懐かしい話

苑さんピアノ弾き語り

久々に苑さんの歌声を聴いた。
Twitterでピアノ弾き語りだと知り、すぐ再生。
そのままYouTubeに移動して感動した。

あんなに強く強く求めていた苑さんのピアノ弾き語りを、こんなに手軽に聴けるなんて。
気づけばもう7年前になるのかな。
早いな。
2013年6月、私は摩天楼オペラのFCに入った。

きっかけはジャンヌダルクのkiyoちゃんが、Zeppのオペラライブに行ったとツイートしたこと。
ナタリーかなんかの、Zeppのライブレポもなぜか同時に見た。
もしかしたらkiyoちゃんが、ライブレポをリツイートしたのかもしれない。
確か、増田さんが書いた記事だったような気がする。

せっかくなのでさかのぼると、2011年に私はFacebookを始めた。
そのきっかけは、コインロッカーベイビーズにある。

当時ネット上で、いろんな読書感想を読む趣味があり。
その中で、コインロッカーベイビーズの感想がひときわ素晴らしかった男性がいた。
ライブドアブログにいろいろとつづっている男性で。
趣味でギター弾き語りのライブもしている商社マン。

さまざまな村上龍作品について述べていて、心からあこがれた。
ブログにはコメント欄があったので、あなたの感性が好きですと率直に送った。
ご丁寧に返事が来てうれしくなり、彼が村上龍について書くたび、コメントした。

昔の記事をさかのぼると、横浜在住の彼は、川崎で行われた村上龍の講演会に参加し、握手してもらったことがあると書いてある。
その事実が、私の心を大きく揺るがした。

(と、つづって、気づく。
村上龍の講演会に参加しただけで、あのブログにあんなにのめりこんだのだから、ハシを演じたはっしーに恋い焦がれるのは当然の成り行き。
※あいにく私は、ふみきゅんのハシを見ていない)

彼のブログに、Facebookでもつながれるという情報があった。
当時Facebookをやっていなかったが、「あなたとつながりたいのでFacebookをはじめます!」と言いたいがために、始めた(笑)

当時私は20代前半。彼は40代。
奥さんと、大学生の娘さんがいる彼のブログには、博識でオトナな世界がつまっていて。
Facebookでは、「村上春樹を語る会」に招待してもらえたりして。
そこで私はFacebookのプロフィールをかっこつけたくなった。

高校の同級生のプロフをのぞく。
めちゃくちゃセンスよくて、イケメンで、美大に行った子が、ラルクアンシエル好きと書いてあった。

ラルクアンシエル好きって、かっこいい。
私はそのころラルクを1曲も知らなかったのに、ラルクというバンドは知っていたので、とりあえず書いた。

そこからラルクを調べる。
よく分からないから、ファンクラブに入ってみた。
すると今はラルクお休み中で、HYDEはVAMPSだという。
それならラルクのFCもお休みしといてよ、と思いながら、慌ててVAMPSに入った。

ところが、ラルクの曲は好きになったが、VAMPSのすごさは正直、そのころの私には理解できなかった。
でもイケメン同級生は「VAMPSのライブに行った! HYDE最高!」と投稿している。

よしライブに行こう!
そう思ったのが、人生初のライブ参戦につながる。

タイミング的に、ハロパにあたった。
幕張メッセ。調べてみると、広い。
しかもスタンディングと書いてある。
え。
2時間立ってるの? 足痛くない?

と思ってたら、実際にはああいうフェスは参加バンド数が多いから、もっともっと長時間になったのだけど。

ハロパ恒例のライブ前カラオケ大会があった。
せっかく来たんだから歌っていこうと、私は1人で来たにも関わらず、ノリノリで歌わせていただき(笑)
みんなのパフォーマンスを見ていたら、
「ヤスー! 大好きー!」と叫んでから歌いだした子がいた。

その時のことを思い出すと、私はどんなに眠くても疲れてても笑えてくるのだけど、
私は本当の本当に、本気で、ヤスという彼氏が客席にいて、その彼氏に呼び掛けているのだと思ったのだった。

だってライブ出演リストに、Acid Black Cherryとは書いてあったけど、yasuのヤの字もなかったのだから。

そんな無知な状態でも、ライブを楽しむ才能には恵まれていたのだと思う。
出演者をまるで把握していなかったのに、あの場にROLLYさんがいたことは覚えている。
めちゃくちゃおもしろかった!

そしてyasuとの出会いだ。
「イエス」の冒頭を聴いて、私は衝撃を受けた。
なんなんだ、この声は!
それまでクラシックの声楽家しか知らなかった耳に、yasuの声は強烈だった。
雨にうたれ。雨にうたれ。とにかく出だしが雨にうたれの歌ってなんだ!?

まだガラケーだったけど、私はその場で検索した。
この人がAcid Black Cherryか。
そしてyasuという人なのか。

その日から私は、ABCとジャンヌ漬けになる。
ちょうど教習所に通っていたころ。
1月末に免許取得になりそうで、本当は1月27日にしたかったのだけど、
日曜日だからダメってことで、HYDEの誕生日の1月29日に免許取得した。

1月9日には、yasuとDAIGOのライブがあった。
イクの日だと騒いでいたから、やたらと日付を覚えている(笑)
私がファンになった時点で、すでにチケットは売り切れていたのだろう。
私は参加をあきらめていたのだけど、当日電話がつながれば、当日券をゲットできるというサービスがあった。

その日の予定は教習所だけだったので、12時に電話をした。
見事、当日券ゲットできた!
そこで急遽、教習所をキャンセルして、ライブ参戦。
武道館の1番上というか、1番後ろの席。
席とは言えない。手すりの外側。イスはない。
そんなエリアに、入れた。

すっごくすっごくすっごくすっごく楽しかったのだけど、
その楽しさをぜーーーーーーんぶかっさらうくらいの出来事が。
HYDE登場だった。

客席のHYDEを紹介されたとたん、1万⒌千人の黄色い声が最大限に発せられて。
全員が、生まれてから今まで一番高くて大きい声を出したのではないかと思えるくらい、
すさまじい強さの「きゃーーーーー」で会場が揺れた。

あの時の歓声の大きさと、急きょステージに移動してHYDEが歌った「Black Cherry」のすごさは、一生忘れないと思う。
HYDEのハロパでyasuにハマり、yasuのライブでHYDEに堕ちるとは皮肉なものだが、理由は簡単だ。
私はyasuの曲が大好きで、HYDEの歌が大好きだから。

そして。
ABCのライブより、タイミング的に、47都道府県ライブをしているka-yuのDAMIJAWが、私の地元に来てくれるほうが先だった。
4月だったと思う。
幕張メッセ、武道館に続く、人生3回目のライブ体験。
しかも地元の小さなハコ。
キャパ350くらい。

古びた倉庫みたいな建物にやや不安を覚えながらも、開場を待つ中に、偶然前日、ダイソーで見かけた美人を発見した。
確か靴がめちゃくちゃオシャレで、ダイソーで見たときから印象に残っていた。

「もしかして昨日、○○のダイソーにいました?」
「え? あー確かに昨日はダイソーに行ったんですが、私は○○のセリアで働いているんです」
なかなか普通、職場を訊くのって難しいが、意外な展開により、彼女の職場と居住地を一瞬で知ってしまった。

清楚で優しくて、それでいてライブグッズで身を固めているライブ先輩。
私が過去に参戦した2回のライブには当然のように参戦しているから、私が興奮した話にもすごく上手にノってくれて。
その場でLINEを交換した。

彼女の存在によって、私は安心感に包まれたまま、DAMIJAWライブに初参戦。
それがもう、それがもう本当に、私にとっての初恋みたいになった。

「愛してる!」って叫べば、こちらを振り返ってうなずいてくれるし。
ほんの指先だったけど、ka-yuの裸の胸に触れられたし。
音楽も私の好きなジャンルだし。
声も好きだし。
顔も好きだし。
話も好きだし。
笑顔が大好きだし。

ああ。ka-yu。。。
元気でいてくれ。

ka-yuと。苑と。橋本良亮。
私に無茶をさせた3人。

ka-yuのライブは、ほぼ毎回、私を号泣させた。
なんの作用があるのか知らないけど、別に泣きに行ってるわけじゃないのだけど、私はいつも大泣きしてた。
1月23日に自分の大事な本番があった年。
ka-yuの誕生日ライブが1月21日だった。

本番の1週間前から集中モードに入っていた私にとって、2日前にライブ参戦なんて、絶対にありえない。
そもそも最初の47都道府県ライブで、私は数日間、耳鳴りが治らなかったのだ。

その後必ず耳栓をして参戦するから、耳への心配はしていなかったけど、ライブ中、目の前で骨折した人もいたし、何かと危険は伴う。
それでも1月21日、私はそこそこの整番だったにも関わらず、安全のため後ろの壁に張り付いて、参戦した。
ka-yuのことはほっとんど見えなかったけど、やっぱりただただ泣いていた。

――という流れで、ジャンヌに夢中になっていた中、kiyoちゃんのツイートきっかけで、摩天楼オペラを知った。
YouTubeで「落とし穴」を聴いたとき、これはすごいと思った。
なんかCDよりもDVDを買いたいなって思って、「ダチュラ」が入っているDVDを選んだ。

ここでもやっぱり「コインロッカーベイビーズ」が出てくる。
私の人生、「コインロッカーベイビーズ」にだいぶ支配されてる。

ちなみに「コインロッカーベイビーズ」のブログがステキだった方とは、実際に何度もお会いした。
商社マンで、私の地元にもよく仕事に来るからと、一度お茶させていただいて。

その後、私の演奏会にも来てくれたし、私も彼のライブを見に行った。
何度お会いしても、ブログの時のイメージを裏切らない素敵な方だ。

さて。
「ダチュラ」が入ったDVDを見た日から、私は摩天楼オペラに堕ちた。
2013年6月。すぐにFCに入った。
2014年7月。FC旅行。夢のような思い出。
2015年5月6月。茶話会に6回中5回当選。東名阪で昼夜の6回。
東京の昼だけ外れたのかな。全部服を変えて、毎回手紙とプレゼントを渡した。
インストとライブには無数に参戦。
友達も含め、何もかもが大好きな世界だった。

5月末。
ガルネリも出演したメタルフェスで。
土屋京輔さん主催のPURE ROCK JAPANのあと、摩天楼オペラ好きっていうツイートをして。
なんだったかな、苑さんの声とエメさんのドラムのことを書いたか、一般論として、ドラムとボーカルのことを書いたか。
なんか、ちょっと知ったかぶりをして書いたら、ガルネリ目当てで来たトラックの運転手さんの目にそのツイートがとまって。

なんかお返事くれて、「苑はNoBさんに習っていたらしいから、ずっと前から興味あったけど、やっぱりいいね」みたいな。
「NoBさんって?」
「苑が専門学校で習ってたみたいよ。今はアニソンで大儲けしてるけど、元はめちゃくちゃうまいロック歌手。俺はありとあらゆるライブ行ってるけど、NoBさんが日本一だと思う」
「え、知らなかった! どうして苑さんが習ってたって知ってるの?」
「Wikipediaにのってるよ」
ええええええええええええっっ!?!?

あの時の衝撃は、yasuDAIGOライブにHYDEが来たときと同じくらいのショック。
私は苑さんにまつわることを調べつくして、お姉さまともちょっと親しくさせていただけたりしていたのに。
まさかの。ウィキのチェック漏れがあったとは!

「NoBさんのCD今度送るよ」とすぐに30枚くらいCDのコピーが届き。
「NoBさんがボーカルしてるDAIDA LAIDAのライブが6月27日にあるから、いってみたら?
アフターパーティーで、苑さんのこと話してきなよ」
とすすめられ、即参加。
私の手帳にはその日の予定は、「苑の先生のライブ」って書いてあった記憶。
その前の週末6月20日は摩天楼オペラ名古屋茶話会で、21日は大阪茶話会だ。

その運転手さんも、非常に面倒見のいい方で、DAIDA LAIDAファンの友達までTwitterで紹介してくれた。
ライブの後のアフターパーティーなんていう文化を、私はその時初めて知ったのだけど、ライブ後一時間くらいヒマだから、その間、友達とお茶を飲むのがよいという。

そこで紹介された友達というのが、また極上の美人で。
私はめざましテレビに出られたことがあるのだけど、その時に見た女子アナレベルにきれい。
美人だし、スタイル完璧だし、メイクとかヘアセットとかも最高な人。

で、その友達と参加したアフパで、事件は起こった。
アフパは、4人1グループで、かわるがわるやってくるメンバーさんと話せるっていうシステム。

私と、美人友達と、後は男女1組のグループだった。
でもその男女はなんと、NoBさんの生徒だという。
「私たちはいつでもNoBさんと話せますので、どうぞゆっくり話してください」
と言ってくれたので、
「藤原惇哉さん(苑さんの本名)って覚えてらっしゃいますか?」
「じゅんや! 覚えてるよー!」
「わぁ本当ですか!?!?」
とひとしきり盛り上がり。

「あっ○○!!」
NoBさんが付き人を呼ぶ。
「じゅんやと同級生だったよね?」
「はい!」
なんと、NoBさんの付き人が、苑さんをよく知る方だった。
「じゅんやとはよく飲みましたよー」
当時彼らは32才。
「しばらく会ってないけど、まあ、5年くらい前に会ったっきりかなあ」
5年前ってことは、専門卒業後も交流があった人!
すごい。

苑さんの学生時代のことを聞き、ご機嫌になった私に、NoBさん生徒の男女が。
「歌、習いませんか?」
「今ちょうど生徒募集中なんですよ」
「えっ?」
「西荻なんですけど」
とお誘いしてくれた。
でもその時、アフパが進行して、話は尻切れトンボ。
だいたいNoBさんというのは専門学校の先生だと思っていたから、ピンとこない。

ずっと気になっていたのだけど、美人の友達もいるし、なんとなく聞きにくくて。
そもそもアフパにはNoBさんのファンが大量にいるわけだから、そんな気軽に習いに行っていいものか、悩んでしまって。

そしてそのまま帰宅。
でも。翌日。
「西荻」「NoB」をとりあえず検索してみる。
なかなかヒットしない。

ものすっごく一生懸命探して、西荻のスタジオが出てきた。
せっかくなので電話をしてみると「NoBさんのボーカルレッスンなら、やっていますよ」とスタッフさん。
「明後日の12時から22時までNoBさんはレッスンが入っているから、その間なら直接話せますよ」
えっっすっごくサービスがいい!!

そこで明後日で、こちらが電話OKな時間帯を伝え。
明後日になったら、本当に電話がかかってきた。

まずはスタッフさんで、その後ご本人登場。
「誰かの紹介かな?」
日本一ともいわれる声で電話されて、私は半分パニック。
電話番号を調べ上げたのは、私のストーカー精神によるものだし、そんなにちゃんと紹介されたとも思えないのだけど。
一応。

「あの、先日のライブに伺いまして、そこで、あの、男女の生徒さんに……」
「ああ、○○ちゃんたち?」
さあ。私は彼女たちの名前も知らない。
「ええ、たぶん。あの、私、じゅんやさんのお話をさせていただいた者で」
「うんうん。よかったら見学にくる?」
「はい!」
「いつがいい?」
「いつでも!」
「じゃ10日の17時はどう?」
と伺ったレッスンは、音大卒の女性のレッスン。

そのレッスンをひとしきり見学した後。
「どうかな? こんな感じなんだけど」
と先生に聞かれ、
「習いたいです!」
即答した私には「早いな」と先生は笑った。

「俺のスクールは紹介制なんだけど、○○ちゃんたちにも聞いてみたし、この前じゅんやの話も聞いたから、よかったらじゃあ、今月から入る?」
ととんとん拍子に話は進んだ。

NoB先生はジャンヌともすごく親しい方だったし、ジャニーズWESTなどに楽曲提供をしている岩崎貴文さんも、先生の弟子だという。
話せば話すほど、自分の世界が広がっていくような感覚に陥ったし、ただただ先生の人柄に私は惚れた。

直後、DAIDA LAIDA FC旅行に、申し込みが間に合っていなかったような気がするけど、強引に参加させていただいた。

先生は世界中で活躍していて、しょっちゅう海外の大きなライブで歌っていた。
海外に比べれば、日本ならどこでも近い。
私はまた遠征を繰り返した。

KICK THE BORDERLINE !というイベントがあった。

大阪と東京の2か所で行われた。
大阪に行った。
確か先生が、マンゴーが好きと聞いた直後だったから、ドライフルーツのマンゴーの大袋を差し入れに持っていった。

たいがい差し入れは、スタッフさんに渡すものだけど、そのライブは、プロとアマの混合だったからか、直接楽屋に案内された。
楽屋の入口で、私は立ちすくんだ。
そこには、共演者のジャンヌshujiさんもいたのだ。

まさか楽屋が同じだったと思わず、半分パニックになっている私に、先生はもちろん、shujiさんも気さくに優しく応じてくれた。

そして東京公演。表参道GROUND。
アマチュアの大スター伊舎堂さくらちゃんが、大阪に引き続き東京にも出演していて。
さくらちゃんは、ガルネリ小野正利さんの弟子で。

そのライブを見ていたら、なんと目の前に、小野さんがお客さんとして、現れたのだ。
ガルネリのライブは何度も見に行っていたし、ツイッターも見てるから、私服小野さんもすぐ分かる。

ライブのジャンルが違うからか、周りの人は全然気づいていない。

「あの、小野さんですよね?」
勇気を出して声をかけたら、「あっ気づいてくれて、ありがとうございます」みたいな。
レコ大のくせに何言ってんの?みたいな(笑)

「きゃー私、ファンなんです。小野さんのボーカルの本もいつも読ませていただいていて」
「え、そうなんですか。珍しい。いや、僕もね、どうやって歌ったらいいか、分からないんですよ」
「何をおっしゃる……。いつも神業な声だなあと思っていて」
「ちゃんと聴こえてますか? ならよかった」
みたいなね。
なんだかよく分からないけど、最高におもしろい小野さん節がさく裂。

イスが会場内に5個くらいで、基本はスタンディングのライブだったのだけど、ちょっとドリンク飲むときとかに、イスを使う感じで。
私は、先生が出てくるまでは気楽に座っていようと思っていたから、ちょうど席があって。

小野さんにイスをすすめても、「いえいえ、全然大丈夫ですよ。座っててください」みたいにおっしゃって、小野さんは絶対に座らない。
そんな大物を立たせて、私が座るわけにもいかない。
お互いに立ってしまってて、イスが1個余ってる状態。

でもその隣のイスに、なんかバッグだけあったから、
「じゃちょっとこのバッグ、こっちのテーブルに置いちゃいましょうか」と小野さんが動かしてくれて、なんとお隣に座らせていただくことに。

座ったら。
「よかったーちょっと今ね、腰が痛いんですよ」と。
「まあ、小野さんは背が高くてスタイルいいから……そういう方って、けっこう腰にくるみたいですよね」
「いやいや僕なんておなか出てるんですよ、ほら」
いきなりおなかを突き出して、触らせてくれる小野さん(笑)

断じて、絶対に、おなか出てなかったですけど、単に、おなか突き出したポーズをしただけなんですけど、あまりの気さくさにびっくり。

私はライブ中の耳栓は絶対に欠かさないので、正直ライブの際中は、隣が小野さんでも会話が聞こえなくなったのだけど。
小野さんは耳打ちをするように、私の耳(耳栓)に口を近づけて。
「ねえねえ、こんなにうるさいと、僕、眠くなっちゃうんですよね。
うるさすぎて眠くなるんですよ」
「ああ、毎日お忙しいんでしょうから……」
「いやあヒマですよ、忙しいのは釣りだけで」
「ああ、釣りのお写真、この間ツイッターで拝見しました」と返事をしても、私の声はたぶん、届いていない。
そのくらい爆音ライブはうるさい。

「さくらちゃんはすごいよね、僕もね、路頭に迷ったら、さくらちゃんに助けてもらおうと思って、ちょっと恩を売ってるんですよ」
「何ですか、それ。MASAKIさんが、小野さんちには、お金のなる木があるって言ってたじゃないですか」
とにかく小野さんの低姿勢キャラ?はおもしろい。
何を話してても、感じがいいとか、腰が低いなんて言葉じゃ足りないくらい、感じがいい。

摩天楼オペラの話も、共演したライブの話も。
全てにおいてとても丁寧に話してくださって、いちいち感激した。

バンドが変わるたびに、セット転換があるから、休憩時間が入る。
その間は思う存分お話しできて、しかもちょうどその時、目の前にいたアマチュアの子たちが、記念撮影をしていた。

「あの、お写真なんて……、無理ですよね?」
わざとらしくその子たちを見ながら、思い切って言ってみると。
「あのですね」
ちょっと改まって言われた。
「あのですね、SNSに流さなければ、全然大丈夫ですよ!」
「えっ本当ですか!? わあうれしい!! 絶対流しません!!」
とここで、近くにいたさくらちゃんが気をきかせて来てくれたので、私のスマホを預ける。

なんと私と小野さんのツーショを、さくらちゃんが撮影してくれた。
しかも2枚。小野さんは変顔(笑)

ほぼ2時間しゃべり通して、別れ際。
「どうもすみませんでした」
と立ち上がって、深々と頭を下げて、小野さんはお帰りになった。

そうしたら隣にいた男性が、
「今の方ってYou're the Only…の??」と。
どうやらその方はGalneryusをご存知なかったのに、20年以上前のテレビの記憶が一気によみがえってきたらしい。
レコ大おそるべし。
あれは幸せすぎる思い出だなあ。

その後、小野さんのソロライブがあって。
でも完売で。
会場に「当日券出ませんか?」と問い合わせたら、「未定です」と。
「当日券販売が決まりましたら、Twitterなどで告知しますので、発表をお待ちください」と。
前日まで待ってもツイッターに情報が上がらないので、また問い合わせたら
「1人なら入場可能なので、どうぞ」と入れていただけた。

いろんな幸せがあった。
西荻の駅で、櫻井有紀さんに遭遇したこともあった。
なんと2日前、ライブで見たばかりで。
まあ、有紀さんは毎日のようにライブをしているのだけど。
(でも私が毎日有紀さんのライブを見ているわけではないのだから、やっぱりタイミングよかった)

めっちゃくちゃお上品でおっとりとした語り口で、いろいろとお話ししてくださってた。
お美しかった。

ラッキーなことにたくさん出会ってきた。
でもこうして振り返ってみると、自分の行動がきっかけになってることも多い。
今は動きにくい状況だけど、これからも行動力を鈍らせずに生きていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?