日記 2023.4.19

この日は休み。本当に休んでしまうと個人事業主としての仕事が滞るので動かないといけないのだが、いまはまだ2023年度の案件の動き出し前ということもあり、どちらかというとインプットをすべき時期。だから読みたい本を積んでいるのだけど、なんとなく一日中眠くてはかどらなかった。自分の思っている以上に勤務で疲れがたまっているみたいだ。疲れがたまると休みの日の体力が大きく変わってしまう。できるだけ疲れないようにしながら働かないと、ちょっとまずい。

昼は父から連絡があって、中華を食べに行く。

ずっと読んでは戻りを繰り返している『現代美術史』を、一気に読み進めることにした。リレーショナルアート、SEAなど重要な概念の交通整理がされていて、いま進めている勉強会のためにもさらっと読むのではなく図式化したいと考えていた。それをやる時間がなかなか取れないことが、読み進められないことにもつながっていた。
三度目くらいだけど最初から読み、miroの年表上に整理をしていく。

読書自体にも波があるが、本を緻密に読むか、ざっくり目を通すかというのも時期によってけっこう移ろう。多分、関心ややるべきことが広範囲に拡散しているときは緻密に読もうとして、つくっている作品やプロジェクトがあるときはそこに引き寄せて読むのであまり全体像を全部把握しようと思わないのだと思う。前者は前者で悪くないのだけど、どうしてもコスパが悪い。緻密に読んだって1年すれば忘れてしまうから。
なんとなくそのもったいなさを感じて、「わたしは今なぜこれを読んでいるのか? なんのために整理をしているのか?」をmiroに書き出した。それを見えるところに書いておくことで、枝葉に入り込んで時間をロスすることをふせぐ。何事も目的意識が大事だ。目的を考えると自然と、中長期的ななかでの位置づけや、長い目で見たときにどうしたいか・どうなりたいかというところにも目線が向く。
務めながらのクリエーションや専門性を高める作業では、このあたりを見えるところに言語化する癖をつけていったほうがよさそうだ。
以前は部屋のなかに模造紙やふせんをたくさん貼っていたが、見栄えが悪いのでそれはしないことにする。当面はmiroと、この日記かな。

ブレスト的に、miroに広げているキーワードを書き出してみる。
・脱劇場の演劇史(それを見ていくための視座の獲得)
・アートプロジェクトの歴史、理論、評価
・生活綴方やサークル村運動(生活記述という運動について)
・社会教育、生涯教育の基礎(どういう態度でこの言葉と関われるのか)
・参加と学習をめぐる議論(フレイレの読み直し)
・公共空間の計画と開発の実際(ウォーカブル、プレイスメイキングなど特に仮設性やアクティビティ)
・都市公園のデザインと運用(舞台芸術的視点の介入可能性)
・都市公園と舞台芸術の関係史

広範にわたっていることは重々承知なのだけど、これらの組み合わせの先にまだない仕事や作品があると思っているので仕方ない。その都度ポイントを絞って深めていくといいのだと思う。

「ジェネラリストだよね」と最近言われることがあった。ひとつのことを極めているというより、広い範囲のことをそこそこ器用にできる、と。いろいろなことに興味があってとりあえずやってみるから、結果的にそうなっているのかもしれない。
でも専門性をことばにすると、舞台芸術は前提として「地域連携」と「空間への介入」、そのプランニングがわたしの専門だ。視点はどちらも「空間」に置かれている。地図上で示せるような空間もあるし、誰かの主観や生活視点の空間もある。都市サイズの空間もあれば、空き家サイズもありえる。
舞台芸術という分野を経糸に、教育、まちづくり、都市政策、公園など様々な緯糸が結びついている。だからどうしても広範囲に渡っていく。
どうしたって大きな風呂敷を広げている。ひとりの人生では終わらないだろうというほどに。
しかもどの現場にいっても、このスタンスはアウェイだ。分野と分野の隙間を縫うようなあり方だから。隙間を縫うだけならまだしも、組む相手、例えば都市政策だと業界のあり方や流れが明確にある。まちづくりはある程度柔軟だけど、そうでない業界もある。だから現場をつくっていきやすい緯糸もあれば、難しい緯糸もある。だけど難しい相手と組むことができれば社会的インパクトはおそらく大きい。

まだどれも「こういうことできるんじゃない?」と仮説の段階で、それを理論的にも、具体的な事業提案としてもできるようにしていきたい。そのあたりが35歳までの仕事だ。
提案だけでなく、実行、そして知見化。つまり論文を書くということ。事業にもなっていて、アカデミックにも蓄積させて、やっと社会的な位置づけを得ていけるような感覚がある。だが隙間でつくることとアカデミックで書くことはなかなか違う作業なので、きっと倍の時間がかかると思いながらやるしかない。

大学院一年目にやったことにも通じるが、事例の洗い出しからやるべきなのかもしれない。シンパシーを感じる事例を。できれば海外も含めて。↑で書いてきたことは敷いて言えば演繹で、事例から行くことは帰納のはず。

夜は麻婆豆腐と味噌汁を作って、スーパーで少し買い出しをした。チルアウトを数本買い、見切り品の大根とチャミスルを買った。チャミスルを少しだけ飲んで、1時くらいに寝た。結局勤務のない日は夜ふかしをしてしまっている。

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