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みちのく潮風トレイル冒険録6:大六天山登山とはじめてのソロキャンプ(桃浦→女川駅)

 石巻から先は、段々旅程が立てづらい区間になってくる。田代島・網地島・金華山の離島を含む区間はいったん後回しにして、今回は牡鹿半島の根元区間を先に歩く。今後キャンプ泊を伴う行程もあり得るかと思うのでその練習として、テント一式を背負ってそれほど長くない距離を歩きテント泊をするという計画を立てた。今夜の宿泊地を牡鹿半島の桃浦という集落にあるもものうらビレッジというキャンプ場に定め、女川駅からもものうらビレッジまでの区間を歩くことに挑む。ただし、浦宿駅方面交点から渡波駅方面交点までは工事通行止めのため、通行止め区間はホームページの指示に従ってJR石巻線で迂回することとし、浦宿駅方面交点〜女川駅、渡波駅方面交点〜もものうらビレッジの2区間に分けて歩く。テント泊の練習程度の軽い行程のつもりだったのだが、これが予想外に過酷な旅になった。
 なお、この記事は実際に歩いたセクションから順番に書いていくので、各セクションの位置関係が少々分かりづらくなることをご容赦願いたい。一応、記事の末尾のリンクを辿れば南から北にセクションを辿れるようにしておこうとは思う。

Day10①:浦宿駅方面交点→女川駅

 2021年7月17日(土)
 まず、通行止め区間から女川駅側を先に歩くことにする。JR石巻線に乗って浦宿駅に降り立ち、万石浦のほとりを進む。本線に合流する浦宿駅方面交点には、通行止めの案内がある。案内では2021年3月末まで工事予定となっているが、工事が長引いているのだろうか。

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 大六天山に登る道筋は、ほとんど道とは呼べないような急な斜面で、目印のリボンテープとGPSを頼りによじ登っていく。この日は梅雨明けが宣言された直後の猛暑で、ザックに背負ったテントの重さもあって容赦なく体力が奪われていく。

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 斜面の途中で12時の時報が聴こえたので昼食休憩にしようとザックを地面に置くとヤマビルが何匹も足を這ってくる。この山にはヒルがいるのか…。荷物を開くと、行動食に持参したプロテインバーはザックの底で粉々になっていた。大六天山山頂下(標高419m地点)には鉄塔が建っていて、万石浦の向こうに石巻の市街地が美しく見える。

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 大六天山の山中を歩いていると、シカの群れが幾度となく眼前を横切っていく。たぶん、シカの多い山はシカの血を吸うヤマビルも多いのだろう。山を下っていくと、女川湾側の海も綺麗に見える。今日は天気がいい。

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 鹿柵が張り巡らされている山中を歩き続け、女川に到着。女川港の前には、震災遺構旧女川交番が保存されている。鉄筋コンクリートの建物が横倒しになっており、津波の威力の凄まじさを伝えている。

 

 浦宿駅方面交点から女川駅までの9.67kmを、3時間14分で歩いた。

09.女川→桃浦①

Day10②:渡波駅方面交点→荻浜小学校前

 女川駅の駅舎は2月の地震で被害があったようで、建物の中に入れなくなっている。おかげで猛暑の中エアコンの無い駅の待合室で列車を待つことになった。再び石巻線に乗って女川駅から渡波駅へ移動し、ここから今日の宿泊地を目指して歩く。
 鮎川への県道を進んでいくと、大六天山登山で無理をしすぎたのか疲労が足に出て両膝が痛み始める。蛤浜バス停から県道を逸れて蛤浜への階段を下っていくも、膝の痛みが限界に達して歩みが止まる。すると、階段の途中に、唐突にお洒落なカフェ「浜の暮らしのはまぐり堂」が営業していた。なんでこんな場所にカフェが…と入り口を見つめていると、中にどうぞと声をかけていただいたのでアイスコーヒーを注文、美味しいコーヒーをいただきながら膝をマッサージして小休止する。汗だくで小汚い恰好をした私はお洒落なカフェには異質な来訪者だっただろう。お店の人にどこから来たのか、どこまで行くのかと尋ねられたので今日は桃浦に泊まる旨話すと、車で送っていきましょうかと提案していただいたが、歩く旅なので…とお断りして再び歩き始める。

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 蛤浜の西隣の折浜という漁村は、戊辰戦争の際、榎本武揚率いる艦隊が仙台藩に集結した旧幕府軍を乗せて蝦夷地に向けて出航した港だそうだ。土方歳三はこの海を眺めながら何を思ったのだろうか。蛤浜漁港からしばらくは県道を逸れ、海沿いの未舗装路を進んでいく。途中、浪田浜という杉林の間にある綺麗な浜を通るも、膝は痛むし日は傾き始めるしで、写真を撮る余裕すらなかった。再び県道に戻り、膝の痛みに耐えながらゆっくりと歩いて桃浦漁港を通り過ぎ、もものうらビレッジに到着。渡波駅方面交点からここまで6.58kmを2時間10分と、膝をかばいながら歩いたおかげでだいぶ時間がかかった。

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 もものうらビレッジはテントサイトだけでなくコテージもある宿泊施設で、予約すれば漁の体験やマリンレジャーなどのアクティビティもできるらしい。が、知名度はあまり高くないのか、真夏の土曜日だというのにテントサイトに泊まっているのは私一人だけだった。最近はキャンプブームだというが、ここはキャンプ好きの人にとっては穴場かもしれない。
 荷を解き、テントを設営する。このテントは本来ロックフェスに行く際に使うために持っていたものであって、私にはアウトドア趣味があるわけでもなく、ソロでキャンプをするのは初めての経験だ。テントの中で服を脱ぐと、ヤマビルに血を吸われた跡が三か所ほどあった。

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 夕飯に用意したのは、災害用に備蓄しているアルファ米のチキンライス。登山用ストーブで沸かした湯を注いで作る。この日はプロ野球のオールスターゲームが楽天生命パークで開催される日だったので、ラジオで中継を聴きながらまったりとキャンプの夜を過ごした。
 翌朝、本来であれば鮎川方面へ牡鹿半島を歩けるところまで歩く予定だったが、朝起きても膝の痛みが引かず、やむなく断念。もものうらビレッジ最寄りの荻浜小学校バス停より宮城交通のバスに乗り、帰宅の途につく。楽しかったが体力的な課題が見えた旅となった。

10.女川→桃浦②

 次回は8月末に夏休みをとって牡鹿半島の残りと網地島・田代島を歩く予定だったが、コロナ情勢が悪化、宮城県に緊急事態宣言が発令されたため断念。残念ながら旅はしばらくの小休止となる。 

Day33:渡波駅方面交点→浦宿駅方面交点

 2023年3月21日(火)
 日付は一気に2年近く飛ぶ。
 長らく工事で通行止めだった渡波駅方面から浦宿駅方面への万石浦南岸の道が2023年頭に通れるようになったそうだ。ほんのわずかの区間ではあるが、ここを歩いていなかったことでトレイル全線が一筆に繋がっていないのがずっと気がかりだったので、早速歩きに行くことにした。
 JR石巻線を渡波駅で下車し、トレイルとの交点に向かって万石浦の入り口にかかる橋を渡る。2年近く前にここを歩いたときは、痛む膝をかばいながらやっとやっと歩いたことを記憶している。
 鮎川へと向かう県道はすっかり工事が終わってまっすぐな道が出来上がっている。現況が地図とすっかり変わってしまっていて、トレイルの目印も全くないので、鮎川方面から歩いてきたハイカーは女川方面への分岐が見つけられずに苦労するのではないだろうか。
 女川方面へと分岐する道を、万石浦の静かな水面を眺めながら歩いて石巻市と女川町の境界を越えると、こちらも大工事が行われていたようで、くねくね道だったと思われる旧道をぶったぎるように切通しが真っすぐに貫く真新しい道が出来上がっている。復興支援道路的な名目で予算がついたのだろうと邪推するが…、立派な道路の割に自動車は全く走ってこない。

 ぽつりぽつりと民家がある以外は人の気配もしないような道だが、縄文時代の遺跡を示す標識があったり、路傍に地蔵が立っていたりする。古くから人の営みのあった道なのだろう。

 道端に、何やら見覚えのあるゴミが落ちている。

 これは、現在使われているみちのく潮風トレイルのMapBookの販売が始まる以前、環境省が無償で配布していたトレイルマップだ…。この道は長いこと通行止めになっていたので、通行止めになる前に通ったハイカーが捨てたまま野晒しになっていたのだろうか…?ハイカーたるもの、ゴミのポイ捨てはいただけない。
 トンネルをくぐってしばらく行くと、トレイル本線から浦宿駅方面へのアプローチが分岐するT字路に行き当たる。ここを東に進めばヤマビルが棲むあの恐ろしい大六天山の登山道へと至るが、あの山にもう一度登りたいとは思わない。分岐点の堤防に貼ってあった、通行止めをハイカーに知らせるお知らせは剥がされて跡だけが残っていた。

 浦宿駅から石巻線に乗り、女川の町に立ち寄る。女川に訪れるのはもう何回目かわからないほどだが、駅から真っ直ぐに伸びる通り沿いには様々な商業施設が集まっている。今日は祝日ということもあり、多くの観光客で賑わっている。今週末に行われるお祭りのポスターが至るところに貼ってあり、震災の爪痕を感じさせないほどの賑わいがある。町外れの喫茶店で名物のナポリタンで昼食とした後、汽車に乗り帰路についた。

 

 今日歩いたセクションはDataBook上では3.72kmだが、おそらく工事で道が直線化されているので実際に歩いた距離はもっと少ないだろう。たった37分で歩き終えた。
 たったこれだけのセクションだが、ここを歩いたことでこの先のセクションが全て一筆につながったことになる。
 
 南側のセクションは↓

 北側のセクションは↓



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