日記 2024.2.5

沖縄二日目。夕方の飛行機で東京に帰るのだけど、雪の予報が出ていてはたして東京に帰れるのかとビュッフェ朝食を食べながら調べる。ビュッフェは、タコライスやハンバーガーがおいしかった。沖縄フードといえばタコライス、あとは各種の肉料理なんだな。

午前中は少し時間があったので本部まで北上し美ら海水族館へ。この頃にはけっこう雨風が強く折り畳み傘が壊れそうになった。水族館は平日にも関わらずそれなりの混雑で、これはハイシーズンは大変なことになるだろうと思った。やっぱりジンベエザメとマンタの水槽が一番見応えがあったけれど、小さな水槽もひとつひとつの説明が丁寧で、調査研究のプロがやっている施設なんだというかんじがした。
イルカショーなどは見ないでここでもビュッフェランチ。少し早めに入ったからよかったけど、30分も経つと外には行列ができていた。

12時半くらいに水族館を出て、那覇市内に戻ったのが14時過ぎ。この時点で出発が50分遅れることが決まっていた。なのでものすごくゆっくりとお土産を見たり、お茶を飲んだりした。
18時頃にやっとフライト。20時過ぎに羽田に帰る。途中、雪雲のなかを通過するときの揺れがかなり激しかった。アトラクション並みに上下に揺さぶられた。機長が「頑張ってみますが、安全第一なので何回か着陸をやり直すかもしれません」とアナウンスしたりもしていた。

21時近くの羽田は飲食店がどこもやっておらず、仕方ないのですぐに車に乗って帰る。20度から2度へ。首都高が次々通行止めになっていて、江東区のほうから大回りして大手町付近で降り、そこからは一般道で帰ってきた。海のほうはそんなに積もってなかったが、都心に出るにつれて雪は分厚くなっていた。
家に帰ると23時近く。寝る前に気合いを入れて家の前のゴミ集積所のところだけ雪かきをする。

大人になってから家族で旅行することは、実家の富山に用事があって帰るほかにはなかなかなく、しかも家族で沖縄に行くことは自発的にはなかっただろうから、従姉妹はいい機会をくれた。わずかな時間だったけれど沖縄を自分の目で見られたのもよかった。
父は「沖縄はもっとリゾート開発をやりきってまちなみも全部作り替えたほうがいい」と言っていて、自分は沖縄がこれまで辿ってきた歴史やいまも残ると聞く本州との経済的・文化的資本の差を思うと沖縄をリゾート一色にすることに同意できなかったが、それをうまく伝える言葉は持てていなかった。

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