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曽祖父保次郎、カリフォルニアに移住する(明治39年)

1906年(明治39年)にハワイからアメリカ本土へ渡った保次郎は、カリフォルニア州のStocktonという町に住みました。

この頃どういう暮らしをしていたのかは不明ですが、1920年代に農場の賃貸契約をしたときの書類があるので、おそらく渡航後ずっと農業で生計を立てていたのだと思います。

カリフォルニアに移住してからも実家へ送金していたようで、1906年〜1909年までの日付がスタンプされている「RECEIPT for INTERNATIONAL MONEY ORDER」という領収書の束が残っていました。上のほうに「REMITTER SHOUD KEEP THIS RECEIPT」と記載されていますが、まさか100年以上、ひ孫の代までKEEPされるとは保次郎も思っていなかったかもしれません。

で、この領収書に「Amount in U.S.Money」という欄があり、ここに送金額が書かれています。1907年(明治40年)1月16日は2ドル、1月31日は12ドル、2月25日は5ドル、6月24日は5ドル、7月20日は22ドル、1908年(明治41年)10月24日は6ドル50セント、同年11月12日は6ドル50セント、 1909年(明治42年)2月は16ドル50セント、といった感じです。

このうち何ドルは次兄の分、と裏にメモされた領収書もありました。

ハワイ時代は(日本人労働者の)一般的な賃金と同じく10〜12ドルもらっていたとしたら、10ドル以上送金するのは大変なことかと思うので、やはりアメリカ本土に来て収入が良くなったのでしょうか。

☆☆☆

ところで、1910年(明治43年)9月撮影と思われる鉄道橋の写真も残っていました。

裏には手書きで「スタクトン市より拾*****河川に架る鉄道橋」「今船通過する際*橋を回転して*****日本には稀あるもの****」と書かれています。(**は何と書いてあるのか読めない部分)

写っている人々はアジア系ではないように見えますので、自分たちとは無関係の風景写真として入手したのでしょうか……。回転式の橋は「日本では珍しい」旨が書かれていますので、そういうものがあると聞いていたとしても、実際に見た保次郎たちの驚きや感動を想像すると面白いです。

☆☆☆

さてアメリカ本土渡航から6年後の1912年(明治45年)に、保次郎は23歳のよき(曽祖母)と結婚します。この年、保次郎は一時帰国しているので、日本で結婚して妻を連れて再渡米したようです。詳しくはまた次回に。

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