日記 2024.5.14

朝7時くらいに起きると、まだまだ頭が痛いし足元もよろける。ベッドに移動して10時頃まで眠る。

起きたらシャワーを浴びたりお昼をつくって食べたり。大根おろしのパスタをつくった。オイルを使わないし、茹でる以外には火もいらないのでこういうときのスピードメニューにちょうどいい。

午後は豊島区へ。友人と散歩とお茶。大塚で合流して、谷端川の上を歩いて巣鴨へ。山手線を越えて地蔵通り商店街を行き、染井霊園を抜けて駒込のカフェでお茶をした。予定していたお店は営業開始が16:30からで入れなかった。そこは、いつきても営業時間がかみあわず一度も入れたことがない。
地蔵通り商店街は4の日だからか、たくさん出店が出ていて人でごった返していた。一昨年リサーチで通っていたときには見たことのないにぎわいだったが、テレビで知られているのはむしろこちらだ。

夕方までいろいろな話をしたら、散歩の続き。染井銀座を抜けて再び巣鴨駅へ。お互いちょうど来ていた電車に飛び乗って解散した。

家につくと19時くらい。ソファで横になったら起きれなくなってしまった。最近、なにかきっかけがあったりよほど強い意志を持たないと生活へのモチベーションにギアが入らない。体力はそこそこだが、気力の底に穴が空いていて漏れ出ているようなかんじだ。自炊できる日もあるが、できない日も多い。自分の人生を自分の手でつかめていないかんじもする。

帰宅したパートナーと合流して定食を出しているタイプの居酒屋に行き晩御飯を食べる。塩で味付けされた角煮の定食を食べた。
帰宅すると22時近くだった。かねてからの懸案事項だったカウンセリングの検索を、パートナーにも手伝ってもらって進める。対面ではなくメールのやりとりをするカウンセリングのサービスに登録してみることにした。この一歩を踏み出せただけで、この日は自炊できてなくても、仕事のための”自己研鑽”を進められなくても、自分を褒めたい。カウンセラーともマッチングが完了したらメッセージのやりとりができるそうだ。ちょっとマッチングアプリのようでもある。

その登録をしながらコミュニケーションで感じている難しさについてパートナーと話をした。私はよく「聞いてないね」あるいは「見てないね」と言われることがある。目を合わせなきゃと思いながら聞くと、耳から入ってくることばにも見えてるものにもどこか集中できなくなる。また自分のあたまの中で浮かんだことに意識を取られて、聞けない・見てないことも頻繁にある。じっと見ればよく聞けるというのは疑わしい。簡単な内容や、相手に対する明確なメッセージならそうかもしれないけど、過去の体験を聞いたりするとき、果たして本当にそうだろうか。見ることに意識を持っていかれることへの不安と、「ジロジロ見る」になってしまうことへの不安から、目を合わせて聞くことが得意でない。でも目を合わせないことでいっそう自分の頭が考えることに持ってかれ、言葉が入ってこない状況も見に覚えがある。見るも聞くも簡単じゃない。

自分の身体を把握することと、適切に開くこと、それと相手への想像力なんだとは思う。どうしたらそれらをよりよくしていけるのだろう。特に、自分のなかで考えているモードから「だれかと」のモードに変えるときが難しい。無意識的に「わたしの都合」に頭が支配される。

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