日記 2023.2.23

12時に起きる。寝たのが7時なので仕方ない。
ありものでパスタをつくり、前夜に積み残した確定申告作業を進める。事業規模が小さいこともあって事業主借での経費処理がどうしても多くなる。2023年は、家事按分ふくめて諸々事業用の口座に再設定したほうがよさそうだ。

15時頃に提出終了。大変だったーーー。でも0から始めたことで青色申告のことがある程度わかってきた。これなら来年は今年ほど苦労しないはず。4月以降、どこで何をしているのかそもそも不明だけど。確定申告は間違いなくするはずだ。
青色を全く知らない人にかるーいレクチャーならできそう。Howtoサイトは全体的にかゆいところに手が届かず、それで苦労したので、そのあたりの微妙な体験を交えつつ一緒に悩むことはできると思う。時給1100円でどうですかね。

寝たけど、からだも頭もポワポワしている。メール対応などを済ませて17時くらいに家を出る。18時からのこまばアゴラでの「脱獄計画(仮)」を見に行く予定だった。

久しぶりの井の頭線乗り換えで、感覚的に歩いていたら渋谷で迷ってしまった。ここじゃなかったっけ?と思って向かったのは東急プラザで、いまさらグーグルマップで井の頭線と検索して向かう始末。単に通り過ぎていた。待ち合わせのひとを少し待たせてしまった。
「脱獄計画(仮)」は、誘ってもらわなければ多分観に来ていなかっただろうなという質感の舞台だった。形而上の思考実験を俳優の肉体でやっている、地獄のような作品だった。若くて頭のよさそうなひとが客席に多かった。
舞台に限らず、ひとに誘われると自分では選ばなかったり視界に入っていなかったものに出会えるので、そのことは幸福だ。人付き合い自体の喜びもそういうところがある。異なるものとの出会いを楽しめる人付き合いと、一方で同じ時間を共有すること自体が楽しい付き合いもある。大人になってから後者の友人を得ることは簡単じゃなくなった。相手が何を求めているか、何は気に触るかといったことを気にしてしまう。いい意味でも苦労の意味でも「異物感」がキーになっている。仲のいい知り合いや仲間、同志と呼べるひとはいる。でも友人をつくることにはどこか苦手意識がある。そこをひょいっとと飛び越えて友人になってくれる人から学びを得たい。昨日か一昨日の日記に書いた「こと」への焦りは、友人と過ごすことなくぽこっと空いてしまう時間を埋めるように、「成長」へと自身を駆り立てているところもあるかもしれない。やれ、できるだけやれ、もっとやれと。

オープンマインドとかリスペクトとか、感情を伝えるとか、そういうことがさ、得意じゃない。場に合わせていくことは不得意でないけど、それは自分をねぎらうようなベクトルではない。場への奉仕で、場から得られるものに身をやつすようなことだ。そうした「働き」が自分らしさのようにすら思い始めると、「やるべきこと」はあっても「やりたいこと」がわからなくなっていく。でも、心のどこかではそれはくすぶっているから、満たされないとき、わけも分からず不安や不満を持て余す。そう、そういうところがある。

終演後、同行者と話しながら電車に乗り、渋谷で別れる。飯でも食いましょうという話もしたが、確定申告のダメージが伝わっていたみたいでまたにすることになった。外で食べてくる気分ではあったため、池袋で降りて中華を食べた。
帰宅し、昨日読みきれなかった学術書を読み進める。うとうとしながら、硬い翻訳を目で追いかける。徐々に面白い内容になってきたのでなんとか読み終り、感想を記録した。

眠すぎたため、シャワーを浴びずに眠る。

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