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これから寺嫁になるわたし

わたしは、9月に寺嫁になる予定です。
婚約者がお寺の住職なのです。

お寺と言っても世の中には3つのお寺が存在し、
➀清水寺のような観光寺院、有名寺でとても儲かっている大きなお寺、
②まぁぼちぼち儲かっているお寺
③貧乏寺
以上の3つが存在します。

わたしの嫁ぎ先はいわゆる③です。
最寄り駅からは車で20分、コンビニも車がないといけないような
片田舎のちいさな ちいさなお寺。

自然が豊かでおいしい農作物がすくすくと育つそんな田舎町です。

そんな田舎のお寺に嫁ぐわたし。
婚約者だから、顔見せということで8/17-18の2日間 施餓鬼法要の手伝いに行ってきました。

施餓鬼法要って?

餓鬼(がき)と呼ばれる飢えに苦しむ死者の魂を供養する儀式のことを
「施餓鬼(せがき)」と呼びます。

施餓鬼供養で婚約者として感じたこと。

僧侶界の旧体制
施餓鬼供養は、該当の寺の住職だけでなく近隣の住職にも手伝いをしに来てもらう。基本的に複数の檀家が集まって家族ごとに法要を行うので一人の住職ではとても手が回らないからだ。

寺嫁は、法要の事前設営はもちろんその手伝いに来てくれる住職の昼食の準備やお茶の用意などを担う。

いわゆる、台所仕事は 完全に女性の仕事だった。
お昼に住職たちにだしたお弁当の片付けも女性の仕事。
お昼ご飯を食べる場所も僧侶たちは広い座敷。
女性陣は裏手。

お寺の世界では、男女の区別がはっきりついていることが当たり前なのだろうが、一般家庭に育ったわたしは、それが違和感でしかなかった。

自分で食べたものくらい自分で片付けろと思ったし、
やってもらって当たり前という態度の僧侶たちは傲慢だと思った。

それを甘んじて受け入れている女性陣にも違和感を感じた。

僧侶の世界というのは、いまだに男女区別が存在し
ジェンダーの価値観がひと世代、ふた世代も遅れているのだと改めて感じた。
特殊な世界とはいえ、現代の価値観から取り残されて
仏教が生き残ることができるのだろうか。

日に日に信仰心も薄まっていくこの時代に、自分たちの食事の片付けもできない傲慢な僧侶たちにお布施を払ってくれる人がいつまで居続けるだろう。
墓じまい、仏教離れが甚だしい昨今、僧侶の世界も現代社会に追いつかなくては いけないのではないだろうか。。など、考えたりした。

入籍前からこんなので大丈夫なのかしら、わたし。

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