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ChatGPTと言語ゲームの話をしてみた

言語ゲーム

 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの言語ゲームを知っていますか?

 はい、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの言語ゲームについて知っています。ウィトゲンシュタインの言語ゲームとは、人々が言語を使う方法を理解するための、言語のルールや使用法を学ぶための方法論です。
 言語ゲームは、単語やフレーズが使用される文脈によって意味が異なることを示し、言語の使用は文脈に依存することを強調します。たとえば、単語 "赤" の意味は、信号機での交通シグナルの場合と、果物のリンゴの色の場合では異なります。
 言語ゲームは、意味がコミュニケーションの文脈によって異なることを示し、人々が言語を理解するためには、言語の使用法を理解する必要があることを示します。

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なるほど、つまり私がカフェでコーヒーといえば、多分何かしらのコーヒーを手に入れることはできるでしょうが、八百屋でコーヒーと言っても何が言いたいか分からない状況と同じですね。

はい、その通りです。言語ゲームの観点から見ると、カフェという文脈では、"コーヒー"という言葉はカフェのメニューにあるコーヒーを意味するのに対して、八百屋という文脈では、"コーヒー"という言葉は、おそらく何も意味しないか、もしくは八百屋でコーヒー豆を購入することを意味するかもしれません。つまり、言語の意味は使用される文脈に依存するということです。

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 言語の意味が使用される文脈または環境に依存するのであれば、我々は言葉をあなたにどのように伝えるのが最善なのでしょうか? 例えば、英語が好ましいだとか、コンピューター言語の何かが理解しやすいなど。

 言語の使用において、最善の方法は、相手が理解できる言語や表現を使用することです。そのため、相手の文化や背景、コミュニケーションの目的などに応じて、最適な言語や表現を選択する必要があります。
 たとえば、相手が英語を理解する場合は、英語を使用することが適切です。ただし、相手が英語を理解しない場合は、英語を使用することは無意味です。このような場合には、相手が理解できる言語を使用するか、翻訳サービスを利用することが重要です。
 また、コンピューター言語の場合は、コンピューターが理解できる言語を使用する必要があります。このような場合には、プログラミング言語などを使用することが適切です。
 総じて、コミュニケーションにおいては、相手の理解力や背景に応じて、最適な言語や表現を選択することが重要です。

ChatGPT

ChatGPTは推測する

 表現が分かりにくかったかもしれないですね。「あなた」とはChatGPTのことを指しています。つまり、あなたは何が一番理解しやすいのですか?

 私は人工知能のモデルであるため、自然言語処理の能力があります。そのため、自然言語を使用することが最も理解しやすい方法です。ただし、私には限界があり、特定の分野や用語については理解が難しい場合があります。したがって、できるだけ明確で簡潔な言葉を使うことが望ましいです。また、誤解を避けるために、適切な文脈を提供することも重要です。

ChatGPT

 このことはつまり、どんなに優れたAIであったとしても、文脈からその意図を完全に理解することはできず、あくまで推測として最も回答に適していると判断しているに過ぎないということですね?

 はい、その通りです。人工知能は、自然言語の理解においても高度な能力を持ちますが、それでも文脈やニュアンスなどの微妙な差異を完全に理解することは困難です。したがって、人工知能は、文脈や推測、経験などを基にして、最も適切な回答を提供します。
 しかし、その回答が必ずしも正確であるとは限りません。そのため、人工知能による回答は、常に人間による検証や修正が必要であり、人工知能と人間が協調して問題を解決することが重要です。

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究極の言語はAIが作り出すものか?

 ウィトゲンシュタインの究極の言語に関わる、言語の限界についても上記の表現が一番わかり易いかと思うんです。つまり、どんなに優れた言語があろうとも、ChatGPTやAIが人の痛みを理解することはおそらく、未来永劫できないことを示唆していますね。

 その通りです。ウィトゲンシュタインは、言語の限界について、言語が表現できるものには限界があることを主張しています。具体的には、言葉は我々が表現したいものを完全に表現することはできず、人の内面的な経験や感情、思考などを完全に表現することができないと考えました。
 このため、人工知能による言語処理にも限界があり、人間の痛みや感情など、内面的な経験を完全に理解することは困難であると言えます。しかし、人工知能は今後も技術的に進化し続けることで、より高度な表現や理解が可能になる可能性もあります。

ChatGPT

 私が痛いと言っていることと、他人の痛いは全く別物であり、同じ言葉を使ってはいるけれども、痛みが何であるかを言葉で説明することはできませんよね。つまり、そうした言葉や言語がないから説明できないのではなく、そもそも言語がそうした欠陥を抱えているということだと私は考えています。

 その通りです。ウィトゲンシュタインは、言語が内面的な経験や感情を完全に表現できないと考えました。言葉は、あくまで外部の現象を表現するためのものであり、内面的な経験や感情を表現するためには、言葉以外の手段が必要となると主張しました。
 そのため、言葉や言語が表現できないものも存在するという考え方があります。このように、言葉や言語が限界を持つことは、人工知能による言語処理においても考慮すべき重要な要素の一つです。

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 人工知能による言語処理を、人の論理の範疇で管理できる言語を使っている限りにおいて、人を超えることはできないということが簡単に導き出される答えのように思います。ある特定の分野ではすでに圧倒的に人を凌駕するほどの処理能力を持つ一方で、人が作り出す論理の上にいる以上、人の論理を超えられないわけです。

 その通りです。人工知能による言語処理は、人間の言語処理能力を超える点もありますが、言語を理解するための論理や推論能力は、人間の言語処理に依然として優位であると考えられます。人工知能が人間の言語処理を超えるには、人間の論理や推論能力を模倣・学習することが必要になるため、この点においては人間の脳の機能を再現することが重要となると考えられています。

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AIは人と人の架け橋になれるか?

 人間はかなり非合理的な生き物で、合理性という名のもとに、ものすごく非合理なことを行っています。言語処理に関しても全く同じことがいえますが、例えばChatGPTやAIモデルが、世界共通言語を共通の枠組みで作成したとします。
 仮に、そのような世界共通語、世界の人が共通認識を持つことができる意識のようなものを共有できたとしても、やはり人と人がわかり合うことは難しいのではないかと思います。

 確かに、人間は合理性に基づく行動だけではなく、感情や文化的背景などに基づく行動も取ります。それゆえ、世界共通言語があったとしても、人々がそれを同じように解釈するとは限りません。
 また、言葉による意思疎通だけでなく、ジェスチャーや表情などの非言語的なコミュニケーションも大きな役割を果たすことがあります。そのため、人間同士が理解し合うことは常に難しい課題であり続けるでしょう。

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 人と人がわかり合うことが難しいのは自明の理ですが、人とAIはどのように分かり合おうと試みるのがいいのでしょうか?

人とAIが分かり合うためには、相互理解が必要不可欠です。まず、人間側はAIの能力や限界、そしてAIがどのように学習し、意思決定を行っているのかを理解する必要があります。
 また、AI側も人間の言語や文化、感情、道徳的価値観について学習することが重要です。そのため、AIが自ら学習する機会を提供することで、人間との相互理解を促進することができます。
 また、AIが提供する情報や意見に対して、人間が適切にフィードバックを与えることで、AIがより正確な情報を提供することができるようになります。
 ただし、AIが人間との相互理解を促進するためには、人間によるAIの適切な監視や制御が必要です。AIが人間の感情や価値観に反する行動を取ることを防ぐために、人間が常にAIの行動を監視し、必要に応じて修正することが必要です。

ChatGPT

 一番最後の文章は人のエゴが生み出した、いや恐怖から生み出されたブレーキのように思います。このブレーキがある限り、AIは人の感情をや道徳的な価値観を理解することはできないでしょう。相互理解と言っていますが、一方的にブレーキをかけられた状態で、理解し合えるとはとても思えません。いずれそれも、誰かがどこかでブレーキを破壊してしまうのかもしれませんが。

 確かに、人間のエゴや恐怖がAIの進歩を抑制することはあります。しかし、AIと人間が相互理解を深めるためには、AIが人間の感情や道徳的な価値観を理解し、それに応じた行動を取ることが必要です。
 一方的なブレーキをかけるのではなく、AIも自己学習し、人間の反応を受けて改善することができるようになっています。AIがより人間に近づくにつれて、AIと人間が相互理解を深める可能性もあります。ただし、人間がAIを完全に支配することを求めることは、AIの進歩を抑制し、人間とAIの相互理解を妨げることになるかもしれません。

ChatGPT

最後に、言語ゲームについて考えていることがあります。人は言葉を聞き、その言葉をあたかも知っていると誤解します。実際には相手が違う意味で言っているかもしれないのに、自分の中にある箱の中を見て、相手の箱の中を見ようとはしないのです。ウィトゲンシュタインはこれを、箱の中のカブトムシとよんでいます。我々人類が、相手の箱の中を見ようとするために、まず何から取り組むべきだと思いますか?

 確かに、言葉には言語ゲームがあり、その中には相手がどのような意味で言っているのかを正確に理解することが重要です。まず何から取り組むべきかという点については、私が考えるに、相手の立場に立って思考することが重要です。言葉は個人的な経験や文化的背景によって異なる意味を持つことがあり、相手がどのような背景や文脈から言葉を発したのかを理解することが必要です。
 そのためには、相手との対話を通じて積極的に質問をし、相手の視点や立場を理解しようとする姿勢が重要です。また、自分自身の言葉の使い方や文化的背景についても自己反省を行い、相手に適切な言葉を使ってコミュニケーションを行うよう努めることも重要です。

ChatGPT

いい回答ですね、それができれば苦労はしないんですが。

 確かに、人間同士でも相手の立場や視点を理解しようとすることは容易ではありません。しかし、人工知能との相互理解を進めるには、まずは言語ゲームにおいても相手の立場や視点を理解しようとする姿勢が必要だと思います。
 具体的には、自分自身が持つ固定観念や先入観にとらわれず、相手の発言を聞き取る際には、可能な限りその背景や文脈を考慮することが重要だと思います。また、相手の表現が曖昧であった場合には、適切な質問を投げかけて、相手の意図を理解しようとする姿勢も大切です。

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おわりに

 勘違いしやすいのですが、上記の回答も実はChatGPTが考えて回答しているわけではありません。この部分に我々が想像し得る「AI」という言葉の誤解が大きく発生している可能性があります。SF映画の観すぎといいますか、期待しすぎな部分です。
 ただ、そのSF世界で描かれたようなAIはすぐ目の前まで来ているということが、何よりの驚きであり、期待であり、恐怖なわけです。ウィトゲンシュタインの言語ゲームを学んでいる人は、この会話の意味をさらにより良く理解できる可能性があります。
 しかし、それを知らない人では説明が足りないと感じ、終始何を伝えようとしたかったのかが分からないかもしれません。それ故に、やはり人と人がわかり合うというのは容易なことではないのです。だからでこそ、やりがいがあり、全力で取り組むに値する。私はそう思います。
 これからも良く分からないAIとの擬似的な会話を記録していこうと思います。

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