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『ざくろの色』の美と笑い

言わずと知れた詩的映像の傑作。アルメニア出身のセルゲイ・パラジャーノフ監督が1969年に公開された映画である。よく酒場で好きな映画は何かという意図の読みづらい質問に対して、意地悪く真っ先に本作の名前を挙げるのだが、たいていぼんやりとした解答しか返ってこない。仮に見たことのある御仁に出会ったとしても、映画と認められないパターンもある。確かに本作は話の筋はほぼ皆無で、幻惑するようなイメージ(それらの多くはアルメニア土着の宗教や風俗を示すモチーフや動植物)の連なりからなる映像詩であるため、一般に言う映画とかけ離れている。

図1 冒頭からザクロの実を潰し血潮を連想させるナイフ

図2 主人公の詩人の幼少期、書物への愛を共に天日干しになることで示す

図3 女神がザクロの果汁を浴びせ、詩人の死を暗示させる

多くのシネフィル達が本作についての意味や美について論じているので、自分はこの映画でこれは監督やっちまったんじゃないのかい、というような突っ込みどころを紹介していきたい。

動物出しすぎ問題

映像の至る所で動物を出してくるのだが、問題はその数。大司教の死後に墓を掘るシーンでは無数の羊を登場させて惑う人々を彷彿させるのだが……

あまりにも多すぎて詩人が身動きできなくなってしまう。

でも階段に並ぶ羊は可愛い。

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動物暴れすぎ問題**

また、詩人がついに死を迎えるというクライマックスのシーン。穏やかな死が詩人に訪れるという演出なのだろう、荘厳な音楽をバックに無数のろうそくに囲まれ鶏が空から舞い降りてくるのだが……

あまりにも鶏が暴れすぎて死んでるはずの詩人の顔に直撃。思わず避けるべく首を数回動かす俳優。しかも火が危ない。

でも、女神といると謎の貫禄を見せる鶏


おじさん目力強すぎ問題

勝手にざくろの色二大巨頭おじさんと評してるんですが、全く何の脈絡もなくこの御仁らフレームインしてくる。初めて本作を観終わった際にでなぜか彼らの顔が脳裏にこびりついてしまったのは目力のせいか、クジャクのせいか。
ちなみに一人目の彼は詩人の老年時代に過去を回想するシーンにもしっかり現れるという周到さ。

などなど、美しさだけでなく笑いも散りばめている本作。この少し余白が一層作品の光を強めているのかもしれないが、何度見てもニヤニヤしてしまう。そんな愛すべき本作が私にとっての最高の一本だと言える。
#映画 #ざくろの色 #カルト映画

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