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1.自己愛性パーソナリティ障害

画像・takekurokiさん

  はじめまして。現在18才、東北の生まれの男です。タイトルにもあります通り自己愛性の人格を持っています。これを自覚しないまま悩み苦しんだ日を経て、大学を中退し、いま新たに別な大学に受け直そうとしているところです。

  失敗や否定を過度に恐れ、それゆえに怠惰で人嫌いを装ってしまうこの醜悪な人格を変えようと思い、noteを始めました。人間に関した、文学に関して私が考えたことを率直に書きたいと思います。

  最初の投稿で、まだ自分自身を全て出しきれていないもどかしさがありますが、このもどかしさも完璧であろうとする自己愛性の病によるものです。それゆえ逆に、「失敗をするように」「自分の未熟なところを直視できるように」書こうと思います。

●対応、今考えていること

  調べると、自己愛性パーソナリティ障害は救いのないものと分かります。加害の権化のような存在とされます。これは正しい、と当事者のわたしも思います。独りになって然るべきで、私は独りで死ぬべきです。できるだけ周囲の人にわたしの発する悪いものが影響しないように試みながら生き、最後には、そういう自己処分をしなければならないと思います。
 この文を書いている途中にも、自分が自分を特別視してしまっていないか警戒しました。むかし「君は自分を客観的に見ることが出来ていない」と言われて、「おれほど自分を客観的に見ることができている者はいるまい」と心中で憤慨した記憶がありますが、これもまた病理に則った、救いようのない自己弁護の回路でした。
 そして、これは重要なことですが、わたしはこれまで「ありのままの自分を愛する」ということをいつまでも理解し得ないものと思っていました。思うにナルシシズムとは、美化された過去とか、理想像を求める余り多分に誇張された未来の自己像とかを愛しているのです。つまりは、今の自分だけがその愛の対象から外れている。端的にいうと、わたしは過去と未来の、虚像の自分を愛していました。ナルキッソスを描いた絵画に、水に映る自分に見惚れているものがありますが、まさにあれです。客観視すれば実に愚かしいことを、わたしは心の底で肯定してしまっていました。

  当分の目標は、今この時の自分を愛することを学ぶことです。ナルシシズムとは別の方向の自己愛です。自己愛の欠陥を自己愛で埋めようとするのは本末転倒と考えることもできますが、どうでしょうか。「やってみなけりゃわからない」を使いたくありません。その「やってみる」が全て加害だからです。軽率な発言をしますが、自己愛性パーソナリティ生きにくさは相応の罰だと思います。

 途中支離滅裂な文になり、せっかく書いたわたしがこの障害を自覚するまでの一年間のあらましを消してしまったりもしました。失敗を怖がる典型的な症例です。


●すべきこと

・障害を天与の個性などと考えて、新たに自分を特別視するための材料としないこと。
・批判的に自分の思考を見ること。客観的に自分を見ること。
・事実を直視し、空想世界、誇大されたものと訣別すること
・長所、短所をのみこんだ統合的な「人の捉え方」を身につけること。

  たしかにこの人格は幼児そのものです。精神の回路がそれを擁護するように張り巡らされているだけで、本質は幼さです。
  では、自己愛性パーソナリティ障害でない人はその向こう、つまり幼児性の先に進めているということになるでしょう。そこにあるのはなんでしょう。おそらくこれまでの私が触れ得なかったものです。
  諦念でしょうか。現実への立脚でしょうか。前向きに世界を捉える柔軟な思考でしょうか。昨日までの私なら、これらを一蹴していたと思います。


● 最後に

  悩み悩んだ末に行き着いた答えの文句が、実は世にあふれていたものだった、という経験を何度かしましたが、わたしはいま最大のそれに直面していると思います。これまで「幼い」、「浅薄だ」と思っていたものがすごく強いものに見え始めました。わたし自身の核心が幼児なのですから、もはやわたし以外を「幼い」などと言えたものではない、と思います。
  加害者にすぐなってしまう自分に対して自ら警戒し、周囲の人の幸福のために生きていこうと思います。


 


 

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