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いま観劇に行くくらい、橋本良亮が好き

遠征するときにたまに感じる自己嫌悪の、そのかなりひどいやつに、昨日から襲われている。
現在2020年7月10日。午前12時過ぎ。

自己嫌悪とは、自分はこんなことをしちゃいけないっていうシンプルな感情。

20代半ばからバンギャになり始め、徐々に、東京、名古屋、大阪は、コンビニに行くくらいの気楽さまで麻痺した。
どんどんバンギャ友達も増え、みんなで自分たちの感覚を狂わせていった。

特に仲良くなったのは、小学校の先生をしている子。
彼女は地方で名門私立の先生をしていたのに、バンギャ生活を優先させるため関東に引っ越し、公立の先生に変わった。
そんな行動力のある子たちと、私は気が合った。

私の周りには、普段は地味な生活をしていて、その家庭や職場には嘘をついて、かなり強引にバンギャをしてる子が多かった。

私もそう。
仕事を複数掛け持ちしているため、Aの仕事にはBの仕事で、この日は大切な用事ができたと言い、
Bには、Aでどうしようもない事件が起こったからこの日はすみませんと言い、
実際は好きなバンドを追っかけていた。

自分の誕生日に青森で公演があるとなれば、仕事終わりに青森まで飛んだ。
夜行バスで帰って、シャワーだけ浴びてそのまま仕事に出た。
無茶な生活をみんなで笑い飛ばした。

それでも1人になると、極度の虚しさに襲われたりもした。

でも今の憂鬱は、そんなレベルではない。
何のために私は劇場に行くのか。
そう考えるだけで、涙さえ浮かんでくる。

四方八方に嘘をつきまくってでも、私は、「常識的な人間」を貫いている。
そのつもりだ。
とりあえず日々の生活は、平和に穏やかに、幸せに過ぎている。
それは周りの方々がとても良い人ばかりで、みんながその平和を守ろうとしているからだと思う。

私が電車に乗り大手町まで行くというのは、そういった周りの方々を裏切ることになる。
嘘をつきながらも、事前に休む連絡をすれば職場にかける迷惑を最小限にするよう努められていた今までとは、状況が違う。

正直今は仕事もヒマだから、そういった意味の心配はない。
ただ今、観劇に行くというのは、モラルに反している。
もしバレたら、大変なことになる。
戸塚田の年齢である私、今までの人生で、そこまでの危険を犯した経験はない。

それでも行く。
私にとって橋本良亮が、それほどまでに価値のある人間だから。
好きだから。

結局のところ、この不安は究極の寂しさから来ているのであり、
その寂しさを埋めてくれるのは、橋本良亮しかいないから。

もし今、はっしーの公演がなければ、当然だけど、私ははっしーに会いにいけない。
だから、実際は公演があるけども、なかったと思えばいいじゃん。
他人事なら、私はそう思う。

でも、橋本良亮の公演は、ある。
そして、私にはそのチケットが、ある。
それを捨てることは、自分の大切な部分を削っていくことだ。

私は橋本良亮を、自分という概念の中に入れている感覚がある。
勝手に入れられてもはっしーからすれば気持ち悪いかもしれないが、その辺はこちらがお金を払っているのだから、まあ遠慮なく、好きにならせてもらおう。

「自分」をイメージしたときに、肉体的なことだけなら、目で見て分かりやすい。
でも自分はこう思う、自分の過去はこうだったと語る際、肉体は関係ない。
自分。その人自身。おのれ。
そこには、私のさまざまが含まれていて、そこに、橋本良亮も入ってしまったのだ。

「僕の心は君の形」というとっつーの発明に比べれば、弱いかもしれない。
でも、私の心の中の橋本良亮を削れば、私の心はどこか破損する。
だから、自己防衛本能から、自己嫌悪に陥るような行動を取るのだろう。

12:55。
もうすぐ開場です。
ジャニーさん、どうか、ジャニオタのことも見守っててください。

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