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社内公募はムラ社会を克服してから

本日はこちら。

単刀直入に言って、社内公募がよい制度だとは思いません。その理由を以下にまとめていきたいと思います。

本当に元いた部署に禍根を残さないか?

転職してしまえば、究極をいえば前職の人たちと関係がこじれても新天地でなんとかやっていけます。しかし、大きい会社であっても、他の部署にいったところで元の部署と関わる可能性はそれなりにあります。

送り出す人も送り出された人も禍根なくすっきりと出ていければ、もちろんなんの問題もありません。しかし、会社の制度によっては、その人が公募に応募していることを元の部署の上司やメンバーが知り得ない仕組みの場合もあります。そして、公募先との面談が秘密裏に行われ、採用が決定した場合、ある日突然、「他の部署にいくことに決まりました」と元いた部署の人たちには告げられるわけです。

本人の意向を尊重してあげたいと思って笑顔で送り出したとしても、心の奥底では「事前に相談して欲しかったな。私のこと信用できなかったのかな」と思ってしまっているかもしれません。

もちろん、相談しにくかった可能性もあるので送り出す側に問題があったかもしれません。しかし、当の本人は、純粋に新しい仕事をしてみたかっただけで、元の部署に不満はないかもしれません。

そういう心境のままお互いにある程度関係性のある部署で引き続きやりとりがあるとすれば、少し複雑な心境で仕事を続けねばなりません。それはお互いにとって幸せなことなのかどうか。

公募側のリスク

転職する場合は、前職で知り得た機密情報を転職先で明かしてはなりません。それはわざわざ言わなくても、感覚的に多くの人が理解するところでしょう。では、社内公募だとどうか?

例えば、営業にいた人間が製造にいったらどうなるか?例えば、製造が営業に公表していない原価構成をその人は知ることになります。前職場の営業にうっかりそれを話したら、あるいは元上司の営業から情報が欲しいと頼まれてしまったら断れるか?同期だったら話してもいいか・・・そういう点を考えるとやはりキャリアが地続きであることはリスキーだったりもします。

敵対関係とまでは言いませんが、緊張関係にある部署をまたぐ社内公募、距離の近すぎる部署へ移る社内公募は、そのあり方を考える必要があります。

もちろん、多くの人は立場が変われば、その立場で頑張るわけですから、不必要に情報が漏れることはないと信じたいですが、社内公募によって、その人やそのひとをとりまく環境にて利害が複雑に絡み合うと、本人も受け入れる側も気を使うことになります。

辞令という納得感や転職という割り切り感

もちろん、こうした情報の取り扱いのリスクは辞令による異動であっても起こり得るのではないか?という反論はあり得るでしょう。しかし、自分で手を上げてやってきた立場である社内「公募」と会社と社員の合議で決まる「辞令」では、性質が異なります。

簡単にいえば、こういうことです。

新人や転職者は信用がまっさらな状態、辞令は会社側も異動がふさわしいと判断されおてり本人に信用がある状態、社内公募は応募者が自ら信頼を勝ち取らないといけない状態。

このような状態に陥りやすのではないでしょうか?

もちろん、社内公募は、ポジティブな面もあります。ダイナミックに人が変われば、停滞間の打破やずっと元いたメンバーでは気づかなかった新しい課題の創出、前の部署と今の部署によるコラボレーションなどの可能性はあります。

しかし、相当にリスキーな制度であり、新しくきた人を定着させるには難易度がある程度高いことを理解する必要があると思います。

何よりも、こうしたポジティブな面は「辞令」や「転職」でも起こり得るのです。組織全体の納得感や信頼感を考えるのであれば、「辞令」と「転職」によって、ダイナミックな人事が行われれば良いと思います。

会社が出したい「辞令」と本人の「キャリア設計/要望」がミスマッチするから、「社内公募」という選択肢が生まれ得るのだと思われます。しかし、ミスマッチが起きそうなら、会社が「辞令」の範囲でなんとかするか、本人の方で「転職」でなんとかするかでよく、社内公募する意味はあまりないように思います。リスクが悪目立ちしてしまうように思います。

社内だから「資産」は幻想

少子高齢化が加速し、競合他社ばかりでなく、業界を超えて人材獲得はきびしくなってきています。だからこそ、社内の資産である、自社の社員を活かすと言う発想は、わからなくはありません。

しかし、これもまた盲目的な部分があります。「社内の勝手がわかっているから」という理由で社内は資産だと言っているのなら、社外の人を招いたほうが、社内改革はダイナミックにやれるかもしれません。

もし、その人が本当に「社内の勝手をわかっている」のなら、その人は社内公募によらずとも、社内の勝手を使って、辞令で異動するでしょう。全員納得させて異動することになると思います。

そもそも「社内の勝手が分かる人」が欲しいとすれば、それは「社内の勝手」の割合が、業務に占める割合に対してデカすぎることを問題提起すべきだと思います。

百歩譲って、「社内の勝手が分かる」ことが仮に資産だとして、資産にならない社員、つまり社内の勝手が「分からない」社員が社内公募したら、どうなるでしょうか?「社内の勝手が分からない」且つ「今とは全然違う自分の好きな部署に行きたいと言っている社員」。

おそらく、これが許されるのは相当な実力の持ち主か、しっかりと自分の仕事に責任がとれる人です。社内公募で結果が出なかったら、誰が責任とるのでしょうか?本人でしょうか?クビにできないまでも降格や減給するのでしょうか?

そのレンジをどれくらいにするのかは各社の考え方に任せるとして、大切なのは本人のキャリアです。再挑戦させるための教育機会や、向かなかったら別のところで頑張ってみようと周りも本人も思える風土があるかです。本人もささっと転職するよう気持ちが切り替えられるかです。

言うは易しで、実際のところ、再挑戦は、相当メンタル強くないと厳しいのではないでしょうか?自ら手をあげて異動した先で結果が出ない、受け入れた側も「思ってたのと違う」と思うかもしれない。どんなに受け入れ先の上司が「一緒にがんばろう」とフォローしても、周りが知っている人だらけの環境下で「自ら決めた異動」は重いのです。

それは、「言い訳できないプロの世界」として良い面でもあるかもしれません。しかし、悪用すれば、組織側は人を育てなくなり、放置プレイでも結果がだせる人間のみを評価するようになります。

やはり、組織側、受け入れた側、そういった管理する側にも責任を持たせる仕組み、責任を感じ取れる仕組みが重要であり、共に頑張れるやり方がふさわしい。

そうであれば、まっさら状態で来てくれる「転職」か、皆が同意した「辞令」がやりやすいのではないでしょうか?

社内公募の成功には相当慎重な対応とかなり根明な風土、本人のドライさが求められると思います。

ムラ社会の日本の会社で、いきなり社内公募をしても制度もマインドも現実との差に激しく軋み、やがて瓦解しないか心配です。

ということでまた。

#日経COMEMO #キャリアの社内公募

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