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「おしべとおしべ」第1話:創作大賞2023

あらすじ

自身のセクシュアリティに悩んだ末精神疾患を発症した「僕」は、ある日から「私」として生きることを決意する。
絡まったのは3人のおしべ。

穏やかな性格の年上男性、ツクシ。
ずっと憧れだった幼馴染、アサガオ。
パトロンの老人、バラ

禁断の愛への堕落。
その果てで「私」が目にしたものとは?

同性愛の蜜と闇を描いた陰鬱BL。(151文字)

【プロローグ】

「私」は、花が好きでした。特に、ドクダミの花が好きでした。大学の湿地に生えていた、ドクダミが。周りの人は皆、ひどいにおいがすると嫌いましたが、「私」にとっては、人間の生臭いにおいの方がよっぽど気持ちの悪いものでした。

小学5年生の頃に、先生が言っていました。

「えー、おしべとめしべは1つの花に両方入っています。で、めしべは1つの花に1個だけ、おしべは3個以上入っています。―まあ言っちゃえば、めしべは女の人で、おしべは男の人みたいなもんだな。お互いに支え合って、遺伝子を残すんだ―。」

「私」はこの世におしべとして生を受け、おしべとして過ごしました。そして、途中でめしべとして生きることを決めました。

しかし、結局そこにいたのは、ただのひょろひょろとしたおしべでした。めしべのような心を持っていても、めしべの格好をしてみても、結局、めしべになんてなれませんでした。おしべとおしべの非生産的な愛は、この世には何も生み出すことはできなかったのです―。



【「僕」】
―気付いたら、「私」の人生はドクダミにそっくりでした。
湿った地に、深い緑の中に、ドクダミはひっそりと咲きます。3つのおしべと、1つのめしべ。それはまるで、私の短い生涯を彩った3人の男性と、私のようでした。―


「僕」は、静かな町で静かに生まれた。いつまでも泣かず、結局、助産師が僕をつねってどうにか泣かせたそうだ。

「僕」は、昔から生真面目な性格で、何事にも手を抜けない子だった。母一人、祖母一人の家で育ち、その家に、子供は僕一人しかいなかった。彼女達の教育方法は間違ってはいなかったが、愛は過剰だった。僕は、強迫的思考に支配された、自己肯定感の著しく低い子どもに育っていた。

そして、成長するに従って人の目が怖くなり、心を許せる友人を作れなくなっていった。

たった一人だが、中学生の頃までは、まだ「友人」と呼べる存在がいた。それは、僕が小2の頃。母が無理矢理入れた、地元のサッカー少年団で偶然出会った男の子、アサガオ。他の子とは上手く話せなかったのに、なぜか僕らは友達になれた。
僕の家には父がいない。そして、後から知ったことだが、アサガオの父親は、妻ではない、他の女に絡まっていた。つまり、互いに、「変わった家庭」で育っていたのである。それが理由だったのかもしれない。

僕らは、中学生の頃、よく帰宅中に近所の湖まで自転車で2人乗りして行った。彼が漕ぎ、「僕」が後ろに乗って、彼の腰にそっと手を回す形になった。

「恋」とは何か
死んだらどうなるのか
アサガオの父はなぜ浮気をしたのか
なぜ人は憎しみ合うのか
僕らの関係性は何と名付けるべきだろうか

 時間のある子供の頃にしかできない、答えのない、形を持たない、とりとめのない話を、ほとりで僕らは繰り返した。
 あの頃の8月の夜の水面は静かで、きれいで、そして、とてもいやらしかった。

しかし、そんな彼との関係も、別々の高校に進学したことで途絶えた。

高校時代は、本が、唯一の友達だった。友人のいない学校生活で、自分を何とか保つために読んでいただけだった。そんな中で、夢中になったエッセイがあった。
それは、桜木イッペイというエッセイストが書いた「青い空の下で」と言う本。そのエッセイを読んで、僕は、すぐに桜木のファンになった。彼のコラムが載った雑誌や、彼が出演したラジオ音源等に片っ端から触れ、自由なイデオロギーを十分に吸収した。それは、地獄に突き落とされていた僕に降ろされた、唯一の蜘蛛の糸であった。

そういった日々の中で、

「僕」は、「『僕』の中に、男性の外見でいたくて、かつ男性の格好をした男性が好きな、『私』がいる」

という、「私」の性と、その存在に初めて気付いた。しかし、その事実は、簡単に受け入れられるようなものではなかった。

高校1年の夏、クラスの男子に、性に関連するネット履歴を見られた。弱みを握られた僕は、使い走りや小さな盗みを強要されるようになった。それをきっかけに、密かにずっと憧れていた「美少年」に、自分がなろうとするのをやめた。コンタクトを外し、眼鏡をかけ、背を丸め、できるだけ目立たないようにした。僕の中で、美少年は、女の子が好き「だからこそ」、美少年なのであった。男が好きなのかもしれないと気付いてしまった「僕」には、もうその資格はなかった。

高校2年の夏、ずっと憧れていた、子役の男の子の写真をびりびりに破いて、自分の部屋の布団の上で焼いた。母はひどく叱ったが、「僕」は、何を燃やしていたかは決して口にしなかった。検索の履歴は全部消し、メモリーカードも、データを消した後折って捨て、誇大化した自意識はあっという間に病的になっていった。家で家族揃って夕食を食べている時に、僕は急に声をあげて泣き、それを不安に思った母が僕を精神科に連れて行った。

高校3年の春、「こんな性嗜好では生きていてもしょうがない」と精神科で貰った薬をたくさん飲んだが、死ぬことはできなかった。
 死に損ねた僕は、胃洗浄後、病院のベッドにいた。自分は生きているのか死んでいるのか分からない状態が続いた。

目が覚めたら、連日母が泣きながら僕を叱り続けていた。

そして僕は

「どんなに辛い時でも、自ら命を絶つ自由は僕には与えられていない。それほどに僕は罪深い人間なんだ。」

と認識した。そして、親から離れたくて、主治医と母を死に物狂いで説得し、東京にある偏差値の低い大学に進学した。学校には、下宿先から通った。

 親から離れたことで高校の頃までの息苦しさは少し解消されたが、それは救いにまではならなかった。どういうわけか、夢にはあの唯一の友人が度々現れ、形容のし難い思いに何度も駆られた。


大学2年の秋、未来のことを考えると、ベッドから立ち上がれなくなった。何度未来を描こうとしても、黒い塊に塗りつぶされた。


―ドクダミの花は、強い繁殖力で知られています。
たとえ茎が千切れても、やがて土に根を張り、自分の種を植え付けるのです。―

「僕」は、もう限界だった。それでも

「『僕』に命を絶つ権利はない」

という、母の叱咤から作り出された強迫観念に支えられ、どうにか生き延びた。
まず今日を生き、明日を迎えること。
そして、今日が昨日になった瞬間に、また今日を一生懸命生きること、ただそれだけを心がけた。



【「私」】
そんな生活を幾月か続ける中で、あの桜木が新連載を持った雑誌に、一筋の光を見出した。「お悩み相談」という企画が立ち上がったのだ。「僕」は、現状から抜け出したいと思い、その企画に応募した。ひたすら自分の困り具合を執拗に書き連ねて担当編集者にメールで送り、採用が決まった。

誰にも話せやしなかった。友人に話せば広がる。地元になんて怖くて帰れなかった。カウンセラーにすら心を開いて自身の性を打ち明けることが出来ず、悩み抜いた末、死んだつもりで賭けに出たのだった。


「僕」は重い重い体を引きずって、彼に会いに行った。
そして、ずっと憧れていた彼に、直接自分の性をやっとの思いで話したが、まず彼の口から出たのは、


「お前はおとなしそうな顔して、実は権威主義の差別主義者なんだよ」


という言葉だった。
「僕」は酷く傷ついたが、何よりも許せなかったのは、彼が別部屋で同席していた相談者達に、「私」の性を話したことだった。
眠れない日々が続いた。震える左手を右手で抑え、怯えた胃に汁を流し込み、必死に彼の残像と戦った。

その中で、ふと、彼はこうも言っていたことを思い出した。

「もう自分がゲイだと肯定してあげないと、自分がかわいそうだよ。このままだとお前は暗くて人の幸せを憎む人間になるよ」と。

10日経っても20日経っても「僕」は彼を許せないままだったが、次第に、「僕」も「私」がひどく哀れに思えてきた。そして、

「『僕』が『私』を守ってあげなくてどうするんだ」

という自尊心が、不思議と生まれ、次第に男性同士の動画を見て自慰をすることや、街頭で男性に目をやることに、抵抗がなくなるようになった。




そして、それから3か月経った後、自分の中にめしべがあることを受容した「僕」は、「私」として生きることを決めました。ようやく、千切れたドクダミは地に根を下ろし、「僕」は「私」になれたのです。

その後、「私」は、3人の男性に根を下ろしました。



【一輪目】
―ドクダミは、強い臭気を放つことで有名です。
体液は一般的に、「強く独特な風味を持つ」と言われていますが、使いようによっては、人の傷を癒す優秀な薬となります。―

私に初めて相手ができたのは、23歳の時でした。そして、彼は34歳の、実家暮らしで小太りの男性でした。彼から「昔よく近所でツクシを取って食べていた」という話を聞いたため、彼のことを、「ツクシ」と呼びました。ツクシは、とてもおとなしく、心の優しい男性でした。ツクシにも父がいませんでした。私は、彼の、圧迫感を全く感じない喋り方に、強い好感を抱きました。

はっきりしないところに、もどかしさを感じることもありましたが、私がどんなに我が儘を言っても、暴れても、きつい言葉を使っても、傍にいてくれたのはツクシでした。私はツクシに、全てを話しました。「僕」だった頃のように、己を隠して生きる必要性がなくなったのです。ただ一方的にしゃべる私の話を、ツクシは飽きもせず、いつまでも丁寧に聞いてくれました。

その後、私達は同棲生活を始めました。彼は私によく、「君と一緒にいるだけで心が安定するから今が一番幸せだよ。君が思ってるより、君は十分周りの人を幸せにしてると思うけどなあ。」と言ってくれました。しかし、私は、正直言って、彼の人となりにも、顔にも、格好にも、性的な魅力は一切感じませんでした。性的な行為に至ることはほとんどなく、その関係性は、私が昔から思い描いていたような、「燃えるような恋」とは真逆のものでした。

ツクシに出会うまで、私はネット上から顔で選んだ男性数名と、交流してきました。

しかし、自分とは合わない人が多く、
「自分の意のままに動けば、心身もろとも食われる」
と恐怖すら感じた私は、精神科に引き続き通いました。けれど、不安と恐怖は止まず、次第に薬の量が増えていきました。そこで、安定した精神を持った優しいツクシを選ぶことにしました。
私は、ツクシに逃げたのです。

―ツクシは根が深いことで知られ、その深さから「地獄草」とも呼ばれています。―

ツクシは、私が思っていた以上に成熟した男性で、ずいぶん私を甘やかしてくれました。明らかに私が悪い場合でも、自分が謝り、私が他人を怒らせてしまった時も、私の味方をしてくれました。何かを決めるときは全て私の意見を先に聞き、それに近いものを選んでくれました。
しかし、私はそんなツクシに度々当たりました。自分の意見を主張しない様子が、まるでかつての自分のようだったからです。
私は、今まで自分が傷つけられてきた言葉達で、ツクシをなぶりました。ツクシは、一度も言い返すことはありませんでした。ただ最後に、「ごめんよ」と言うだけでした。

―ツクシはすぐに大きくなり、「スギナ」になっていきます。色が変わり、固くなり、やがて食用ではなくなります。―




脈絡もなく、「別れたい」とツクシはうつむいて言いました。


「どうして」
私は引き止めました。
彼は
「距離が欲しいんだ」
とだけ言いました。私もそれ以上は言えませんでした。彼は、その後何も主張することなく、部屋を去っていきました。

私は、思ったより冷静でした。大学卒業後、発達障害の診断が下りていた私の収入は月12万円ほど。生活はぎりぎりだったため彼の所持品は全てリサイクルショップに売り、そのお金で安くて小さいアパートへと居を変えました。ツクシと言う安定剤が消えた今、それらは彼の魂が染み込んでいる気がして、煩わしかったのです。(4794文字)

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