水本ゆかりちゃんの閃光

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 手術する日までもう少しとなったころ、俺はその手術からくる恐怖を紛らわせようとスマホでラジオを聴いていた。しかしこうしてラジオを聴くことができるのもあとわずかだと思うとイライラしてきた。俺はラジオアプリを閉じようとしたが、そのとき聞き覚えのある声が耳に入ってきた。

『水本ゆかりと申します。今回はよろしくお願いします』

 その声に番組の司会者が応じる。『はい、今日のゲストは水本ゆかりちゃんです! 清楚でかわいいアイドルですね~』

 それから俺は水本ゆかりと名乗った子のトークを聴くことに神経を割いた。穏やかな口調、優しさを感じさせるトーンで水本さんはしゃべった。その声は不思議なことに手術への恐怖を軽くしてくれた。トークのあとに流れた水本さんの歌もすばらしかった。ずっと聴いていたい歌だった。

 やがて番組は終わった。俺はなぜ水本さんの声に聞き覚えがあったのか考え始めた。ややあって学校でこの声を聞いたことがある、ということに気づいた。毎朝、隣の教室から聞こえる「おはようございます」の一言、ラジオから聞こえてきた声はそれと同じ声だった。俺は自分の教室の隅っこに座っていて、そこにいるとよく隣の教室の話し声が聞こえてくるのだ。

 俺はもっと水本さんについて知りたくなった。こんな気持ち、気色悪い感じもしたが、手術からの恐れを軽減してくれたから水本さんに興味を持った。そんなわけでネットで水本さんの情報をあさってみることにした。

 三日後、俺は放課後に隣の教室に行ってみた。果たして水本さんはそこにいた。ネットで調べた通りのルックスだ。現役アイドルだけに華のある雰囲気を感じさせている。俺は水本さんに近づいて言った。

「水本さん、一緒に下校してくれないか。ただ帰るだけでいいんだ」

「えっ? 私と一緒に帰りたいのですか?」

 初っぱなから俺の望みをぶちまけてしまった。手術のせいでつい余裕をなくしてしまう。水本さんは明らかに戸惑っていた。別のクラスの男子なんて未知の生き物だろう。しかし水本さんの答えは俺の予想通りではなかった。

「あなたは、確か隣のクラスの方ですよね。背がすごく高いからよく目立って見えますが」

 この一言はうれしかった。水本さんは話を続けた。

「それで、私と学校から一緒に帰りたいのですか。私が下校するときの道というと――」

 水本さんはルートの都合上、学校から出ると友達とは別れてひとりで駅まで帰っているそうだ。俺も駅までひとりで歩いているから同じルートを取れる。だが乗る電車の路線は違うから、一緒に帰れるのは駅までの道のりだけだ。

「じゃあ、一緒に駅まで帰りましょう」

 水本さんはあっさりとそう言った。男子とふたりで帰ることに抵抗はないようだ。手術を控えたこのときに神様からのプレゼントが届いたのかよ。俺は言った。

「水本さんは、オーケーなのか? 断られると思ったんだが」

「ある地点から別の地点まであなたと一緒に歩くだけでしょう。それくらいなら私にもできることです。途中で遊ぼうとか、そういうことは考えていないのでしょう?」

「うん、ただ帰るだけでいい」

「かまいませんよ。行きましょう」

 水本さんはそんなことを言ってカバンを持ち上げた。優しいのか、不用心なのか、ネット上には天然の気質があるという記事も転がっていたが。よくわからなかったけれども俺の望みは叶った。俺は水本さんと一緒に学校をあとにした。

 学校を出てから、しばらくはふたりとも無言で歩いた。先に言葉を零したのは水本さんだった。

「最近、寒くなってきましたね」

 確かに今日は最高気温が低く肌寒い日だ。とはいえそんな日は一年の間にいくらでもある。俺は言ってみた。

「水本さんは、暑いのと寒いのと、どっちが好きだ?」

「そうですね、暑いと体調に響きますが、寒い時期はフルートと相性が悪くて……中間くらいがベストでしょうか」

「秋生まれだもんな。誕生日は10月18日だし」

 唐突に踏み込んできた俺の言葉に水本さんは疑いと不信を感じたようだった。

「私の誕生日、どうして知っているんですか?」

 俺はできるだけ心を落ち着かせて言った。

「俺、水本さんのファンなんだ。だからいろいろ調べた」

「あなたは私のファン、なんですか」

 水本さんはびっくりしている様子だった。水本さんは驚きを隠さずさらに問いかけてきた。

「どこで私を知ったんです? 私はまだマイナーなアイドルで、それほど有名ではないと思うのですが」

「ラジオを聴いたんだ」

 俺が聴いたラジオ番組のことを話すと、水本さんは目を伏せた。俺は続けて言った。

「トークはおもしろかったし、歌もよかった。一回聴いただけで夢中になっちゃったよ。そんな人がどんな人なのか、気になって水本さんのファンになった」

「……あのラジオ番組、私は失敗したと思っていました。話のテンポは悪かったですし、司会の方から聞かれたことにも的外れな答えを返してしまって。収録が終わったあと、プロデューサーさんにも注意されたんです。もっと努力せよ、と」

 ラジオから水本さんの声が聞こえるまで俺は不安だったが、いっぽうで水本さん本人はラジオの収録がきつかった。もしかしたら俺よりしんどい気分になっていたのかもしれない。

「そんなことない。いい話し方だった。少なくとも俺の心はいい感じになった。水本さんはいい人だと思ったよ。歌もきれいな曲だったし」

 俺がそう言うと、水本さんは声を大きくして言った。

「ありがとうございます。私はあのラジオのあとしばらく落ち込みましたが、失敗を成功だと受け取ってくれるファンがいてくれる。とても幸福なことですね」

 俺は無言で頷いた。いつの間にか俺たちは駅にさしかかっていた。水本さんは俺に聞いてきた。

「明日も、一緒に帰りますか?」

「帰りたい」俺は答えた。

「ファンの方はなにより大事にしろと周りから言われています」

 そこで水本さんは微笑んだ。

「明日も一緒に帰りましょう」


 それから手術を受けるまで、俺と水本さんは可能ならばいつも一緒に帰ることになった。ただひたすら共に歩くだけのことだったが、手術におびえていた俺の心は安定してきた。話すことは様々だったが、俺が興味を持ったのは社会の中で働いている水本さんの話だった。

「私もアイドルとしてお金を稼いでいる人間ですから、がんばらなくてはならないことも無数にありますし、仕事に関係するスタッフさんの数も多いんです。その中でより多くの成果をあげなくては、自分も周りも落ちこんでいくんです。だから負けられないんですが……私はまだ実力が伴っていなくて」

 学校の中では勉強の成績がそこそこよくてスポーツもそれなりにできれば教師から評価されて友達もできて楽しい時間を過ごせる。しかし社会の中ではミスはできるだけ減らし、商業的にいい成績を積み重ねなければ成功できない。評価の基準がぜんぜん違う世界なのだ。ダンスを踊るために少なくない時間を使って身体を鍛え、ヴォーカルレッスンに励んで美しい歌を歌う。仕事上の人間関係にも気をつけ、ウマが合わない相手とも割り切って課題を消化する。オファーが来たら難しい内容でも受けて、やりとげるしかない。

 話を聴いていると、きつい仕事が回ってきていても、水本さんはがんばってハードルを越えていることがよくわかった。水本さんは立ち止まらず、よりよい未来を勝ち取るために常に努力していた。同い年の女の子がここまで踏ん張っているのを見ると、俺も手術を受ける覚悟が徐々に生まれてきた。

 手術の三週間前、俺と水本さんは相変わらず歩いていた。水本さんは遠慮がちに話を始めた。

「あの、恋とはなんだと思いますか?」

 俺はしばし考え込んだ。

「恋……をしたら、まあ、未来が変わっていくよな」

 とりあえず俺は考えたままの回答を言った。水本さんは戸惑った声色で俺に聞いてきた。

「未来を変えるというのは?」

「恋をしたら、その相手について考えるようになって、あの人とああしたい、こうしたいっていう望みができる。それはお互いの未来を変えようとすることじゃないかな」

 水本さんも考えている様子を見せながら話した。

「もし恋が実れば、幸福な未来が訪れるわけですか。一緒にデートをするとか、結婚するとか、望みが実現する。フラれてしまっても、それはそれで悪いほうに未来は変わりますね。もう二度と会いたくないと両者が思うかもしれない。よろしくない未来ですね」

「自分のも相手のも、未来が変わる。その未来を変えるという恋の効果は打ち消せない。それが恋の仕組みなんだろう」

「では、恋というのがギャンブルに近いんでしょうか? 互いの心がかみ合えば、幸福な未来が得られる。心がすれ違えば、嫌な気持ちが残ったままになる。よりよい結果を引き当てることを狙う、ガチャのようなギャンブルなんでしょうか?」

「うーむ、ガチャは百回連続で回せば当たりを引けるかもしれないけど、現実の恋で百回異性に告白すればうまくいくというわけでもなかろうよ。現実は残酷なときもある。リセットできるもんでもないし。なんにせよ、恋というのはその後の未来を変える危険なものなんじゃないかな。作るのも使いこなすのも片づけるのも難しい危険なもの。でもそれがあるから人は結ばれて親になって、俺や水本さんみたいな子供を残していくんだろう」

「そうですか……」

「なんで、恋について聞いたんだ?」俺は聞いてみた。

「恋をテーマにした歌を歌うことになりまして。恋について意見を聞きたかったんです。ご意見ありがとうございました。参考にします」

 水本さんは早口で言った。俺は黙っていた。俺の未来はどうなるのかわからなくて怖いが、ほんの少しでもいい未来にしたい。そう思った。自身の未来も他者の未来もプラスの方向に変えたいから恋に落ちる、ならばその恋が叶えば、すごくうれしい。

 手術の一週間前、下校中に水本さんは俺にチケットを渡してきた。

「私のライブをやるんです。けっこう大きな会場で。あなたにも是非来てほしいので、このチケットを受け取ってくれませんか?」

「その気持ちはめちゃくちゃうれしいんだけど……」

 俺は自分に施される手術について説明した。手術のあと、五感のうちのいくつかを失うこと。左足を切断すること。生活を変える必要があること。

「そんな……そこまで身体を変える手術なんですか。成功する確率は?」

「九割成功するよ。ただ、こうして水本さんと話すのも、そろそろ終わりだ。今日まで一緒に帰ってくれてありがとう。いい体験ができたよ。手術を受けるのも受けたあとも怖いけど、水本さんから元気をもらえた」

「あなたは、私とお話しする思い出を作ろうと考えて、一緒に帰ろうと言い出したんですか?」

「思い出を作るっていうか、未来の自分をしっかりさせるための下準備かな……まあ思い出と大して変わらない意味なんだろうけど、この先のいろんなことに備えて、記憶を作っておきたかった」

 水本さんは無言で俺の手にチケットを握らせた。ライブが開演するころ、俺はたぶん病院のベッドの上にいるだろう。

「このチケット、持っておいてください。私もあなたとお話しできて、よい時間を過ごせました。その証明になるチケットです」

「わかった。本当にありがとう」

 そのまま俺たちは無言で駅まで歩いた。


 ラジオ番組の司会者が陽気に言った。

『いや~、ゆかりちゃんの新曲、ヒットしてるね!』

『ええ、おかげさまでチャートのトップテンにランクインしました』

『この曲は、どういうコンセプトで作ったのかな?』

『聴いた人の未来を明るくできないかな、と思って作りました。同じ学校に通っていた方にヒントをもらったんです』

『ほほ~、もしかしたら、その子もいま、このラジオを聴いてるかな?』

『そうですね、きっと聴いていると思います』

『それはロマンがあるね~。では参りましょう、水本ゆかりちゃんの新曲……』

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