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一生の傷跡~記憶と幼少期~

古い記憶で特に印象強く残っているのは

暖かい水の中にいて誰かが言いあったり怒鳴りあったりする記憶

理由までは覚えていないが母から怒鳴られた記憶

妹が口から血を吐き倒れた記憶

母が私の顔を段差の角に叩きつけて顎が外れ血が出た記憶

がよく印象に残っています

もちろん曖昧な部分もありますが生まれて二十数年になりますが覚えている方が不思議です

1番最初のは記憶はどこにいるのか分かりませんが覚えています

この記憶と事と一緒に幼少期時代から話していこうと思います

もちろん覚えていない事もあるので祖父母から母から聞いた話も踏まえて話します


199✕年

1人の女の子がこの世に誕生しました

名前は「菜都」と名ずけられ体重は1880kg

誰もがびっくりするほどの大きな産声を上げて産まれました

あまりに大きな産声だったため祖母は男の子が産まれたと勘違いをし大喜びしましたが看護師さんから「女の子ですよ」と言われがっかりしたそうだ。

けど体が余りにも小さいためすぐに保育器に入れられたと聞いています

検査の結果、気管支が弱い事、心臓に小さな穴が空いていることがわかりましたが気管支はともかく心臓は大きくなるにつれて塞がるだろうと言わたとの事です。

それから無事に退院をし、よく寝てよくミルクを飲んですくすくと育ったようです

よく聞かされたのは一人で座れるようになってからの事

ミルクを飲むのが凄く早く飲み終わったら勝手にゲップをし、哺乳瓶の柔らかい所を握っては遊んでいたようなのですが誰かが近ずいたその時ニッコリと笑って相手の顔面に一撃をくらわせてたとの事です

生後10ヶ月ぐらいには素うどん並を1杯丸々食べてお店の人を驚かせたと聞いています

ここまで聞けば元気な子にすくすくと育っている感じですね。

3~4歳ぐらい…1つ下の妹が目の前で倒れた

祖母が起こそうとしたましたが起きず水を口に含まえたら血を吐きました

祖父が救急車を呼ぼうとしましたが家の道が狭かったため時間がかかると判断した祖母が自分が病院に連れていくと言い出し妹を抱き抱えて外に行きました。

それからの時間は覚えていませんが病院のベッドですやすや寝ている妹の事を覚えています。

頭に血の塊が出来て倒れたと聞かされています

妹には発達障害があります

生まれつきか、この事が原因かは分かりません

けど今となっては妹が生きていてくれて良かったと思います

ここまででは母の記憶が余りありません

けどなんだかのきっかけで怒鳴られた記憶はあります

基本的には祖母、祖父、妹、あと従兄弟の兄が一緒に住んでいました。

母はよく働きにいってましたがそれ以外わからないです

近くのスーパーの惣菜コーナーで働いていたので祖母と買い物ついでに会いに行ってたのは覚えています。

その時の母は笑顔を向けてくれたのは覚えています

その時の笑顔だけは嘘ではいて欲しくないと今でも思います

消して裕福とは言えませんでしたが多分幸せな方だったと思います

ある事を覗いては…

母と祖父母はよく言い合いをしていましたが原因は様々でしたが、私たちの事とギャンブルの事だと思います

母は俗に言うパチンコ中毒という物でした




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