謎をたよりに、却(かえ)ってらくらくと帰っていけるような心地がした。さるにても唯識は、一旦(いったん)「我(が)」と「魂」を否定した仏教が、輪廻(りんね)転生(てんしょう)の「主体」をめぐる理論的困難を、もっとも周到(しゅうとう)精密(せいみつ)な理論で切り抜けた、めくるべくばかりに高い知的宗教的建築物であった。その複雑無類の哲学的達成は、あたかもあのバンコックの暁の寺のように、夜明けの涼風(りょうふう)と微光(びこう)に充ちた幽玄(ゆうげん)な時間を以(も)って、淡(たん)青(せい)の朝空の大空間を貫いていた。輪廻と無我(むが)との矛盾、何世紀も解きえなかった矛盾を、つひに解いたものこそ唯識だった。何が生死に輪廻し、あるいは浄土(じょうど)に往生(おうじょう)するのか?一体何が?…そもそも「唯識」という語を始めて用いたのは、インドの無(む)着(じゃく)(アサンガ)であった。無着の生涯は、その名が六世紀初頭に金剛仙論(こんごうせんろん)を通じて支那(しな)へ伝えられたときから、すでに半ば伝説に包まれていた。唯識説はもと、大乗阿毗(アビ)達磨(ダルマ)経に発し、のちに述べるように、アビダルマ経の一つの偈(げ)は唯識説のもっとも重要な核をなすものであるが、無着はこれらをその主著「摂(しょう)大乗論」で体系化したのである。因(ちな)みにアビダルマは、経(きょう)・律(りつ)・論(ろん)の三蔵(さんぞう)のうち、「論」を意味する梵語(ぼんご)であるから、大乗アビダルマ経とは、大乗論経といふに等しい。われわれはふつう、六感といふ精神作用を以って暮らしている。すなわち、眼(げん)、耳(に)、鼻(び)、舌(ぜつ)、身(しん)、意(い)の六識である。唯識論はその先に第七識末那(マナ)識(しき)というものを立てるが、これは自我、個人的自我の意識のすべてを含むと考えてよかろう。しかるに唯識はここにとどまらない。その先、その奥に阿羅耶(アーラヤ)識(しき)という究極の識を設想するのである。それは漢訳に「蔵(ぞう)」といふごとく、存在世界のあらゆる種子(しゅうじ)を包蔵(ほうぞう)する識である。生は活動している。阿頼耶識が動いている。この識は総報(そうほう)の果(か)体(たい)であり、一切の活動の結果である種子を蔵(おさ)めているから、われわれが生きているといふことは、畢竟(ひっきょう)、阿頼耶識が活動していることに他ならぬのであった。その識は瀧(たき)のように絶えることなく白い飛沫(ひまつ)を散らして流れている。常に瀧(たき)は目前に見えるが、一瞬一瞬の水は同じではない。水はたえず相続(そうぞく)転起(てんき)して、流動し、繁(しぶ)水(き)を上げているのである。無着の説をさらに大成して「唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)」をあらわした世親の、あの、「恒(つね)に転ずること暴流(ぼる)のごとし」といふ一句は、二十歳の本多が清(きよ)顕(あき)のために月(げつ)修寺(しゅうじ)を訪れたとき、
老門跡(ろうもんぜき)から伺(うかが)って、そのときは心もそぞろながら、耳に留(とど)めておいた一句であった。(新潮文庫、昭和52年、pp.132-133標記・ルビは元々本文にあったものを載せ、さらに必要に応じて私が付した)
気になるのは、なぜ「暁の寺」と題されているか、である。単なる推測に過ないが、『続古今集(しょくこきんしゅう)』に次のような和歌がある。
 未得真覚恒処夢中、故仏説為生死長夜の心を(私訳、未だ真の目覚めを得ず、つねに夢中にあるところなり。故に、生死(しょうじ)長夜(ちょうや)〔長い夜のような生存期間〕と仏説にあり。  法印長恵
 長き夜の夢のうちにも待ちわびぬさむる習(なら)ひの暁のそら(八一四)(私訳、長い夢を見ている間も、夜が明けるのを待つように。夢のような人生においても、夜明けに似た悟りを待っている)
ここに暁とある。三島であれば、この和歌は知っていたであろう。ただ問題もある。三島は唯識を代表する書として、無着の『摂大乗論』と世親の『唯識三十頌』を挙げている。それ自体は決して誤りであるとは言えない。しかし、唯識の根本典籍は、この2書以外にある。また開祖についても問題は残る。長年、唯識研究に携わってきた勝呂信靜(すぐろしんじょう)博士は、端的にこう述べている。
 唯識学派における最古の文献は、おそらくつぎの二書であろうと思われる。
 『瑜伽師地論(ゆがしじろん)』(Yogacarabhumi,略称、瑜伽論)
 『解(げ)深(じん)密(みつ)経(きょう)』(Samdhinirmocana-sutra)
唯識学派の開祖は弥勒菩薩(マイトレーヤ、Maitreya)であるといわれ、かれの教説(あるいは著作)に帰せられる数種の論が現存しているが、その中でもっとも早く成立したと推定されるものが『瑜伽師地論』である。瑜伽師地とは、ヨーガ行者(瑜伽師)の実践階梯(地)という意味である。(勝呂信靜「唯識説の体系の成立―とくに『摂大乗論』を中心としてー」『講座・大乗仏教8 唯識思想』昭和57年p.78、ルビ私)

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