第Z軸空間

百合河ありさが転校して来てから、一週間ほど経過した。
ありさは、勉強もスポーツも万能で一目置かれていたが、クラスの人達は徐々に関心を示さなくなっていった。
誰が話しかけてもロボットのような事務的な答えしか返ってこずに、会話が盛り上がらないようであった。
勿論、愛子は一度も話しかけたことはないし、話しかけられたこともなかった。

そんな中で、真奈美達の愛子に対するいじめはエスカレートしていた。

「やっぱり、あんたほどいじめ甲斐がある人間いないわ。
地味だし可愛くないし?
いじめたとしても、ちーっとも罪悪感抱かない!」
真奈美はそう言って、愛子の髪の毛をガシッとつかんだ。

ここは教室。
しかも他の生徒もいる。

公開いじめは久しぶりである。
教室内の他の生徒たちは、真奈美達を止めようともせず、スマホを取り出した。

撮影しているのだ。
この屈辱的な場面を。。。

いじめの証拠を残すため、、、
という理由の生徒なんか殆どいない、いやゼロに近いだろう。
みな興味本位で撮影しているのだ。
好奇の目でニヤニヤしながらスマホを手にしている生徒達に、正義感がある者がいるとな思えない。

「どうして?」
愛子は思わずそう漏らした。

”昔は仲が良かったよね”
その言葉は心の中で続ける。

愛子と真奈美は中学の頃まではずっと仲が良かった。
明るく快活な真奈美が、愛子をいつも引っ張ってくれている。
そんな関係だった。

もしかしたら、その関係が面倒になった?
だとしても、いじめていい理由にはならたい。

「私、何かした?
どうして、こんなにキラうの?」
愛子が真奈美がの目を見つめてそう言った時、真奈美は微かに苦悶の表情を浮かべた。

その瞬間、愛子の頬に痛みが走る。

「うるっさいよ!!!」
という真奈美の叫び声と共に。

愛子は、自身の頬に手を当てた。
思いっきりぶたれたのだと理解した瞬間、恐怖を感じた。 

今まで、暴力を振るわれたことはなかった。
今回が初めてである。

真奈美は、今までに見たことないほどの苛立ちを見せていた。

”何か、気に障ることを言ったのだろうか。。。
いや、真奈美にとっては、自分の全てが気に食わないのだろう。
きっと、見下す対象の自分が、問いかけたりしたのが逆鱗に触れたのだ。”

真奈美はガシッと愛子の胸元を掴んだ。
再び片手が振り上げられる。

”またぶたれる!”
そう思って身構えた時、すっと真奈美の振り上げた手を掴んだ者がいた。

それは何と、、、百合河ありさだった。

真奈美は自分の手が制されたことに気づき、振り返った。
百合河ありさの姿を見て、彼女は心底驚いていた。

今や、教室内の生徒達全員が、愛子、真奈美、ありさの3人に注目している。

「何?」
そう一言言って、真奈美はありさに笑顔を向けた。

平静を装っている笑顔である。
内心はかなり怒っているに違いない。

「瀬利沢真奈美さん。やりすぎです。」
真奈美の手首を掴んだまま、ありさは静かにそう言った。 

真奈美の辛うじて取り繕っていた笑顔が消え失せた。

「放してよ!」
真奈美はありさの手を振りほどいた。

「申し訳ないけど、あなたには消えてもらいます。
時間軸における第Z軸空間の出現要因と特定しました。」
ありさは、何やら意味不明なことを口にした。

しかし、それ以上にあり得ないことが起こっていることに、愛子は気づいた。

真奈美が固まっている。
いや、教室内の生徒達全員が、完全に動きを止めているのだ。
呼吸さえしているように見えない。
まるで、時が止まっているかのように。

”いや、本当に時が止まっている?”

しかし、ありさは普通に動いているし、愛子も自身の体を動かせている。

愛子とありさ、2人以外の時間が止まったのであろうか。

困惑している愛子に対して、ありさは冷静であった。

何が起こっているのかはよく分からないが、愛子は、ありさが特殊能力的な何かを使ったのだと悟った。
一気に、目の前のクラスメートが恐ろしくなった。

ありさは、怯える愛子に目線を合わせた。
そして、またもや意味不明なことを言い出した。 

「驚かせてしまってすみません。
ですが、安心してください。
あなたを、斎藤愛子を、たった今救護対象と認定致しました。
必ずあなたを救います」

”救護対象?
救う?”

何やら大層な言葉が出てきて、ますます愛子は混乱した。

「あの、ごめん。
言ってる意味、分かんないよ。
それに、何で私達以外、みんな時が止まってるの?」
愛子はやっと絞り出した声で問うた。

「時を止めているのではなく、一時的に私達2人以外の時間の流れを遅くしているのです。
時の流れは止めることも遡ることも出来ません。
私達2人の目から見たら、今こうして止まっているように見えても、非常に低速度で動いているのです。」

ありさのその言葉に、愛子は頭を抱えた。
言っていることはまぁ何となく分かる。
けれども理解が追いつかない。
そんなSFのようなことが現実に起こり得るの?
まるで、夢を見ているかのようである。

困惑した末に愛子は尋ねた。
「あの、どうしてこんなことするの?
あなたは一体何者?」

「私は、世界を変えないために、ありのままの世界を維持するために動く組織の者です」
ありさが静かに言った。

「世界を変えない?」
愛子は首を傾げた。 


「あなたは、パラレルワールドという言葉をご存知ですか?」
ありさは唐突に質問を投げかけた。

「パラレルワールド、、、。
聞いたことある。
確か、この世はいくつもいくつも世界があるんだよね。
オカルトなのかエセ科学なのか知らないけど、ネットで読んだことはあるよ」
愛子はしどろもどろになりながらも答えた。

「オカルトでもエセ科学でもありません。
事実です。
この世は、そのものがパラレルワールドなのです。」
ありさはそう言うと、話し始めた。

「この世は、様々な選択に満ちあふれています。
あなたが朝食に何を食べるか、昼食に何を食べるかといった選択はおろか、右足から歩き始めるか左足から歩き始めるか、といった微細な行為に至るまで、、、、
その一つ一つにおいて、違う世界線として分岐していくのです。

パラレルワールドは無限に存在すると言われています。
ですから、物理法則に反しない限り、この世に起こり得ない事象など存在しないはずなのです。

私が今、コインを100回投げるとしましょう。
そしたら必ず、100回分の表と裏の組み合わせ分、つまり2の100条個分のパラレルワールドが出現するのです。

つまり、私がコインを投げる前から、コインが全て表になる事象も、裏になる事象も、表と裏どちらも出る事象も、必ず起こることだと決まっているのです」

愛子は話を聞きながら、数学の確率の問題を思い起こしていた。

「まるで確率みたい。
分母が全パラレルワールドの数を示していて、分子が特定のパラレルワールドを示しているみたい」
ふと思ったことを口にすると、ありさは頷いた。

「当にその通りです。
パラレルワールドは、全ての起こり得る事象を示しているはずなのです。
しかし、1つだけ、制御されている事象があります。
本来ならば、存在しているはずの世界線なのですが、存在しないように制御されています。
私達組織の者によって」

「どういうこと?
そんなことしたら、まずいんじゃないの?」
愛子は眉をひそめた。

一回の素人でよく分からないが、無理矢理世界の事象を制御するなんて危険なことなのではないか、と愛子は何となく思ったのだ。

ありさは首を横に振って話し始めた。
「いいえ。制御しなければならないのです。
その世界線を存在させてしまったら、全パラレルワールドの空間を侵食し、世界は消滅してしまいます。
その世界線のことを、私ども組織の者は、第Z軸空間と呼んでいます。
そして、この、今あなたが生きている世界線はいずれ、第Z軸空間に派生していくことが予測されているのです。
ですから、それを阻止するために、私達は第Z軸空間を生み出す重要な事象の分岐点で、生み出さない方向に分岐するよう事象を操っているのです。

単刀直入に申し上げますと、あなたは、第Z軸空間派生のための重要な分岐点となるのです。
Z軸空間は、あなたがイジメを苦に自殺した後の世界となっています。
ですから、私にはあなたを救い守り抜く任務が課せられています。」 

愛子は黙って聞いていたが、何となくその話に違和感をおぼえた。

「ごめんなさい。よく分からない。」
そう口にしてみて、違和感が何なのか気づいた。
愛子はそれをそのまま、ありさに尋ねた。

「話を聞いていて、2つ大きな疑問が残ったよ。

まず1つ。
事象を操るとか言ってるけどさ、この世界で私を救うことができて、私が自殺しない世界線になったとしても、
また私が自殺した世界線が分岐して生じるんじゃないのかな。

さっきのコインみたいに。
コインを投げた瞬間、表になる事象と裏になる事象に分かれるって言ってたじゃん。
じゃあ、私を救ったとしたら、その瞬間、私が自殺した世界線と、救われる世界線に分かれるんじゃないの?
だとしたら、私を救う意味あるの?
結局、私が自殺する世界線は生じるわけだよね」

ありさは、暫く黙っていた。
不意をつかれたかのような質問に閉口しているようにも見えた。

それから、言いにくそうに口を開いた。 
「これが、、、そうでもないのです。
私達組織の者が介入した場合、起こり得る世界線は消滅するようになっているのです。
つまり、あなたを救った場合だと、その反対の自殺する世界線は消滅してしまうのです。
世界線が分岐しないように制御することができてしまうのです。
その理由については、私自身もよく分かりません。
組織からは、そのように教えられてきましたから。」

その答えに、今度は愛子が閉口した。
本来は分岐していくべき世界線を、1つに絞るだなんて、そちらの方が危険な行為なのではないだろうか。
そう愛子は思った。

本当に、この組織とやらは、世界のために動いてくれているのだろうか。

不信感がつのった時、ありさに質問を促された。

「それで、2つ目の疑問というのは?」

そこで、愛子は自分が2つ疑問があると言ったことを思い出す。
2つ目の疑問は、、、

「2つ目は、、、何で私なの、、、かな?
そのZ空間とかいう世界はさ、私が自殺したことがきっかけで生じてしまうの?」

愛子の問いに、ありさは答えた。

「大まかに言うと、そうなります。

バタフライ効果という言葉を聞いたことがありますでしょうか。
一見、何の脈絡もないように見える些細な事象でも、巡り巡って大きな出来事に繋がってしまうという、そんな意味ですが。
そんなことが、パラレルワールドにおいては常識のことのように起こります。
あなたの自殺といった事象も、世界規模で見れば微々たる出来事なのかもしれませんが、計算上、それが巡り巡って最終的には第Z軸空間の派生に繋がってしまうことが分かっています。」

愛子は頭を抱えながら話を聞いていたが、まだ腑におちない点があった。

それをそのまま口にする。
「ごめんなさい。まだ分からない。
計算上って何かな。
そんなことが計算で分かるのかな。
それに、私を助けてくれるのは嬉しいんだけど、そんなまどろっこしいことしなくても、Z空間とやらの直接の原因となる事象を排除すればいいんじゃないの?」

「計算については、、、申し上げることができません。
組織内の守秘義務に該当しますので。

それから、あなたを救う理由ですが、単純に直接の原因を排除するのはリスクが大きく、この全パラレルワールドをより不安定な状態にさせてしまうからです。

さっきも言いましたが、この世は、本来ならばZ空間が存在してこそ安定するものなのです。
ところが、そのZ空間というのは非常に危険であり、存在してはならない世界線である、というジレンマを抱えています。
ですから、私どもにより制御され続けZ空間の存在しないこのパラレルワールドは、今現在とても不安定な状態にあります。
ちょっとした事象の操作が世界の崩壊を導きかねないのです。

ですから、些細な事象の制御やわ重ねることでしか、Z空間を制御することができないのです」

愛子はそこでやっと納得した。

先ほどから、ありさの口から何度も出てくる”些細な事象”というのは、愛子の自殺のことを示しているのだろう。
自分の自殺が、些細な事象だというのは何とも悲しいことではあるが、世界規模で見たらそうなるのだろう。
愛子はそう思って密かにおち込んだ。

それから、ふと疑問が湧いてきた。

「そこまでして抑制しなきゃならないZ空間って一体、、、どんな世界なの?」
愛子は疑問を口にした。

「ごめんなさい。
それについても、、、守秘義務とさせていただきます」
ありさは、固い表情で答えた。

「、、、」
愛子はもはや何も言えなかった。

色々規模の大きな話を聞かされたが、所々できちんと教えてくれない箇所がある。
信用していいのだろうか。

愛子が悶々としていると、ありさが声色を変えて言った。

「斎藤愛子さん、あなたにお願いがあります」

今まで以上にピンと張り詰めた声である。
愛子は、ついに巻き込まれるのだということを覚悟した。

「はい」
そう小さく答えると、ありさは愛子の目を真っ直ぐに見つめて言った。

「生きてください。
それがお願いです。」

「へ?」
予想外の言葉に、愛子は拍子抜けしてしまった。

そんな愛子に、ありさは真っ直ぐに視線を向けて言った。

「恐らく、あなたが若くして死ぬということ自体が、第Z空間を生む上でのバタフライ効果になると思うのです。
自殺以外にも、様々な要因で、世界はあなたの命を奪おうとするでしょう。
Z空間を生み出すために。。。

ですから、生きてください。
あなたの死は、世界の死でもあるのです。
私が全力でサポートしますから、あなたも、どうか頑張って生き延びてください」

”生きてください”
”全力でサポートしますから”

愛子は、これらの言葉を嬉しく思った。
ありさからしたら、組織の仕事のためにという意味合いであり、愛子のためという感情は一切ないのだろう。

それは分かってはいても、愛子は嬉しいと思ってしまった。

「わ、分かりました。」
愛子がそう答えると、ありさはすっと手を差し出した。

その手を握って立ち上がる。

愛子は、この頃はまだよく実感していなかったのだ。
世界に命を狙われる運命がどれほど過酷なものであるかということを。


つづく

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