見出し画像

本当の自分は誰にもあげない

最近思ったこと。いいものはそれなりの値段がすること。人生はわりと帳尻が合うようにできているのかもしれないこと。惰眠は最高だということ。冬の夜の空気はキレイだということ。The Chocolateを食べたいって思って手に取れるくらいには大人になったなということ。


前書いたnoteを例の親友たちがみんな読んでくれたみたいで。みんなすごく丁寧にコメントをしてくれて嬉しかった。数日考えてみたから書いてみようと思う。多分うまくまとめきれないと思う。

「自分にしか興味がないって絶望的じゃない?」ってことへのフォローかもしれないけど、「こころに薄い膜を張っていて自分の世界を持っているんだなって思ってた」って言われて、なんだろう、しっくり?きた。確かにわたしは簡単に自分以外を好きになることができない。「こころに薄い膜」って言われたように、対象のことを知るまでは自分の内側に入れないっていうのかな。例えば、たぶん初対面の人や知り合ってすぐの人と話すときは、自分が話すことより相手の話を聞いてることの方が多い。その話を聞いている中で、自分との共通点とか相手の好きなところを探して、相手を自分の中でうまく位置づけしている気がする。位置づけって言葉だとつよいな。距離感を保ってるって言葉だと伝わりやすいかな。でも、ぴったりくっつくってことはなくて、自分の全部を委ねるってことはできない。イメージはダーツの的みたいな感じ。好きってゾーンに刺さる矢はあるけど、絶対に真ん中に刺さることはない。だから、深入りできなかったり、ずっとハマれなかったりするのかもしれないって思った。わたしはアセクシャルなのかなってたまに思うことがあるけど、こういう感じだからそう考えてしまうのかもしれない。この話もまた別の機会にしたい。

いろいろ考えた結果、やっぱりわたしはわたしのことが好きで、好きなものを通して自分を見てるのかなってことに落ち着きました。自分の身長の低いところも、二重幅がいつも完璧なところも、すぐに「ありがとう」って言葉を言えるところも、自分を甘やかすのが得意なところも、いろいろあるけど、本当にわたしはわたしが大好きなんだなって思いました。これからも自分の世界を大切にして生きていきたいです。

ちなみに写真は親友たちと夏に遊んだときの写真です。
タイトルはわたしの好きな羊文学の歌詞からです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?