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東京虚無虚無日記。満遍なく平均点は叩き出せても特技がない人に向けて。

 2022年、私にとっての東京での一人暮らしは虚しさを孕んでいる。

 淘汰。とにかくこの2文字。全て平均値以上なのは当たり前、使い捨て。一角秀でている人だけ東京で美味い空気が吸える。

 それら以外は透明人間へと成り下がる。

 私は大阪から上京してきた。親から受け継いだ遺伝子と親が用意してくれた環境のおかげで、大概のことは大失敗することなく人並みにこなせた。

 ただここまで書いて虚脱感がじわーっと広がった。このタイトルに釣られてこの記事を開いた人もそうであろう。まぁ恵まれているといって差し支えのない環境でほどほどの競争をしてきただろう。

 でもこの東京というフィールドでは満遍なく点が取れて平均が強い奴よりも、一科目100点取れる奴が勝つ場所なのだ。正直私は東京のカスのような養分である。

 そこそこの都市から出てきた人は感じやすいと思うが、東京23区には空白がない。「○○区男子・女子」みたいな擬人化をイメージしてもらうと掴みやすいと思うが全てにイメージがくっつけられている。中々異様だなと住み始めてすぐに感じた。
 山手線のどの駅降りても「ここはこういう場所でこういう人が集まります!」という空気が街全体をほんのりと色づけている。

 正直、今まで何者かになりたいという思いを持ったことは無かった。
 でも今は、何者かになりたい。何者でもない者にとってこの場所は冷たい。

 恋人を作るのも、とてもシビアな時代になってしまった。tiktokを開けば可愛い女の子が半裸で腰を振って、イケメンが腹筋見せながら花束を持って笑いかけてくれる。本来交わらない世界線が日常に浸透し続け麻痺をしてしまった。

 正直、こんなものは虚像と加工だと思いたかった。
 幸か、不幸か、さっきまで画面の中にいたような人が、東京のエリアを絞ればゴロゴロいるのである。涙袋プルプルの激かわ量産系女子は新宿に、韓国風イケメンは渋谷、港区お姉さん風は有楽町(真の港区お姉さんは歩いていないので)。数千フォロワー程の絵師、グルメ系アカウント、購入品紹介。飽和。

 少しの欠点で容赦なく切り捨てられ、空いた席に誰かが座る。
お前がそういう目で他人のこと見てるから、そんなこと思うんだろうって言われるかもしれない。そうなんだろうな。自然淘汰当たり前。ちょっと悲しくなっただけ。


 多様化、とは言われたものの無個性組は母数が多すぎて非常に苦しい競争を強いられることになる。レッテル・ラベル・タイプ分け。聞こえは悪いが私たちのアイデンティティを守ってくれる。この人で溢れかえった場所で自分の椅子を確立出来るなら「茶色系女子」でも「地雷系女子」でもなんでもいいからとっとと、何かに身を包んで。この柔く脆いものを守りたい。

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