Rebirth Of The Flesh――イエジー・スコリモフスキ『EO イーオー』

※初出/『週刊文春CINEMA!』(2023春号 03/08発売)

 鮮烈な印象をもたらすクライマックスの一瞬﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅――その劇的シチュエーションを成立させるためにあたかもすべての場面が用意され、作品ぜんたいが形づくられているふうに受けとめられる構成術。イエジー・スコリモフスキの作風には、主としてそういう特徴が認められる。代表作『早春』や前作『イレブン・ミニッツ』などが顕著な例だ。
 最新作も例外ではないが、そこに巧みなひと工夫が加えられていることに注目したい。
 赤い光の明滅する不穏な気配とともにはじまる『EO イーオー』のドラマは、動物虐待抗議デモに直面したサーカス団が、破産更生法の適用による行政処分として出演動物 ロ バ を没収されたことを機に展開してゆく。それにより、演技パートナーも兼ねる女性飼育者から強制的にひきはなされたロバのイーオーが(原典映画たる『バルタザールどこへ行く』以上に)あっちこっち転々とさせられる受難と遍歴が描かれることになるのだが、巧みなひと工夫というのは、クライマックスの一瞬﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅にあたる決定的場面を作品冒頭にすえた巧妙な演出を指している。
 (※以下では作品終盤の内容に言及するのでネタバレを避けたい読者は注意されたい。)
 最終的にどこかの畜産施設に紛れこんだイーオーが、行進する肉牛の群れを追って暗い屋内に足を踏みいれ、画面が暗転し不吉な音が響いたところで映画は終わる。
 しかし見方によっては、この結末にはつづきがあり冒頭場面こそがそれであるとする解釈を誘う、マジカルな仕かけが作中の数箇所に設けられていることを見のがしてはならない。曲芸的演出﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅とも言いうる、悲劇を反転させる円環構造の可能性に気づくや、今年で八五歳になる偉大な映画作家の飽くなき創作意欲にあらためて驚かされるだろう。
 偶然のかさなりも相まってあっちこっち転々とさせられるなか、行く先々で人びとがいがみあったり暴力が振るわれたりする殺伐たる状況にイーオーはめぐりあう。加えてイーオー自身も暴行を受け、瀕死の深手を負うほど痛めつけられる羽目にも陥る。この地獄めぐり的彷徨において、イーオーが唯一もとめているのはやさしいパートナーとの再会であると示唆するかのごとく、女性飼育者との触れあい場面が何度かフラッシュバック的に挿入される。動物愛を謳うエンディングのメッセージを踏まえれば、物言わぬロバが過酷な現実を切りぬけ、死線を越えて望みをかなえる世界観を成りたたせるべく祝福的円環構造が組みたてられたのではないかと思えてくる。バルタザールがイーオーとして復活したように、映画ではいかなることも起こせてしまうのだから。
 捕虜兵士の逃亡劇『エッセンシャル・キリング』のように、主役が言葉を発しない『EO イーオー』もサイレント映画として(すなわち画面の連鎖のみで)も充分に成立する作品に仕あがっている。的確で多彩なショットとカット構成が言葉を不要にしているわけだが、しかしそのことは音声の軽視を意味してはいない。それどころか、スコリモフスキはロバの鳴き声はじめさまざまな音を効果的に利用し各場面の意味あいを周到に際だたせている。そうした音響演出においても、ブレッソンのリメークに見事に成功しているのである。

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