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バイクとタバコの相性が良い理由

タバコが悪とされる今の時代。そしてひと昔ほどでは無いものの、バイクに対するイメージが決して良いとはされないこの時代に、このタイトルはどんな筋金入りのヤンキーが記事を書いてるのだと思われたかもしれない。

だが安心して欲しい。私は小中高と無断欠席はせず、高校時代は無遅刻無欠席無早退で、なおかつ生徒会長であった。そのくらい「不良」とは程遠い人間である。


昔ほどタバコやバイクが良しとされない時代に、わざわざそれらを嗜む人間が何を考え、どう感じているかを、noteというマイノリティに寛容なプラットフォームなら受け入れてくれるのではないかという願望で筆を取ることにした。


私がバイクに乗り始めたのは20歳の時である。そしてタバコを吸い始めたのは21歳だ。

私がバイクに乗り始めた理由。

というのは、また次回語らせて頂こうと思う。とてもじゃないがここでは書ききれない。

代わりにタバコを吸い始めた理由だが、本当に単純でひねりのない理由である。

世の中の喫煙者の吸い始めの理由の大半がそうであるように、

「友達」が吸っていたから私も吸い始めたのである。


だが、「たまにふかす」程度から「喫煙者」と呼ぶくらいまでになったのには、こんな出来事があったからだ。


・・・・・


私は21歳の夏、バイクで北海道を放浪していた。期間は3ヶ月弱にも及び、大抵の道民よりも北海道の各所を訪れた。

時期は9月の中ば。私は北海道の北の最果ての島、利尻島と礼文島にバイクを走らせた。ここでの旅もそれはそれはもう楽しくて、エキサイティングであったのだが、具体的な話はこれも後々評判がよければ記事にしようと思う。


利尻、礼文での旅は2週間にも及んだ。そしていざ島を離れるその日。私は島を離れたくなくてしょうがなかった。もっとこの島を堪能したい。

だがそれを「予算」と「気候」が許さなかった。10月にもなれば北海道は冬に片足を突っ込むからである。

キャンプを宿泊の主軸としていた私には、強制的に出ざるをえなかったのだ。もちろん、資金の面でも。


もっとこの地にいたい。けどいられない。この思いのままこの島を離れれば、自分の心が尻切れトンボになってしまう。

どうにかして利尻礼文に対して気持ちの面でピリオドをつけたかった。


そんな時、私の小汚いバイク用のバッグから、クシャクシャになったタバコの箱が見つかった。

これは札幌のススキノのバーで友人と飲んだ時、酒の席で盛り上がって友達からカンパしてもらったモノである。

当時はタバコはふかす程度で、友人らと酒を飲むときの肴としてしかその役目を果たさず、一人でふかしたところで不味いだけだと思っていた。

だが残り数本しかなかったのが変に貧乏根性に火を付け、もったいないからと試しに一人で吸ってみることにした。


時刻は13時を回った頃。昼飯に利尻ラーメンを堪能し、午睡にはぴったりの晴れた空。

目の前に広がるのは昨日登頂した北の富士山、「利尻岳」。


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その絶景を目の前に、タバコに火をつける。

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たった2週間しかない思い出が、次々と自分の中で綺麗に清算されていく。見た景色、食べ物、温泉、相棒のバイクと走った道、キャンプした夜、飲んだ酒、それら全てが、一吸い吸うごとに浄化していく。

自分の中で、この島を出たくないという未練が、良い思い出をありがとうという、「感謝」の念に変わっていった。


ふと目を下に向けると、利尻礼文、そして広大な北海道を一緒に走り抜いた相棒がたたずんでいた。

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毎日当たり前のように跨っていた相棒だが、ここまで来れたのはこいつのおかげだと思うと、不本意にも涙が浮かぶ。タバコの煙のせいだろうか。


結局フィルターギリギリまで目一杯吸いきり、吸い殻を灰皿に捨てた頃には、この地の未練は無事成仏され、「思い出の土地」へとうまくカテゴライズされたのである。


以上が、私が初めてタバコを吸ってトリップした初めての経験だ。

そしてこれを機に私は「ふかすだけ」から、「喫煙者」へと変化していったのである。



それからというもの、バイクで走った休憩中に相棒を眺めながら一服するのが習慣になっていった。


そして、今までバイクに乗っていて一番タバコがうまかった思い出話がある。



時を同じくして21歳の秋、北海道を放浪し終えた私は室蘭からフェリーに乗り、岩手県の宮古へ相棒と渡った。

東北を数日走らせてから東京の自宅へ戻ろうと計画していたが、10月中旬の東北が意外と肌寒かったのと、北海道の綺麗な思い出をそのままの状態で帰宅したかったのもあり、宮古から東京まで650キロの距離を1日で走りきることにした。

無論、高速代などを払う余裕がない私は、必然と何の迷いもなく下道だけの道を選ぶ。

バイク乗りの方は下道で650キロを通しで走るのが、いかに過酷なのかは容易に想像出来るだろう。

ライダーでない方も、身を剥き出しのまま乗るバイクに、650キロもの超長距離を走り続けるというのがどれだけ至難かは少なからず御理解いただけるかと思う。


宮古に到着したのは朝の8時過ぎ。


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三角木馬と評されるオフロードバイクに跨がり、私は東京へとアクセルを捻る。


昼間のライディングは正直楽しい。夏の暑さも過ぎ去り、東北の心地よい風を浴びながら順調に岩手、宮城を走り去っていく。

だが問題は日が暮れてからである。

東北、そしてこれから通る北関東は太陽が沈めば一気に気温が下がる。夏の装備しか身に付けていない私は、気温が急激に下がる日没後は死活問題なのであった。

秋の夕暮れは意外にも早い。18時を回った頃には太陽は既に地平線の彼方へと沈み、代わりに光り輝く満月が顔を出す。

気温は10度を下回り、完全に夜になっていた。

途中数分のトイレ休憩しか取っていないのにも関わらず、夕飯時にもなって、私はまだ東北の福島を走っていた。


遠い。


650キロという距離がこんなにも遠いのかと改めて実感する。

それでも大好きなサカナクションのアルバムを何周も聴きながらバイクを走らせ、栃木へと入った。


時刻は19時半。トイレ休憩で立ち寄ったコンビニで一服しながら、夕飯をどこで何を食べるかを模索していた。

せっかく栃木まで来たのだ。宇都宮餃子なんかいいだだろう。

現在のコンビニから目当ての宇都宮の餃子の店までおよそ90分。到着は21時を余裕で過ぎるだろう。腹が減って仕方がなかったが、飯は最大のモチベーションになるので、再び重い荷物を積載した相棒へと跨がる。


コンビニを出発して30分。

腹が減ってしょうがない。なにせ今日は走りに集中するためにほとんど飲まず食わずで走行しているのだ。

最後に食べたのは朝、北海道のセイコーマートで買った団子二串のみ。

腹が減ったのと夜の寒さで震えが止まらない。疲労は相当溜まっているだろう。

そう思ったのも束の間、バイクという一瞬でも油断したら死に至る乗り物に乗っているのにも関わらず、空腹と寒さで気を失いそうになった。


危ない。


宇都宮餃子まではまだ1時間以上もある。もうこの際なんでもいい。何か腹に入れねばけっこう割とマジで死ぬ

そう思った私は次見つけた飲食店で飯を頂こうと決意した。


だが物事はそううまくはいかない。東北の背骨である4号線をずっと走っていた私は、東京のように思い立ったらすぐ飯がありつけるような道を走っていないことに気づく。

大体地方都市の国道というのは、数十キロごとに街があり、そこにだけ飲食店やガソリンスタンドがある。

いわば国道のチェックポイントだ。

そのチェックポイントを過ぎてしまえば、次のチェックポイントまでまた数十キロ走らなければいけない。

私が最後に通過したチェックポイントは先ほどのコンビニ。うまくいけばあと数分もすれば次の街がお目にかかれるはずだが、飯を食うと決めた途端見つからなくなる。

それもそのはず。私は那須高原を走っていたからだ。


街という街もなく、おまけに高地であるため余計に寒い。夏用のトレッキングパンツ一枚の私には、気温5度の中70キロ前後の走行風を浴び続けるのは拷問としか言いようがなかった。

頼む!もうなんでもいい、コンビニ飯でもいいから、イートイン税を払うから、イートインコーナーでコンビニ飯を食べさせてくれ!


意識が飛ぶ寸前、ようやく緑色に輝くコンビニを見つけた。


私は無意識の内にバイクを左に旋回し、コンビニの敷地へと入る。

ふう、ようやく飯にありつける。さあバイクから降りるか…。


そう思った矢先、コンビニの奥にラーメン屋を見つけた。国道を何となく走っていたら気づきもしないであろう場所に、そのラーメン屋はあった。

寒さに冷え切った身体に、空腹の身。無論、コンビニではなくラーメン屋の暖簾をくぐった。


その店はまさに今の私のニーズを鷲掴みにしたラーメン屋であった。

ラーメン大盛り、餃子8個、ライス大盛り、杏仁豆腐付きで1100円。

金のない私に安く大量の熱々の飯を提供してくれる仏のような店だった。

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ものの数分で平らげ、しばらく体を休めたあと、暖かい店内を名残惜しそうに店を出る。

さて、腹も満たし、再出発だ。

だがその前に。


先ほどの緑に光るコンビニでタバコを買う。銘柄はキャメル。脂っこいものを食べた後に、パンチのあるタバコで食事にピリオドをつける。


満たされた胃の奥まで、煙を吸い込む。

相棒のバイクを横目に、法定速度を余裕でオーバーした車達を見ながら、満点の星空を見上げ、一服。


朝からボディーブローのように蓄積した疲労が煙を吐き出すたびに緩和されていく。


なんとなく通過してきた街を、もしかしたらもう通ることのない景色なのかもしれないと思うと、不意に感慨深くなる。そのノスタルジックさが、頭を冴え渡らせる。

空腹に耐え、疲労困憊の中食べたラーメンとその後に吸う一服は、同じシチュエーションはあれど、今後全く同じ感情に浸ることはないだろう。

この一吸い一吸いが、千年に一回、つまり一生で一度の一服だと考えると、私はただ黙って相棒の姿を見つめた。

エネルギーは満たされ、レース前のバイクのタイヤを温めるかのように、私はタバコで自身のモチベーションを再び燃焼させる。


灰皿に捨てる頃には、数十分前とは打って変わって、初めてバイクに乗るかのようなピュアな気持ちで相棒に跨った。


その後、無事に東京の自宅へ到着したのは深夜3時であった。


以上が、私がタバコが一番うまいと思った瞬間の出来事である。

詰まるところ何が言いたいかというと、タバコとバイクの相性が良いというよりかは、「タバコ」と「バイクで走らせた旅先」との相性が良いということだ。

タバコには吸うものをノスタルジックにさせる魔術がある。無論、ドラッグだからであろう。

タバコを吸う前、バイクで目的に到着しても、正直とくにすることがない。

景色を眺めても、私はよほどのことがない限り感動はしないし、トイレ休憩をしたら、あとはスマホタイムだ。飯も大体観光地価格で高くて割りに合わないものばかりで、万年金欠の私には縁がない。

これが彼女とのタンデムツーリングだったり、友人と来れば話は別だが、ソロが基本の私にとって、あくまでバイクに乗るのが目的であり、「目的地での目的」は何もなかった。


とりあえず海が見えるところ。とりあえず峠のてっぺん。目的地は設定するが、そこに深い意味はない。だから無事到着しても何もやることがないのだ。


それが、タバコを吸い始めると話は変わる。


夕暮れ時の海が見えるところに行き、日が沈むその瞬間に煙を吸う。それだけで十分なイベントになるのだ。

はたまた峠を走り、山の頂上に行く。そこから見下ろす景色を眺めながら吸うタバコは、ただのパノラマをより一層鮮やかな思い出へと彩る。


今までバイクに乗るために「目的のない目的地」を設定していたのが、喫煙者となった今では、バイクに乗るために「目的のある目的地」に行くようになったのである。

つまり、1度で2度おいしくなったのだ。


これが最大のバイクとタバコの相性の良い理由である。







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