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咲太の一生 #冬ピリカ応募

後輩に「相変わらず馬鹿ウケっすね」と声を掛けられ、心の中で舌打ちした。

紅葉亭かえでてい 咲太さいたは今日も「ダメだった」と己を否定していたからだ。

いつもそんな感じなので、ウケているのにスカしたようになり、周囲には「イケ好かねえ野郎だ」と誤解される事が多い。

しかし咲太は心底「ダメだ」と思っているからどんなにウケようが喜べなかった。

小手先で笑いをとる落語じゃだめだ。かと言ってギャグの元ネタを知らない客層になってきていると分かっていて習ったまま演るのもそれはまた違うと思っていた。

「どうにかして今の落語を変えないと」

焦りが常にあった。

「今の落語を変える」とは己だけの問題ではなかった。

咲太は、古典芸能として受け継がれてきた落語そのものを変えてやりたいとの思いを内に秘めていた。

落語は演技ではない。あくまでも「話す」事で成立させる芸だ。そこは揺らいではいけない。言葉のセンス、所作、間も大事だ。

フラに関して咲太は芸を磨き続けた者には自然と備わるものだと思っていたから「落語の未来」とは切り離して考えていた。

咲太の目指す「落語の未来」とは、その時代の本流にあって大衆に広く認知され続けるものだった。

また、着物や座布団がない等、落語の新しい形を提案した先人に刺激を受けてはいたが、何かが違う気もしていた。

咲太は新しい工夫が思いつくとすぐに試してみて客の反応を見て悪ければまた振り出しに戻る。そんな事を繰り返す日々だった。

ツテを頼って人気アーティストのライブの前座をやらせて貰い、何万人という観衆の前で落語を演ったり、山奥にこもって大自然の中で草木や虫、動物を相手に落語を演ったりした。

やっとの思いで完成させた手法を試すと大いにウケた。

そんな時、咲太は目の前が一気に明るくなるのだが、それも一時的なものだった。

しばらくすると完成したと信じたものさえ気に入らなくなり、積み上げたものを崩し、白紙に戻しては塞ぎ込み、闇の中へと堕ちていった。

完成したと思ったら壊す。そうやって年月だけが過ぎていった。

いつ頃からか咲太の容姿は実際よりも老けて見え、言動も含めて性別の境界が曖昧になっていった。

伴侶も得ず弟子もとらず憑かれたように芸の工夫に苦心した。

孤高の咲太の苦悩の火に油を注いだのは、内外からの評価が高かった事だ。

傘寿を迎えた年に紫綬褒章が授与される事が決まるとこれを丁重に断った。

約七十年間、人生の全てを芸に捧げたが、ついぞ「新しい落語」の手掛かりさえも掴めぬまま無念の最期を遂げた。

それが紅葉亭咲太の一生だった。

あれから時代は流れ、楽屋では後輩達によって咲太の逸話が今も語り継がれているし、人々はいつでも動画や音源で咲太の落語を聴ける環境にあり、咲太に纏わる出版物が今なお刊行され続けている。

咲太の生きた証は小さな灯りとなって次の時代を歩く者の足元を照らしている。

(1182字)


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新年あけましておめでとごじゃいます!

なんとか滑り込めました!


まだまだnote徘徊出来ない状況です!

落ち着いたらまた皆さんの所に遊びに行きます!

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