見出し画像

均質化された世界で、私は苦しかった

学校。

同じ制服を着て、同じような学力レベルの子と、

同じ教室で同じ授業を受ける。

これ以上ない、均質化された世界。

個性を発揮することを、許されない世界。

先生も、友達でさえ、少し他の人とは違う自分を見せることを快く思わなかった。

自分がどんな人間か分からなくて、

どういう風に生きたらいいかも分からなくて、

常に自分という自分を偽り続けた。

他人から見られる私をいつも意識して、自分を創り上げていた。

私はこの世界でいつも息苦しくて、そしていつももがいていた。


自分がどんな自分かを表現できない。

それはどんなに苦しいことだろうか。

好きな服も着れない、メイクすら、禁止されている。

特に多感な高校生の間では、それは死活問題だった。

少し色気付いて薄い化粧をしようものなら、瞬時に友達に気づかれて揶揄される。

「あー、メイクしてる〜」

誹謗でも中傷でもない。女子特有の、陰湿なイジリ。

「本当に〇〇ちゃんって可愛いよね〜」

誰かが自分以外の誰かを褒めていると、自分はブサイクだと言われているような心地。

誰かが美しくならないように必死でけなし合うドロドロとした世界。

妬みと僻みのフルコース。

女子同士のチクチクとしたトゲがお互いの体に刺さりあった。


そんな世界の中で私は、

少しでも他よりも目立ちたい、他よりも秀でたいと、常に思っていた。

そうでなければ自分が消えてしまいそうだった。

他の人よりも体育で活躍して、他の人よりもいい大学に合格したらそれで見返せると思った。

恋愛も、勉強も運動もできる人と付き合えば友人のことを見返せると思った。

私はいつも気取っていて、お高く止まっていた。

他人を見下すことが、唯一の支えだった。

そうでもしなければ私という個性は集団の雑踏の中に消えてしまいそうだった。


見返したい、他人よりも優位に立ちたいと、その一心で高校時代を生きた。

結果得たものは、高学歴の称号と、

そしてすっからかんの私だった。


受験は成功した。負けず嫌いが功を奏した結果だった。

だが、その反面人間としての私は空洞のままだった。

見栄と、虚構で塗りたくった「自分」に中身はなかった。

あったのは果てしない渇き。そして虚無で満たされた真っ暗の世界だった。


だが、それから大学に進学して私は救われた。

どんな派手な服を着ても、どんなメイクをしても、誰にも何も言われない。

けなすどころか「私らしい」と褒めてくれる友人に囲まれた。

どんな友達と付き合っても、自由だ。

いつどこで酒を飲んでも自由。

私が好きなことをすることが許される世界にようやく辿り着いたのだ。

私は初めて自分になれた。

すっからかんの殻の中に、魂を返すことができたのだ。


私は私でも大丈夫という自信。

それがどれほど大切なことだろう。

本来その自信さえあれば、どこでも誰とでもやっていけるのだ。

だが今の日本の教育環境はそうはいかない。

もしも自分自身になろうとするならば、

均質化された世界で、クーデターを起こさなければならない。

没個性の暴力を振り回す教育体制に、

反逆の狼煙を上げなければならない。

学校は戦場で、虚構の友人関係は戦争だ。

自分が自分らしくあるためには、今、戦わなければならない。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?