日記 2023.2.19

昨晩はラーメンを食べてなんだかとても面倒になってしまってシャワーを浴びなかったので、7時に起きて浴びる。朝シャワーは、洗顔やスキンケア(年末から化粧水や保湿液だけは毎日やるようにした)も一連の流れでできるのが気分的にはお得感がある。
パートナーが一昨日つくってくれたチャーハンの残りを食べて、8時前に出る。バイトだ。

夕方までぼちぼち働く。本来は17時までの勤務だったが、行きたいところがあったので夜のスタッフに少し早く来てもらい、15時に退勤。横浜・弘明寺に向かう。この一週間、なんだかやたら横浜方面に向かっている。一往復で1500円くらいの交通費が飛んでいく。

この日は弘明寺のシェアハウスで住民による演劇があるというので、それを観に行った。シェアハウスはごつっとした大きなビルの4階に、広く広がっていた。元々住宅ではなかったようなところを、居室や共用部につくりかえていったようなスペースだった。このシェアハウスは入居が一年間と決まっていて、その一年のあいだに相互の刺激を受けながらクリエイティブなことや挑戦したいことにチャレンジしていく、そんな趣旨の場所だった。この土日は総決算としてのフェス(?)が開催されていて、演劇はそのなかの出し物のひとつだった。先週弘明寺にきたことと直接つながっているわけではなく、こういうことがあるというのはpeatixの宣伝メールで知った。知り合いが入居したりしているわけでもない。

開演より少し早くついたのでフロアを物色する。とにかく情報量が多い。壁中にいろいろなことばが貼られているだけでなく、入居者が自身を表すような写真やものも、ところ狭しと置かれたり貼られたりしている。「見せる」ためにやっているというより、一年間の共同生活やそのなかで問われたわたしらしさのようなものを咀嚼したり、出てきた表現で空間を埋め尽くしているような。文脈を知らないひとからすればカオス。でも、ここは美術館でも劇場でもなく住宅で、そこに上がりこんでいるのはこちらなので、そのカオスは生活や流れている時間そのものなのだろうと思った。
高校のときの文化祭をほうふつとさせるような、主客があいまいな状態。漂うように、しばらく展示を見たり、場に漂ってみたりした。

ふと見覚えのある顔と思ったら、舞台芸術方面の知り合いが来られていた。演劇を観に来たのだという。場やひととの関わりではなく、演劇を観に来た立ち位置のひとがひとりでないことになんとなくほっとした。周りとなんとなく違うかんじをひしひし感じつつそのままでいることはときに体力を使う。ひとりでも味方がいるとずいぶん違うものだ。

がやがやのなか開演。このシェアハウスで住民が過ごしてきた一年を再構成するような演劇だった。個々の居室での過ごし方や、外での仕事の様子、声が重なって空間に充満していく。
多くを語る演劇ではなかったけど成立していたのは、それをやっている空間と、出演者たちが過ごした時間があるという事実だろう。「過ごす場所」が「見る(見られる)場所」になるとき、空間や身体は多くのことを語り始める。表現の強度に空間が助力をするのではなく、空間・身体(経験)の強度を表現が引き出すような関係。これを別の場所でやったり、別のひとが演じていたら全然違うことになると思う。よしあしではなく、「異なるもの・ひと」が主題とどう関わるかという問が生じてくる。でも、語られるものはこの空間で起きたことで、この空間への働きかけでもあっただろうし、空間からの働き方で生まれた日々でもあったはずだ。空間と身体のあいだには、すでにそういう関係がある。一年かけて蓄積されている。そのことを見ていくような演劇だった。

テクニカルには、演劇的なウソと本当っぽいことの合わせ方が上手だった。居室の場面を共用部で再現してみせるのはウソだ。でも、この「場」での出来事という一回り大きなくくりに意識がいったりするし、「演劇をしているな〜」とも思わされる。「いまここ」の話だけでは感受できないなにかに「演劇であること」は連れて行ってくれることがある。
バラバラのメンバーがそれぞれの居室でやはりそれぞれに過ごしている事を見た上での仕事場のシーンは、すでに「ここ」という共通項を見ているから、シェア◯◯がまちにまで広がっていくような感覚を覚えた。このメンバーがいる場所という大きなスケールというか。そう、スケールの伸び縮みが印象的だった。最後は等身大で終わらせるところとか。

これをアーティストの仕事として評価していくのは難しいと思う。質のよしあしではなく、向いている方向が「メンバーのこの一年」なので、特定の文脈でないと見にくいから。でも、こうして生活を見つめ直し誰かをシェアするために演劇が使われる事自体、やっぱりとてもいいなと思った。生活の道具としてつかうかんじ。普段暮らしている場所が劇場になるのもとてもいい。
いま、シェアハウスでの演劇企画に水面下で携わっている。こちらの作品は個別の文脈を超えて通用するものにしていけるといいなと思った。たぶん、できる。

18時に弘明寺を出て、1時間半かけて帰る。誘惑を振り切って帰宅し、いい加減なパッタイをつくる。パクチーとナンプラーを使えばそれっぽくなるだろうと思ったら、出来は60点くらいだった。
本当だったら書かないといけない原稿があるが、早く確定申告を終わらせないと別の困りごとが生じそうで、腰をあげて確定申告に取り組む。今回から青色にしようと思っているが、基礎的な理解がまだまだのため、作業というよりは勉強の時間だった。不明点とずーっと向き合っていたら1時になっていた。明日もバイトだ。

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