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Beyond 鹿〜正倉院展とその周辺 final〜

サンダル履きの女将さんは、まずは我々が駅へ戻るバスの乗り場を
教えてくれた。その後、我々を先導して近所の石の鳥居のある神社へと
いざなった。豆比古神社と書いてある。なんて読むんだろう。まめ?
まだ夕方16:00前なのに、神社の周りは、気のせいか灰色っぽい空気に
まとわれているような気がする。

「ほんとに立派な樟がありますのでね。是非ご覧になって行ってください」女将さんはやってきた時と同じくらい自然に、我々に一礼すると例の
ふにゃっとした笑顔でサンダルをぱたぱた言わせながら、帰って行った。

正直なところ、とてもこじんまりした神社で、参拝客らしき人は一人も
見当たらない。鳥居の周りに漂っていた灰色の空気が気になったが、
ここまできたらせっかくだからと鳥居をくぐり、中に入って行った。
神主さんもいない。社務所の近くにまあまあ大きな木が生えていたので
「ねぇねぇ、これじゃない?」というも、知人は「そんなわけないでしょ。あ!ほら、大樟はこちらって貼り紙あるよ」

和紙に筆で書かれたようなその貼り紙も、頼りなげにへなへな揺れている。元来がチキンな性分のわたしは「えーー、これの裏手に行くのか……」と
正直なところびくびくしていた。

落ち葉が積もる細い裏道を少し歩くと、前方に「あれかな?」と思われる
木が見えてきた。和紙の紙垂を幹に巻きつけているので間違いなさそうだ。でも、思ったより割と細身の木なような……?と思いつつ近づいて行った
わたしは、木まであと1メートルくらいになったとき、動けなくなった。

その木は遠目からは予想もつかないほど、堂々とした幹をもち、何より
体の半身が、切り立った崖のようになっているところにはみ出て立っているのにも関わらず、折れることも枯れることもなく、空へ空へと枝をわさわさ
と伸ばしているのだ。あの高さの木を支えるには、どれだけ広く深く
根を張っていないといけないんだろう……。

建物で言うところの半地下のようになっている、くぼんで低くなっている
空間が木の根っこの周りにある。誰もいない。動物もいないし、音もない。
それなのに「ダメだダメだ、あっちには行っちゃダメだ」と私の頭の中で
声がする。

結界

それが単なる概念でなく、まさにそこに、ある。

畏敬・畏怖の念という言葉の本当の意味を、身をもって感じとる。

間違っても「あー、ここすごいパワースポットじゃん♡」などとは
口が裂けても言えない。そんな軽々しい言葉は頭をかち割りたくなって
自分をただ虚しくするだけだ。
私に霊感は1ミリもない。
いわゆる「そういう」体験も一度もしたことがない。
それでも「ああ、そこにおわしますか」としか言えない空気に
その場は確かに包まれていたのである。

「だめだ、だめだ。無理無理。ごめんなさい、ごめんなさい」を連呼して
知人の上着の袖をギュゥっと握りしめながらご神木に近づく。
「こんにちは。姿を見せていただいてありがとうございます」と
いいながら、ザラリとした幹を一撫でさせて頂き、また知人の上着の袖を
ギュゥっとしながら、元来た道を帰った。気づくと私は泣いていた。
何の涙かなんてわからない。でもただただ静かに「在る」本物に
お会いした、という気持ちだけが残った。

知人は割とへらへらして(そこが彼女のすごいところでもある)放心状態の私を連れてバス停へ。大通り沿いのバス停には、ちゃんと夕陽が届いて
いた。「ああ、人間の住んでいるところに帰ってきたな」と思った。

そこからはもう俗世界(いい意味で)しかなかった。ローカル線で京都まで出て、そこから新幹線に乗るわけだが、初日も2日目も、ある意味食べ物に恵まれてしまったため、大事な目的の一つでもあった、柿の葉寿司を食べていない。しかし、電車に乗り遅れたらどうしようという恐怖の方が勝る私は「いいよ、いいよ。色んなこと十分堪能したから」というも、こういう時
許してくれないのが我が友なのである。「まだ時間あるし、改札の近くで
売ってるから買っていこうよ」(もしかして自分が食べたいんじゃ?)


"炙り"という文字にも極めて弱い私は、秋限定らしい炙りバージョンと
普通バージョンを一箱ずつ買う。どっちかを次の日のお昼に職場へ持って
いこうと密かに企て、ほくそ笑む。何て豪勢なお弁当なのかしら。
知人はオーソドックスなのを一箱。どうやら、こちらも「新幹線の中で
ビールと共に食べよう」と思って脳内麻薬がでていたらしい。
やはり極めて俗っぽい我々。

京都で乗り換えて、知人は私がトイレに行っている間に、親戚の集まりに
持って行かなくてはといって、お土産を物色しにいった。奈良に行った
のに、京都でお土産を買う友。そしてトイレを済ませた私は、ホーム上の
売店で売られていたソフトクリームをどうしても食べたくなり、買った。
どっちもどっちだ。ココアも好きだけど、ソフトクリームも好きなので
ある。「チャレンジしてからジャッジする」と同列に並べていたのが
「自分が欲しいものを欲しいと意思表示する」という目標だったので
(終盤になって急にでてきたな)自分を十分甘やかして満足した
旅の締めくくりとなった。

そういえば、奈良で電車に乗っている時、町や公園内を歩いている時、
とても興味深かったのが、制服を着ている男子高校生(たぶん)の革靴が
軒並み、ぴっかぴかに輝いていたことだ。奈良では、男子たるべきもの、
靴はぴかぴかを旨とすべし!みたいな気風があるのだろうか。まあ、私の
事なので「不思議だなー。すごいなー」とは思えど調べないと思われるが。

-そして、後日談-

神社を教えてくれたお食事処で遭遇した(むしろ邂逅した、といいたい
ほど)ほうじ茶はあっという間に飲み終わってしまった。そしてあの香りが忘れられない私は、お食事処の女将さんにメールを送り、お茶屋さんの連絡先を教えてもらい大量に注文したのであった。

そのお茶屋さんも、年内の営業日ぎりぎりの注文になったにも関わらず、
しかも初めて注文するお客さんは料金先払い、をうたっているにも
関わらず、「年末年始にあのほうじ茶を頂けたら最高」という私の願いを
叶えてくださり、ご厚意により早めに届けて下さった。そしてその請求書が入った封筒にはお孫さんのだろうか「ありがとう」というキキララのハンコがぽんっと押してあった。

商売上手ではないらしいお店の人々も、少年刑務所の写真集をいそいそと
出してきてくれたおじちゃんも、鯛そうめんがどんなもんか、さりげなく
観光客に見せてくれようとして食べきれず残しちゃうおばあちゃんも。
普段通りの素顔の生活をしているみなさんの中に、ちょっとの間、混ぜて
もらったような穏やかさと気取りのなさに二日間包まれていた。

お食事処の女将さんにメールをした時、あの大樟の事を書いた。返信には
「鹿や大仏さんだけでない奈良も、少し知って頂けてよかったです」と。

控えめに言って奈良は……すばらしかった。



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