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サラリーマンでも行ける‼ヨーロッパ1週間旅 モンテネグロ・セルビアの旅⑤

   さて、モンテネグロの帰路にベオグラードに2泊するプランにしてみたものの、この街には「これ」といった観光地がない。そこでまずは「空爆ビル」を見に行くことにする。旧ユーゴスラヴィアは解体の過程で激しい戦争が行われた。細かい経緯は複雑になるので省略するが1990年代初頭にはベオグラードはNATO軍の空爆を受けている。それにより半壊された建物が、戦争の記憶を消さないために壊れた状態のまま保存されている。ホテルからすぐのところだ。空爆ビルはすぐ近くに向かい合うような形で2棟。前回書いたように滞在するホテルは国会議事堂のすぐ近く、日本で言ったら霞が関あたりが空爆されたようなものだ。いかに戦争が激しかったかが伺い知れる。

 ビルの次は、東方系教会としては世界最大規模の聖サヴァ教会へ。やや街はずれにあるが歩いていけないこともない。たどり着いた教会は確かに巨大で圧倒されたが、今まさに建造中の物件で、歴史も何もなく少々期待外れ。日本でも「町おこしに」と巨大仏をつくったり、長い橋や階段をつくったりしたケースがあるが、それと同じで「とりあえずでかい物を作って話題になればいいだろう」みたいな作り手側の単純な思考が見えるのは興ざめだ。

 さて、現在地はベオグラードを時計の文字盤に例えると7のあたり。ベオグラード唯一の観光地ともいえるカレンメグダン公園は12の位置にある。手持ちの地図を見ると7から反時計回りに12に向かうトラム路線がある。これに乗って公園を目指す。途中、4のあたりと思われる場所で市場を発見したので急遽下車する。市場とはいっても生鮮食品などはなく生活雑貨や乾物が中心のようだ。お茶が売っていたので妻が土産に買い求める。「日本人かい?」と店員。「そうだ」と答えると「フクシマ?」と聞いてくる。東日本大震災と福島第一原発の事故はこの前年。今や日本で一番有名な地名は「フクシマ」なのだろうか。
 一件だけ鮮魚店がある。かなりの賑わいだ。何の魚だか知らないが1匹数センチ程度の小魚のフライが売っている。妻はこの手の物に目がない。案の定「買いたい」といった顔をしている。しかし、値段がわからない。ベオグラードにはまだ短時間しか滞在していないが、若い世代以外は英語の通用度はかなり低い印象だ。店員も客も中高年ばかり。まず通じないだろう。
 ふと、ロシア語で100が「ストー」であることを思い出した。セルビア語は一言もわからないが、同じスラブ系だし、もしかしたら通じるかもしれない。店員の親父に向かってフライを指さしながら「ストー」と声をかける「100グラム下さい」の意味だったが、ちゃんと通じたようでひとつかみのフライを紙袋に入れてくれる。

 ここからまたトラムでカレンメグダン公園を目指す予定だったが、今いる市場は、昨日食事をとったレストラン街からそう遠くないと推察できる。そこでトラムは取りやめ歩き出す。案の定、ほどなく明日のレストラン街にでる、そのままベオグラード1の繁華街へ。この通りを北へ向かうとカレンメグダン公園だ。通りは歩行者天国になっていて両脇にはお洒落なカフェなどが多い。帰りにちょっと寄ってみようと思う。
 カレンメグダン公園は、ドナウ川が眺められたり、昔の要塞跡があったりはしたがそれほど多くの見どころがある訳ではない。ぶらぶらと歩いていると、日本語で「あ、台湾だ!」と声をかけられる。私が海外旅行先でその国の名前や旗がデザインされたTシャツを購入していること、それを海外旅行先で着用していることは、これまでも述べてきたとおり。このとき私は、妻が前年に妹と一緒に行った台湾旅行で土産として買ってきたTシャツを着ていた。それを見て台湾人のツアーの一行が声をかけてきたのだ。
 一行は老若男女20数名。何人かは日本語を話せたので、色々と会話する。ヨーロッパ20ヶ国を1ヵ月以上かけて巡るツアーで、アルバニアなど珍しい国にも寄ったらしい。全員で記念写真を撮影して別れる。その後もメイン通りのカフェなどでこのツアー一行の面々とは何回もすれ違い、その度に言葉を交わした。現在まで世界60ヵ国を旅しているが、この時ほどTシャツが役に立ったことはなかった。


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