日記 2024.1.28

朝から仕事。朝マックを食べたくて、出勤前に買ってから行った。
イベント対応で、身体的にもクタクタになる一日だった。

夜はパートナーの家へ。ちょっと開放的な気分になりたくて中華屋さんでビールを飲んだ。450円で青島ビールが飲める良心的なお店だった。

ここ数日、松本人志のことと、公共空間活用のことを考えていて文章にしたいと思っていたのだけど、松本人志はまだ言葉がまとまらないので後者を書く。

そうそう、先日まで公共R不動産の本を読んでいた。公共R不動産は全国の公共不動産ストック、廃校とか旧市役所とか活用できていない空き地とかの利活用や民間とのマッチングに取り組む、メディアであり、コンサル的でもあるプロジェクトで、読んでいくとあそこも公共R不動産が関わっていたんだと思う場所があったり、メディアとして国内外の事例を知ることができたりする。
昭和の建設ラッシュで建てられた箱モノ、行政のいまの財政事情、地域の再生などを考えると持て余している公共空間をこれまでと異なる発想で活用・再生していくことは有意義だ。経済が生まれるし、人材育成・人口増加にもつながる。コミュニティ醸成でもある。

一方で、何かモヤモヤした気持ちもある。活用事例はもれなくオシャレで、元々そこにあったものにはない新しい価値が付与されている。デザインはとっても大事だし、お金が落ちることもとっても大事だけど、やっぱり突き詰めれば事業性の有無というところがあると思う。民間にとってはそこでお金が回ることが大事だし、利用者もお金を落とす行動を伴うこと多い。
それも全然よい。よいのだけど、演劇人として公共空間へ関心を寄せるとき、それだけではない場所を考えてしまう。なんのお金も生まないけれど変なものとか、個人の執念で生まれるものとか。見たことのない場所かどうか、とか。クラフトビール、コーヒー、パン、どれも好きだけれど徐々に見慣れてきた。つまりそれらは標準装備、あるいは選択肢の時代に入ってきているのかもしれない。演劇人が公共空間に興味を寄せるなら、場所に新たな価値が付与されるだけでなく、誰も見たことのないものを見たいなあ、と思ったりしてしまう。これはいまの公共空間活用への批判ではなくて、自己批判・自己検証だ。

演劇人として関心を寄せる公共空間は、まちの機能というよりもやっぱり、作品なんだと思う。場という作品。作品で重視されることと、まちの課題解決や新しいスタンダードをつくっていくことは、次元が違うんだと思う。問題は、自分がどちらの立場で行くのかということだ。

「人間の社会活動」という意味ではまちづくりとアートプロジェクトを重ねることもできる。アクティビティーのほうはまだ、やわらかくつながりやすい気がする。
だけど、空間を取り扱うとなると手順や積み上げ方が違うような気がする。あいまいにしておくことがけっこう難しいんじゃないか。あいまいにしておく=作品性でいくことになるのかもしれない。人々と交渉していく過程でつかう言葉が変わる。課題解決と、作品とでは。

究極的にどちらに興味があるのかということは、演劇史同様にそれなりに解像度をあげていかないと判断ができない。だから引き続き考えていく。2024年はそういう年にして、成果を出しつつ、次の仕事につなげていきたいところ。

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