日記 2024.1.30

午前中は赤羽にある団地の博物館に行く予定だったけれど、一日のスケジュールを考えた時ちょっと無理が出てきていたので明後日木曜日に変更した。午前中は茨城の仕事の原稿を書いたり、todoを整理したり。
朝食は昨日の豆乳鍋の残りを食べた。さつまいもと生ハムを入れたらずいぶん違う味わいに変化していた。

家に荷物を置いたあと、三軒茶屋の生活工房へ。1/31から始まる「世田谷のまちとくらしのチカラ展」の内覧会にお邪魔する。世田谷で取り組んでいる仕事もちょこっと紹介してもらっていて、その関係でご案内をいただいた。
大学院で住民参加のまちづくりに関わってきたから世田谷のまちづくりはあちこちで目にしていて、見たこと聞いたことのある事例や発明の往時の現物がたくさん展示してあるというものだった。
大学院に入ったときほどいまは「住民参加」を無邪気に信じたり、称揚したりしていなくて、最近はまちと住民のあいだには距離があること、生活の維持のほうが大事だということ、国全体が貧しくなっていてまちに裂ける非営利のエネルギーが減っているんじゃないかということ、まちと関わるときはそんな前提に立つようにしているのだけど、でも日本中に飛び火していったまちづくりの活力はここから生まれたものも多いんだなと思うと感慨深かった。
どうにかしてまちを描こう、捉えよう、行動を起こそうという試行錯誤の半世紀だったのだろうか。3Fに大きく広がっている年表が見応えあった。

住民参加そのものをまるっと遠ざけるのではなく、自分なりにアップデートして行く必要があるように思えた。なんのための住民参加なのか、どんな住民なのか、どんな環境なのかを精査したうえで、人が集うこと・エネルギーを注ぐことに前向きな価値を設定できるといいのだろうか。
会場には恩師や研究室の先輩も来ていて、久しぶりにいろいろお話しした。がんばらないといけないな。

夕方会場を出たら、夜の予定まで時間がありドトールで仕事をしたり本を読んだりする。公共R不動産とOPEN Aが出している「テンポラリーアーキテクチャー」というものを一気に読んだ。小さなアクションであればあるほど、都市政策・アート・遊びといったジャンルに縦割りされる前の未文化な状態=より原始的な「なんかやってみたい」に近い気がして、そのことにシンパシーを感じた。最初から大きなビジョンを描けるのは専門家の役割だ。自分のようにジャンルをまたいだ専門性の場合は、プリミティブなところに一回戻すことで、複数のジャンルを越境する手段が見つかるかもしれない、ということを思った。

夜は阿佐ヶ谷で清水宏さんのスタンダップコメディを見る。2時間しゃべり通し、すごい。あんなにニコニコマークみたいに半円状の目になるひと初めて見た。特におじさんの話がよかった。
時間を埋めるために開演前は南阿佐ヶ谷の駅前のガストで夕食を食べた。けっこう混んでいて、ゆっくりさせてもらえない雰囲気だった。広い店内なのに女性ひとりで回していた。

22時過ぎに帰宅。読み終えた本の感想を入れたり、原稿の手直しをしたり。

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