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【ピリカ文庫】海【ショートショート】

 ノボルは妹からの電話を思い出していた。

「最近お母さんの物忘れが凄いの。お兄ちゃん全然顔見せないねって泣くんだよ」

「一昨日そっちに行ったばかりなのに?」

「そう。だからお兄ちゃん一昨日来たんだよって教えると、そうだったねって思い出すんだけど…」

 高齢で病気の母の面倒を看ながら一緒に暮らしてくれてる妹のお陰でだいぶ助かっているな、とノボルは申し訳なく思う。

「じゃあ今度海にでも行ってみようかな、お母さんと」

「いいね。それだと忘れないかもね」

 そんなやり取りの後、互いを労って電話を切った。

 ノボルはベランダの植物を眺めながらどうして「海」に行くなんて云ったのか考える。母親と海に接点など見当たらなかったが、母親の好きな食べ物が魚全般なのに思い当たる。そして母親の実家が魚屋だった事を思い出す。魚からの連想なのかなと自分で可笑しくなった。

 次の日曜日。ノボルは実家へ母親を迎えに行った。「よく来たね」と母親が何度も言うのでノボルは湿っぽくなりそうな自分を正して明るく振舞った。

 まず母親を後部座席に乗せ、車椅子をトランクにしまった。

 妹に見送られて出発してとりあえず鎌倉方面を目指した。母親とはよく近所に買い物に行ったけど、二人でドライブに行くのは初めてだった。母親の乗り心地や体調に気を遣いながらの運転で最初は会話がぎこちなかったが、徐々にほぐれていった。

 務めている会社の社長がいかにケチかとか、お笑い芸人の誰々がドラマで良い演技をしてたとか、近くに安くて美味しい店を見つけたとか。そういう他愛のない話が出来てノボルは嬉しかった。亡くなった父の悪口を言う時に母がひときわ元気な声になるので思わず笑ってしまったり、ノボルの子供の頃の話になるといつもの母らしく感じるから不思議だなと思ったりした。


「何もしてあげられなくてごめんね」

 途中、母親がすすり泣いた。

 ノボルも泣いた。


 窓の外が急に眩しくなったと思えばもう海岸線が見えていた。

 母親もその乱反射に「ほら、綺麗だよ」と喜び、景色に釘付けになっている。薬の副作用で少し浮腫んでしまった母の横顔をノボルはバックミラー越しに見て心苦しくなった。

 少し窓をあけると車内に潮の香りが広がった。

 輝く海岸線の横を走っている間ずっと母親は「ほら綺麗だから見てごらん」と云っていた。ノボルは「そうだね」と答えながら母親に対する後悔と感謝の想いが溢れ出した。

 海からの光に車内が包まれた瞬間、ノボルはバックミラーに満面の笑みを浮かべて窓の外を眺める少女を見た気がした。


<了>


🐈 🐈 🐈

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