見出し画像

私の夫は躁鬱ハシビロコウ



ある朝、目を覚ましたら、いつも隣で寝ている夫の姿はなかった。
(あぁ、トイレか…)
真横には、夜中に添い乳をした娘と、ものすごい寝相でベットから半分落ちかけてる息子がいる。
二人を起こさないように、息子はベットに引っ張り上げて、私はトイレに向かった。

まだ夜泣きをする娘に付き合い、私の頭はぼーっとしている。

メゾネットのアパートは一階にしかトイレがない。
トイレに入っているであろう夫に、トイレを変わってもらおうと、戸を叩いた。

返事はない。中を見れば、誰もいなかった。

「…あれ?」

どれだけ子どもたちが夜泣きをしても、夜中起きない自慢の夫が、朝早くにベットにいないのは、トイレしかない。と思っていた。
今までもそうだったし、夫のトイレは長い。

今日もそうだと思ったのに
トイレで用をたし、私は玄関を見た

(靴、ある)

窓の外を見た。部屋の真横にある駐車場には、我が家の愛車が止まっている。

私は首をかしげた。
我が家のアパートは、2LDK。部屋は、一階のリビングと寝室と、倉庫のような趣味部屋。
もちろんリビングのソファにも、お風呂にも夫は居ない。

正直眠い。めちゃくちゃ眠い。
もう寝ようかなぁ…でも夫の所在がわからないと、なんだかなぁ
夫は、かまってちゃんな一面もあって、時と場合によっては気づいてあげないと機嫌が悪くなるという爆弾付き。
子どもも2人産まれてれ、そろそろ子供っぽい性格も直してほしいなぁ

あと探していないのは、倉庫のような趣味部屋。

あくびをしながら階段をのぼった。

部屋の扉を開けた。

「…なんでやねん」

決して関西人ではない。しかし、言いたくもなる。
部屋の中心には、山盛りの毛布、羽毛布団、こたつ布団が山盛りに重なって山になっていた。

「これ…誰がしまうのよ…」

ため息と寝不足と疲労が口から一緒に出てきた。

布団が山になっていること以外、この部屋に以上はなかった。
あたりを見ても夫はいなかった。

あれ?本当にどこ行ったんだろう?

携帯に連絡しても、携帯は布団の上だった。

何かがおかしい。

少しづつ、不安が膨らんできた。
夫捜索から15分たった。
ベットにもどり、無駄にクローゼットも開けたけど、やっぱりいない。
頭を抱えそうになって、ハッとした
布団の山だ!
はじめはなにか探したくて、布団をぐちゃぐちゃに置いたんだと思った。
でも、そこに隠れてるとしたら?

布団を剥いでいったら、見事!
大きい体を小さく丸めている夫の背中を発見。

私は呆れながら、笑った。
本当に、こういう可笑しいことを突然やるんだから

「もう、初夏のこの時期に毛布と羽毛布団とか、汗つくからやめてよー自分で片付けてよ?」

夫から返事はなかった。
私はまた首をかしげた。え、寝てる?

「夫くん?」

背中を触ると、びっくりするぐらい、その背中が跳ねた。
びっくりしすぎて、夫を触った手を引っ込めた。

「…ど、どうしたの?体調悪いの…?」

もう一回夫の背中を優しくなでた。
夫は、怯えながら、ゆっくり、片目だけこっちに向けて

「…ぃ…怖‥怖い…怖い…」

うわ言のようにつぶやいていた。
震えながら、大きな体を小さく丸めた夫。

「…ふ、布団…かけて、嫌だ…怖い、から…」

私は、夫の豹変ぶりにどうすることもできず、布団をかけ直し、布団の山を作り直してあげた。

私の思考は一気に目が冷めた
何が合った?昨日の夜は、そのまま変わらず寝たのに…何が合った?
思い出したのは、夫が昨日の夜初めて飲んだ。精神薬。

「これが、うつ病、なの…?」

私の口から出てきた言葉は、自分でもびっくりするほど絶望していた。

布団の山を目の前にして、どうしたらいいか分からずにいたら、子どもたちが起きてきた。


どうしたらいい?でも、このままにはしておけない。

「ねぇ、子どもたちも起きてきたし、そのままだと熱中症になるよ。とりあえず、みんなで一階に行こうよ」

私の声に、少ししてから、布団の山は動き、もそもそと夫が出てきた。

顔はひどかった

顔色というか、寝ていないのか、目はうつろで、涙のあともあり、本当に顔が酷かった。

娘を抱っこして、震える夫を支えながら、一階に降りた。

夫をソファに座らせ、娘を夫の膝にのせ、テレビでアンパンマンを流し、朝食にパンを準備して、夫の隣りに座った。

「…なにがあったの?怖い夢でもみたの?」「……わからない……突然、怖くなって、ここにいちゃダメだってなって…。それで…布団いっぱい出して…」

全くわけのわからない話だった。
夫は冗談でやっているようにも見えないが、どうしたらいいか分からず、とりあえず頭をなでながら、話を聞いていた。

「…あ、ごめん…布団、片付けてくる…ごめんね…ごめんね…」
「いい!いい!いい!やめて!そんな状態なのに、布団片付けにいくとかやめて!やっておくから、大丈夫だから、ちょっとは安心して」
「…うん…」

夫をなだめて、子どもたちにパンを渡して、私は布団を片付けに行った

どうしたらいいんだろう?

布団を片付けながら、これからのことを考えたけど、どうしたらいいか全く分からなかった。

「とりあえず、親に相談しよう」

それぐらいしか、私にできることがなかった。



親に相談する時、私はトイレの中から電話をしていた。
夫に電話の内容を聞かれ「俺のせいで…」と思われて、もっと落ち込まれるのが怖かったから。

トイレの便座に座りながら、親に「夫、しっかりうつ病だった」と伝えた。
親に相談すると、親は想像以上に色々なことを教えてくれた。

親の友人がうつ病になった時の経験や、うつ病の息子を支えているお父さんの話も聞けた

「まず、病院はいってる?必ず病院は行くんだよ。薬もちゃんと飲むこと。病院代が安くなるから、自立支援は申請して、障害者手帳も申請すると、何かと便利だから。それから障害年金でお金がもらえるかもしれないから、そっちの手続きも…」
「まって、待って、待って。まったくついていけてないから。え、どうしたらいいの?」
「とりあえず、仕事辞めたばかりなんだから、所得税や国保、ハローワーク、年金の減免とか行った?」
「えー…市役所よくわかんないよー…なんか怒られている気もするし…」
「それでも行かないと。仕事できてないんだから、申請しとかないと」
「うげぇー……」

ここまで、親が言ってくれているのに、私に切迫感は何もなかった。

当時、貯金は20万くらいはあった。
夫が働いてはお金をため、仕事を辞めては貯金分だけ、ニートして、貯金が尽きたら、働きに出る。そんな生活を2回繰り返していたから、また、夫はまた、すぐ元気になるだろうと、思った。

親に相談したのは、愚痴と不安を聞いてほしかっただけなのに、なんか随分大きな話になってきちゃったなぁ。
とりあえず私は自分の両親と、夫の両親に、夫がうつ病だということは伝えた。

両実家からは資金的援助をもらって、私はまた大丈夫だろうと、どこかで思っていた。

薬も飲んで、病院にも行って、お金も余裕はないけど、色々遊びに行ったら、気分も晴れるでしょ!

そう思っていた。
でも、夫は少しづつ、イライラするようになっていた。
夫の病気は、しっかり休まないとダメな病気。
だから、家事も育児も私がやるからゆっくり休んで。と伝えてあったけど、私一人ですべてをこなすのは限界はすぐにやってきた。



夜泣きする0才児とイヤイヤ期2才児の育児を一人でするのは、あまりにも大変で、泣き続ける息子をそのまま置いて、娘をおんぶして家事をすることもあった。

そんなある日

「うるさいッ!!!!」

夫が怒鳴った

「静かにしろ!!!」

壁にものを投げつけて、机を叩いて、子どもに怒鳴りつけた

「ちょっ!なんで、そんなことするの!!」
「うるさいのが悪いんだろう!!嫌なら静かにさせろ!!」

泣き叫ぶ息子を抱きしめるしか、私はできなかった。
息子は2歳で、少し話すこともできた。
だから、余計にわがままを言って泣いている息子に、夫は我慢できなかった。

また、あるときは
どうしても手の離せないときに、息子を夫に任せたら「ママがいいー!!」と言った息子に、

「もう、そんな酷いことを言う息子なんていらない!!」

と寝室の布団に丸くなり降りてこなくなった。

一人で家事をこなしても、子どもの世話をしても、好きに休ましてあげても、好きなものを買わせてあげても、夫は良くなることはなかった。
私にも余裕がなくなっていった。
夫に怒鳴られて泣き叫ぶ息子に、私は重ねて怒鳴った。

「なんでパパにそんな酷いこと言うの!!謝りなさい!」
「うあああああ!パパごめんさないー!」
「知らん!『ごめんなさい。しなさい』って言われてする奴なんて知らん!嫌い!あっちいけ!」
「いっぱいごめんさないしなさい!!」
「うああああん!」

そんな日々が続いた。
『夫は病気だから』
この言葉が夫の行動をすべて免罪符のようにさせていた。
怒鳴られても、理不尽なことを言われても、私と子どもたちは夫のご機嫌を取るために生活した。

夫の為だけに動いて、それを損ねるものは2才児でも怒鳴りつける日々に、私は何も出来なかった。

夫を優先すれば、子どもを犠牲にしなければいけない。子どもを優先すれば、夫は怒鳴り散らし、ものを壊した。
2才児の息子は、「お菓子が食べたい」という言葉も許されなかった。

そんな地獄みたいな日々をどれだけ過ごしても、夫の病気は治らなかった。

専業主婦だった私は仕事を始めた。

スノーボードのブーツがほしい(5万)
誕生日に時計がほしい(5万)
誕生日に旅行に行きたい(20万)

どんなことでも、夫の好きなことをやらせてあげた。

それでも、夫は「仕事を始めるよ!」とは言ってくれなかった。
流石に貯金もなくなって来月どうやって生活するの?っという所まで来て私は働きに出ることになった。

その頃、同じぐらいに息子は幼稚園に通い始めた。
保育園のほうがお金が安かったが、夫が
「保育園はかわいそう…俺のせいで保育園なんて…」というので、幼稚園に通わせた。

当時、幼稚園費25,000円よりも、夫の体調を優先した。
仕事、家事、育児、そして夫の看病で、私は日々疲れ切っていた。

それでも夫の病状は良くならず、次は不眠症になり、夫のイライラは次第に増えていった。

少しでも夫の意見に、反発すれば夫は怒鳴り、家を飛び出した。
それが車の運転中だろうとも関係なしに、夫は飛び出していく。
そして、少しすると必ず帰ってくる。
帰ってきたら、恒例の私からの「ごめんね」

どれだけ夫が理不尽でも、私がすべて飲みこんで、「ごめんね」を言っていた。
吐き出せないため息と一緒に、言いたくもない「ごめんね」は、夜な夜な子どもを寝かしつけたあと、私は自分の腕をひっかき続けることで、発散するしかなかった。

私の本心にない「ごめんね」を聞いたあと、夫は不眠症も忘れたように、その日はぐっすりと眠れる。
夫の寝息が憎らしく思い始めたのもこの時期からだった。



そんなある朝、目を覚ました。

また、苦しい1日が始まる。そう思って体を起こすと、夫の姿がなかった

医師からは睡眠薬が出ているが、飲むと朝にめまいが酷く1日動くことが出来なかった。薬に頼らず寝るために、安眠できるマッサージを私が毎日していた。
仕事から帰宅して、ご飯を作り、子どもをお風呂、歯磨き、トイレ、寝かしつけ、そのあとマッサージを、夫が寝付くまでする。

さすがに何日もそんな日が続くと、私が先に寝落ちる日もあった。

そんな日は、必ずと言っていいほど、朝ベットに夫は居ない。
子どもたちを起こさないように起きて、一階に向かえば、コタツの中で寝ている夫を見つけた。

(飛び出して行ってない)

少し安心して、夫のの腕枕でもう一度眠ろうと横に入ったら、夫が起きた

「…危ないよ…」
「何が?」
「包丁があるから」

コタツ布団に隠れて気が付かなかったが、夫は包丁を抱いて眠っていた。
血の気が引く感覚を、最近よく感じる。
包丁の刃の部分を首向けて抱きながら眠っていたのだ。

「…なんで…」
「わかんない…なんか安心するから」

もう、本当にどうしていいか分からなくなった。
薬も飲んでる。病院にもいってる。
仕事も家事も育児も全部わたしがやってる。

それなのに、夫の病気は治らない。

私がどれだけ頑張っても頑張っても頑張っても、夫には何も届かない。

崩れ落ちる感覚がする。

こんなに頑張っているのに、文句も言わずに、涙も文句もため息も全部飲み込んでいるのに
『ぜんぜん頑張っていない』『お前はダメなやつだ』と心の中のなにかに言われた気がした。

その後は、あまりよく覚えていない。

とりあえず包丁をしまい、子どもたちが起きてきたから、朝の準備をして、私はトイレに篭った。トイレに入った瞬間、涙が止まらなかった。

スマホを覗き込めば、待ち受け画面は笑顔の家族写真。
夫が病気になる前の、笑顔

なにかにすがらなければ、もう立ち上がることも出来なかった。

気がついたら、家族にLINEしていた。
電話はできない。泣いているのが夫にしれたら、また病気が悪化する。

私は、夫の前で泣くことも出来ないんだ。
そんな思いがより涙を加速させた。嗚咽を噛み締めながら、LINEをした。

親は「そんなに‥深刻な状態だったなんて…」と焦り、精一杯の助言とアドバイスとお金の支援をしてくれた。

毎月の生活費を半分負担してくれて、私の働く時間を少なくすることを勧めてくれた。
私はその提案をのみ、仕事を週3に変更した。


それでも苦痛のような日々は、仕事を少なくしても変わらず続いていった。
夫の病状は変わらず、怒鳴られ、飛び出され、子どもが大泣きしてを繰り返していた。


そんなある日、一冊の本に出会った。
誰かのエッセイ本のタイトルは『2000万の借金』と書いてあった。
「自分より苦しい人の話が聞きたい」その一心で手に取った本を開くと、私は見入ってしまった
そこには『願いを叶えたければ、ありがとう愛してるを5万回言え』と書かれていた。

今まで「うつ病を治すなら〜」「〇〇円でリラックス」とか、うつ病が良くなるにはお金をかけないといけないと思っていた。

その本には、5万回ありがとう愛してるを言えばいいと。
お金もかからず、夫にも気づかれず、心のなかでずっと言い続ければ良いと。

正直、それでどうにかなるとは思ってもいなかった。

それでも、ただ救われたかった。
なんにでも、すがりたかった。

その日から、私はずっと口の中でありがとう愛してるを唱え続けた。

その夜。いつものように家族を寝かしつけたあと、やっと一人になれる時間が私は嫌いだった。
後悔と恨みと憎悪と悲しみでぐちゃぐちゃになった感情がずっとずっと押し寄せてくる。
そんな時間に、私は『ありがとう、愛してる』を唱え続けた。
指折り数えながら、700回を超えるぐらいでいつもそのまま眠ってしまっていた。

今まで寝る時間になると、一人で腕を掻きむしっていたが、それも忘れて指折りありがとう、愛してるだけ唱え続けた。

だからといって、何か劇的にかわったわけではない。

夫が怒鳴り、納得のいかない事があっても、ため息を飲み込んで「ごめんね」と言わなきゃいけないときは何度もやってきた。

でもその後の、自己嫌悪や鬱憤は、すべて「ありがとう、愛している」をいう労力に変えた。

余計なことを考えなくなった私は、夫のイライラに涙しなくなっていった。

良くも悪くも、夫の感情に、興味を持たなくなっていったのだ。

夫の感情は夫のもの。私にはどうすることもできない。
夫の感情ごときに、私が心を痛める必要はない。

いい意味で、一歩引いた感情の持ち方をすることが出来るようになった。



『ありがとう、愛してる』を続けて半年が過ぎた。

夫は相変わらず、嫌なことがあれば怒鳴り、机を殴っていた。

生活費もまだまだ両親と折半で過ごしていたが、腕をかきむしる苛立ちも感じることも減り、心の変化を実感しながら、日々を過ごしていた。


そんなある日の日曜日。

洗濯物を畳んで、タンスに仕舞っている最中に、夫が、ローソファに乗っていた2歳の娘をソファごとひっくり返した。

「何やってるの!??」
「うるさい!!そいつが悪い!!」

泣きながら抱きつきにきた娘を夫は指さした。
いつもの悪い悪い悪い悪い!もう、うんざりだ。

「どれだけ悪くてもソファから落として何かあったらどうするの!」
「どうにもならん!ちゃんと怪我しないようにやった!」
「そういう問題じゃない!!」
「うるさい!!」

ガンッ!!

顔面に痛みと衝撃が走った。丸められたタオルを顔面にぶつけられたのだ。

投げつけてきた。全力で。
メガネをかけている私は、何度もメガネ越しの衝撃は痛いと伝えているのに。
夫は私の顔に向けて投げてきた。

あ、ダメだ。もうダメだ。

力が抜けていくのがわかった。
病気前の夫なら、こんなことしない。
なにより私を傷つける。傷つけていい対象にされたことが、悲しくて仕方ない。

どうして、どうして、こんなことになったんだろう…ただ、みんなで笑って過ごすだけで、幸せなのに、それだけでいいのに…

昔の夫に戻って欲しい。病気前の夫に戻って欲しい

そんな一瞬の時間に、私の中で誰かがつぶやいた。

『じゃあ、昔の「私」はどんなんだったの?』

私は目を見開いた。

昔の私。
夫と出会った頃の中学生の私は、活発で、夫のことも追いかけわまして、男の子の喧嘩にも負けなしで、理不尽なんて絶対許さなくて。

そんな私に一目惚れした夫

それが、夫が惚れた「私」だ。

気がついたら、私は、メガネを夫に投げつけていた

「ッな!!!」
「メガネに当てんな!!痛てぇっていつも言ってんだろうが!!」

言い返されると思っていなかった夫が、体を震わせて、落ちたメガネを広い、庭に捨てた

「捨てんな!!いくらすると思ってる!!」
「俺の金で買ったものを投げつけたお前が悪い!!」
「先に物投げたのはお前だろうが!!」
「うるさい!お前が悪い!!」

夫は、どかどかと座ってる私の頭上にある小さな小物入れを、私めがけて落とした。

娘を抱きしめてる私に向かって

娘がいるのに、当たるようにものを落とした!!

私は泣きじゃくる娘を離し、キッチンの食器洗い棚を倒し、リビングの机をひっくり返した。

食器の割れる音と、子どもたちの泣き声が響き渡る。

私は夫に向き直った。

「お前が悪いんだろう!!!!!」


夫は何も言わず、外に飛び出していった。

私はソファで泣きじゃくる子どもたちを両腕で力いっぱい抱きしめた。

子どもたちは私が守るんだ
そんな思いでいっぱいだった。
少しして、いつもより早くに、玄関が開く音がした。

夫がリビングに入ってきた。
子どもたちはまだ泣いている。

絶対に謝るものか。

私を「傷つける対象」にしたんだ。
たとえ、丸められたタオルでも、こいつは、私に暴力を振るった

「…………ごめん…」

聞こえてきたのは聞き慣れたセリフ。

でも、私は言ってない。

びっくりして夫の顔を見た。

目は合わない。
暗い夫の顔。

それでも、うつ病になってから、初めて聞いた夫の「ごめん」

「、っ、…ふ、…ぁああああああ!!!」

子どもたちの泣き声と一緒に声をあげて泣いた。嗚咽も我慢せず、子どもたちと一緒に泣き続けた。

夫は、そんな私を、抱きしめることも、撫でることもできなかったけど
何も言えず、ずっと俯いていたけど

それぐらい、苦しい状態でも、夫は「ごめん」と謝ってくれた

「ご!、っごめ、んね!!つ、辛い、のに、謝らせて…!」

嗚咽と涙でぐちゃくちゃになりながら、子どもたちと夫を抱きしめた。

その後は、一通り泣いて、落ち着いて。
お互い、自分が壊したもの、投げたものを片付けた。

あぁ、お気に入りのラーメン屋が締まるときに貰ったおそろいのラーメン皿壊れちゃったな……

ゴミ袋に割れた皿を入れて、朝食がこぼれたカーペットを洗濯に出して。
夫はソファで呼吸が荒くなっていった。

「大丈夫?」
「………、こん、なに…お前が怒るなんて…思わなかった…」
「怒るよ。怖かった?」
「……こ、怖かっ…」

そのまま夫は過呼吸になった。
紙袋を渡し、抱きしめながら、背中を擦った。

「誰だって、怒鳴ったり、ものを壊したら怖いよ。だから、もうやめようね」
「…………ぅ、ん」
「よしよし、大丈夫だよ。お気に入りのラーメン皿は割れちゃったけどね」
「…………つ、辛…い」
「そうね。残念だね」

小さく縮こまった夫の背中を擦りながら、抱きしめ続けた。

夫だって、人間だ。
病気だろうと、なんだろうと、人を傷つけちゃいけない。
家族でも友人でも。

その日以来、夫が理不尽にキレることは目に見えて減っていった。


それから、病院を変えて、薬を減らして副作用に悩んで、薬を戻して、様子見て、また少し減らしてを繰り返す日々のなかで、夫の薬が1錠になった時、夫は職場でめちゃくちゃ怒鳴られた。

夫の仕事は職人の仕事で、見て覚えろ。が大半の仕事だった。

それでも、持ち前の器用さから、問題なく仕事をこなしていた。
上司も比較的優しく、難点なのは気分によって、指示する内容が変わること。
その日はタイミングが悪かった。
指示された内容で仕事をしていたら、機嫌の悪い上司に怒鳴られたそうだ。

「取り返しのつかない事をした」
「なんでそんなことしたんだ」
「指示どおりのことをしろ」
「ここはもう他の人にやらせる」

指示通りのことをしていたが、怒鳴られてしまった。
他の先輩はフォローをしてくれたが、夫には響かなかった。帰ってきてから、夫の顔は酷い顔をしていた。

「もう嫌だ……」

「……死にたい」

「楽になりたい……」

そんなことばかり繰り返し、夫はスマホで安楽死の仕方を検索していた。

あ、こりゃだめだ。
私は脳内で笛を吹き

「子どもたち。集合」

キッチンに子どもたちを集合させた。

息子はなんとなく理解していて、娘はまだ難しそうだったけど、子どもたちに夫の状態を隠すことなく伝えた。

「今パパは、病気が悪化してしまって、悲しくて寂しくてどうしようもない状態です。」
「パパつらいの?かなしいの?」
「そう。なので、今日はパパがしたいことは嫌がらずに受け止めて上げて欲しい。寂しいとき悲しい時、何してもらうと嬉しい?」「う〜…ん、抱っこ!」
「ぎゅってする!」
「ありがとう。出来る限りのことをしてあげて。ママだけじゃ足りないんだ。パパは君たちのことが大好きだから」

「お願いね」と言って、子どもたちを抱きしめた。

安楽死の仕方で、一番できそうなのはオーバードーズだったので、私はすぐに精神薬を隠した。
それから日中、子どもたちは夫にくっつき、頭を撫でたり、いつもなら抱きしめられたら逃げる子どもたちもじっとして、夫を気遣っていた。

それでも、夜には、絶望がやってきた。

呼吸は整わず、横になることも難しい。
四つん這いになった夫の背中を撫でることしか出来ない。
ぽつ、ぽつとこぼす言葉

「教えてもらってない…」

「指示通りだった…」

「今まで何も言わなかったのに……」

「どうして…」

「何が悪いの…」

「苦しい…」

アドバイスのしようがない。
上司の身勝手な性格のせいで、夫は死にかけている。

私は肯定の言葉だけかけて、側にいることしか出来なかった。
ベットに居られなくなった夫はキッチンに向かった。私も後を追いかける。
キッチンに立って、キョロキョロしている

「何を見てるの?」
「………薬、ない…」
「そりゃ隠したからね」
「包丁も…」
「隠したからね」
「………」
「何見てるの?」
「………漂白剤…」
「バカタレが。ベット行け」

息が整わない夫を無理やりベットに寝かせた。私は腕枕をしながら夫の頭を抱きしめた。

これだけ、死にたいと言っていて「死なないで」「あなたは大切な人なの」
なんて、あまりにも無責任のような気がして、そんなこと言えなかった。

だって、死にたいんだよ?
それを止める権利が私にあるの?
そんなことして、夫の人生に無理やり止める権利があるの?
頭で考えても、何も言葉は浮かんで来なかった。
死にたいというなら、いっそ止めないほうがいいんじゃないか。
そう思ったとき

「……あ、ごめん」

すっと、心に響いた言葉をそのまま夫に伝えた。

「君がしたいことは、なんだってさせてあげたし、これからもなんでもさせてあげる。」

5万の時計。7万のビンディング。15万かかる旅行。子どもたちの説得。家事育児仕事をすべて私が請け負う。なんだってさせてあげる。」

でも

「死なすことだけは出来ない」

それだけは

「させてあげれない」

ごめんね

「これは私のわがままだわ」

夫を死なせてあげることだけはできない。それを手伝うことも、見逃すことも、見届けることも。

「……わがまま、なの…?」
「そう。私のわがままなの」
「…お前の?」
「そう。だから、君のせいじゃない」
「……おれ、の…」
「違うよ。私のわがままのせいで、君は死ねないの」
「……そか…」
「そう」
「なら…仕方ない…ね…」
「そう、仕方ないね」

その会話のあと、夫はやっと眠りについた。空は白んでいたけど、やっと眠ってくれた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?