日記 2024.5.23

仕事は休みだが、以前仕事で担当した社会人の山登り講座のOB向け同窓会があり、朝から神奈川県の秦野市へ向かった。同窓会とはつまりこの日も山登りで、秦野駅の北東に広がる弘法山に登る予定になっていた。
秦野は後輩が住んでいるまちで、以前1回か2回来たことがある。駅前をきれいな水が流れていた。大山と丹沢山の麓だ。

10人ちょっとのパーティーで粛々と山に入っていく。低山だけど、ゴリゴリと坂を登ったりゆるいアップダウンが続いたり、それなりに疲れる。前に兵庫で痛い目を見たヤマビルが出るという看板もあって警戒していたのもある。曇りだったが幸い富士山がよく見えた。

15時頃には下山し、駅の近くの喫茶店でお茶して解散。新宿駅には17時半頃に戻った。
池袋で髪の毛のムースを買ったり、地元薬局で消耗品を買ったり、ラーメンを食べたりして帰宅。20時から予定していたミーティングまで吊るしっぱなしにしていた衣類の衣替えや部屋の掃除、冬の布団をしまうなど。

20時から茨城の現場についてのミーティング。状況を整理して、何がわかっていて何がわからないのか、どこから手をつけていくのか、そういうようなことをチームのパートナーと相談する。
この日の相談内容の多くは5月25日に現場で行ったクリエーション作業のためのもので、書いている5月27日時点ではすでにそれも終わっている。ミーティングのときに浮かんだアイディアはそのままのかたちでは実現しなかった。頭のなかで思い描いていたことと関係者や現場のリアリティとの噛み合わせの問題で、違うかたちにスライドしていったというほうがたぶん正しい。この、想像の勘所がズレるというか、リアルを正視できていないかんじが自分の能力不足に感じられて落ち込む。俯瞰すべきときに周りが見えなくなり、のめり込めばいいときに引いてしまう、そうした傾向がある。自分の考えていることや見ていることと、実際の現場や身体の状態のズレが、最近いろいろな場面で露呈して困る。自分の認識と身体すら一致していない。さらに、その一致していなさを周囲から指摘されると(たいてい周囲からは見えている)落ち込むか不満を覚えるかする。「できない」と自覚していることができない分にはいいのだけど、そうするためには「あれもこれもできない」を認めるところからになり、それは必要な過程なのだけど歯止めをかけないと自己否定が止まらない。
知識を増やすよりも、意識と五感の一致とか、他人と呼吸を合わせるとか、同じものを見るとか、そういうことがいまの自分には必要な気がする。
どこから始めればいいのだろうか。

この日の時点では、アイディアが出た安心感があったのでパートナーと散歩をして、缶ビールを一本飲んだりした。

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