柔軟で不屈 あまりに険しいその軌跡…青山真治さんを悼む

※初出/読売新聞朝刊(2022/4/5)

 青山真治は定住を好まなかった。音楽家、小説家、舞台演出家など多彩な顔を持つこのすぐれた批評家は、多数の著作を残し、なにより映画作家として傑出した作品群を世に送り、国際映画祭で数々の賞を受賞した。その領域横断性は作風にも顕著に見てとれる。
 長短篇問わず、フィルムとビデオを使いわけ、劇映画も記録映画も彼は撮った。『Helpless』『EUREKA ユリイカ』『サッド ヴァケイション』といった北九州三部作を異なるスタイルで仕あげるのみならず、犯罪劇、恋愛劇、SF等々、多岐にわたるジャンルを手がけた。
 一貫した物語上のテーマは記憶や継承だが、そこに郷愁などはない。ヌーヴェル・ヴァーグから四〇年弱が経った一九九五年に監督歴をスタートさせた青山真治は、だれよりも鋭敏な視線を歴史に向けた。再生媒体の普及により、古典へのオマージュや単なる参照表現に価値を見る時代は終わった。むしろ今とりくむべきは、巷にあふれすぎてしまった記憶の整理と再定義であり、それらを踏まえた上で新世界を発見する﹅ ﹅ ﹅ ﹅ことだ。
 そう言わんばかりに、古典研究の成果を画面上にみなぎらせつつも同時に記憶の抑圧性を物語り、継承が招く厄介な問題をドラマ化した。三部作では故人たるボスへの執着やバスジャック事件のトラウマや血縁者への怨恨が幽霊のごとく主人公らにとり憑き、人間関係を複雑に混乱させる。そこで前景化し強調されるのは、右往左往する人びとの動態だ。
 かような歴史と関係性という縦横の対立劇を経ることで、過去の超克はついに可能となり、まだ見ぬ地平に到達できると青山真治は考えていたのではないか。その対立劇をノイズ演奏﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅と見なせば、『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』の舞台に踏むこむことになる。そこは死のウイルスがはびこる終末世界だが、フィルムとビデオが衝突しつつ共生する映像空間でもあり、右往左往のすえ発症=継承が絶たれたのち、生気をもどす蘇生環境でもある。
 青山真治は古典研究に深く打ちこんだが、狭隘な原理主義には陥らなかった。更新を志向し、スタイルの固定を拒んだことにより、後進への作風継承をあらかじめ封じたとも言える。そこに彼の批評性と倫理観がある。残されたのは、なぞればいいだけのスタイルではなく、キャリアという長旅を通してこそ培われる柔軟で不屈のアティチュードだ。その軌跡を追う者はいずれ相つぐだろうが、あまりに険しい道のりにだれもが呆然となるにちがいない。

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