なぜ京都で生きるのか
京都。
寺社仏閣の点在する古都。
歴史。活気。気品。
高校生の時分、テレビやYotubeで京都の特集なんかを見た私は、そのえもいわれぬ魅力にどっぷりと浸かった。
ちょうど進路を考える時期であったことも重なり、すぐさま京都中の大学を片っ端から調べ倒した。
絶対に京都に行きたい。あそこで暮らしてみたい。
まだ勉強すら始めていないのに、京の街を闊歩する姿に思いを馳せて、どきどきと胸を高鳴らせた。
なんとか同志社大学の合格を掴み、いざ上洛。
夢にまで見た京都での一人暮らしは、それはそれは刺激的だった。
勤勉で誠実。そうして素直。
地元で息子の身を案じる両親の願いはいずこへ。
私は怠惰なで甲斐性のない学生へと堕ちてしまっていた。が、そんなことは構うものかと、日夜京の都を駆けずり回っていた。
南禅寺の水路閣。下鴨神社の古本市。東福寺の紅葉。金閣寺の雪化粧。それから同志社大学のキャンパスライフ。
街の持つ力、あるいは活気を感じとったのは、これまで生きてきて初めてだったように思う。
これからも、京都で暮らし続けよう。
大学卒業時に就職の地をここに決めたのは、至極当然のことであった。
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何のためにここにいるのか。なぜ地元に帰らないのか。ある日突然、目の前いっぱいに立ちはだかった疑問に、私はどう足掻けばいいのかわからなくなった。
考えてみれば、少しずつ、少しずつ、私の心は蝕まれていたのだろう。
命を削って仕事をこなすうちに、生の意味すら見失ってしまった。
初めて仕事をサボった日。
もう二度と会社に、社会に戻れないと悟った朝。
何も持たずにのろのろと家を出て、地下鉄と京阪電鉄を乗り継いだ。
車窓に反射した顔は疲れ切っていて、一睡もできなかった証拠が目の下のクマに濃く刻まれている。
久しぶりに座る京阪電車のソファが、今でも変わらずふかふかなことに安心感を覚える。
出町柳駅で降りる学生に交じって、くたびれたスウェット姿を恥じることもなく改札を通った。
朝、ここへ行きたいと思った。
何か意欲が湧いたのは久しぶりのことだったかもししれない。
遥か北から悠然と流れる賀茂川と高野川。その合流地点である鴨川デルタ。
対岸を結ぶ大きな飛び石に、晴天から差し込む朝日。
ここ鴨川デルタは京都人のオアシスだ。
何者も拒まない懐のでかさがある。
学生時代、友人と酒を交わして夢を語ったことや花火をしたこと、1人でしんみりと悔しさを噛み締めたこと。
ここはそういうところだ。人々の思い入れで溢れている。
ああ、久々だな。
体の芯が震える。
そうして、かちこちに固まった心がするするとほどけていく気がした。
この街で生きたいと、そう思えた。
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