日記 2024.5.9

朝から仕事。粛々と事業の対応をする。

夜はゆりかもめに乗って、Zepp DiverCityで新しい学校のリーダーズのファンクラブツアー。初めてのZepp。ファンクラブツアーということもありファン度の高いひとがたくさん集まっている印象だった。

ライブは、よかった。かっこよかった。
立ち止まって考えると「大丈夫か?」と不安を覚えるところもある。歌詞やふるまいのなかでの女性性の取り扱いに違和感を覚えるひとはいると思うし、それをどれほど戦略的あるいは自覚的にやっているのかはわからない。たとえばSUZUKAが上履きや靴下を客席に投げるパフォーマンス、ギタリストが投げるピックと同じように見ればロックだねという話になるけど、ブルセラ的な視点で見たらセクシャルな行為だと回収されてしまう危険性もある。これもまた女性にかけられている制約じゃないかと、パフォーマンスによって観客や世間に埋まっている認識が掘り起こされてるのだと見ることもできるのかもしれないけど、多分それを主題にしたいわけではなくて、「自分自身のからだや持ち物をどうするかは自分で決める」みたいに、性をめぐる問題以前のパッションでやっているのだと思う。新しい学校のリーダーズというプロジェクト自体が、自分のからだや青春を自分たちの手に取り戻す活動なんだとも思う。しかし、日本の文化的な枠組みは埋め込まれてしまっているので、摩擦は生じていると思う。自分自身も摩擦を感じ、「イケてる」と「どうよ?」が葛藤していたりもする。

ただ、そうした摩擦もライブの現場では押し流されていく。彼女たちの技術とエネルギーによって。パフォーマンスの熱量とPAシステム、ライブハウスという空間は「いまここ」で行われていることに強く同調を促す。それがいいのかどうかはわからないが、多くのひとにとってそれは魅力的なエンターテインメントとなっている。だが、すでに様式の決まったパフォーマンスから少し外れたところで、いくつかの綱渡りをしているから、スリリングにも感じてしまう。終盤にSUZUKAが客席を突っ切った。目の前のSUZUKAに向かって伸びる手、好意的に見たら「たくさんの手が支える場面」だけれど、怖さも感じた。その場にいたひとがどうではなく、その様子から日本社会の嫌なところが思い出されてしまう。それこそ彼女たちが塗り替えようとしている何かなのかもしれないが、闇の深さに比べると無邪気すぎて、ハラハラしてしまう。

ヨーロッパと北米ツアーも発表になっていた。以前は自称「青春日本代表」だったがいまは本当に国際的な活躍をしている。これからますます大きな意思でいろんな神輿に乗せられていくような気がする。少し嫌な予感もする。
ひとを熱中させる技術と同時に批評的なまなざしも取り込んで、自分たちのアンサーとして投げ返すような発展をしていってほしいなあと思いながら帰宅した。

家につくと、鍵がない。職場に忘れてきた。家に入れないので母に連絡し、鍵を借りにいってようやく帰宅。そのことでぐったりと疲れてしまった。明日は午前中、世田谷のミーティング。今週は日曜日のお昼までいろんなことがノンストップで続く。

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