『砂の街』(BFC3 幻の2回戦作)

 調査本隊とはぐれて一週間、砂の海をさまよい続けた私は、発狂する一歩手間まで渇ききった状態で、この街にたどり着いた。乾燥し過ぎてきしむ喉から、水を飲ませて、と声にならない声を絞り出すと、そばにいた娘がすぐさま日陰の砂を掘り始め、穴の底に染み出し溜まった水をコップにすくってくれた。砂混じりの水は透きとおり、感覚のなくなった舌で舐めると、性的絶頂を錯覚するほど甘く刺激的だった。この辺りは大気汚染がひどくて雨水は飲料には適さず、この砂丘の砂にろ過された水が一番清潔なんです、と娘がどこか誇らしげに語るのを聞きながら、私は気を失った。
 体調が回復するまで私は、娘(名はカーラといった)の家に泊まらせてもらうことになった。二週間経ったが、未だにこの街の文化に馴染めずにいる。おそらく砂嵐のせいで、長い間、外の世界と断絶されていたために、砂中心の独自の文化が築かれたのだろう。
 例えば戸外での挨拶は、乾燥を防ぐため口を開かないで済むように一つの身振りだけで全て完結する。胸の高さに手のひらを上げ、二度三度拳を握ったり開いたりする。これで「こんにちは」「こんばんは」「さようなら」「ありがとう」なんでも対応できるのだ。よそ者の女は珍しいらしく、街を歩くとそこら中で挨拶を投げかけられたが、これ一つだけ憶えておけばよかったので助かった。
 他にもいろいろあるのだが、今朝、偶然居合わせた出産風景はずばぬけて独特だった。出産直後の赤子に、周囲の大人が全員、砂をこすりつけ始めたのだ。カーラに聞くと、子どもが生まれると必ず行うおまじないらしいが、こすりつける砂の量も尋常じゃない。新生児の周りに砂の山ができ、最終的には顔だけ出して砂に覆われてしまうほどだった。しかし、まるで母親に抱かれているような寝顔で、赤ん坊は気持ちよさそうに寝ていた。仄かな温かさが羊水を思い出させるのだろうか。とはいえ感染など心配だったが、カーラに言わせれば、太陽に晒された砂ほど清潔なものはない、これまでに事故など一度もない、とのことだった。
 夜になり、街の全員が中央広場に集まってパーティーが始まった。私が迷い込んだ夜にも同じように街全体でパーティーが開かれたそうだが、どうやら街に新しいメンバーが加わったときには、このように住民全員が集合し、お祝いするらしい。前回は意識がなく寝込んでいたために参加できなかったが、今回は喜んで参加させてもらうことにした。
 酒や食べ物が供され、そこらで唄や踊りが始まった。砂に囲まれ普段は慎ましやかに暮らしている分、こういう時には思う存分楽しむのだろう。宴の盛り上がりが最高潮になったとき、男も女も、大人も子どもも、住民全員が肩を組んで大きな一つの輪になった。私もカーラと肩を組み、輪の中に入らせてもらう。赤ん坊の父親が、へその緒を自分の前に置き、朝自分の子どもにやったように砂を盛って、小さな山をつくった。父親が輪に加わると、皆の口から静かな歌がこぼれ響き、輪は右回りにゆっくりと動き始めた。さっきまでの馬鹿騒ぎが嘘のように、みんな穏やかな顔で小さな砂の山に語りかけるように歌い、その前を通り過ぎる際には慈しみに満ちた視線で見つめた。これもきっと子どもの成長を願う、おまじないのようなものなんだろう。
 皆が歌っている唄を真似しながらゆったりと歩いていると、しばらくして唄は何の前触れもなく終わり、皆の足も止まった。輪は半周ほど回って、へその緒の埋まった小さな砂山がカーラの前に来ていた。皆がカーラに向かって拍手したので、カーラに何かよいことが当たったのだと思い、私も負けじと手をたたいた。カーラは誇らしげに右手をあげると、私に向かって拳を開いて閉じた。
 次の瞬間、カーラの輪郭が足元からあいまいになった。全身、目の粗い織物のように向こう側が透けたかと思うと、カーラは音を立てて流れる砂となり、重力に従い地面に降り注いだ。赤ん坊のへその緒が埋められている山と向かい合うように、一回り大きな砂の山ができた。カーラの向こう隣にいた男が私との距離を詰め、にこやかに肩を組んでくる。欠けた輪は再び繋がると、また唄が始まり、ルーレットのように周りだす。
 そういえば、今朝産まれていたのは双子だった。

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