見出し画像

ギャラリーaaploit―松下みどり 個展「彼此方の」作品について by p

ギャラリーaaploit で開催されている松下みどりの個展「彼此方の」では、日本画の作品が展示されている。中でも最も大きな作品(1620×1620)に吸い寄せられた。

具象とも抽象とも受け取れるその作品の画面は、明るい色調で色数は少ないが存在感がある。それは、画面の三分の一を占める大きさで描かれた須弥山のような山が目に入ったからだ。緋色の朝焼けのような背景を背にそこにあるその大きな山は、緑の孔雀石色で、勢いよく輪郭が描かれている。幅のあるその輪郭線はまさに孔雀石のように濃淡の縞で、その内側は白く一部こんもり盛り上がってみえる。そして山海の中に聳え立つ須弥山のように、その山を囲むように海や山並みのような形が連なる。全体的には、日本画材特有の自然素材の顔料による柔らかな色調とマット感が静かな空間を作り出している。

作家松下は、その孔雀石色の山の輪郭を、熱い膠で解かれた顔料を手にとって描いたという。指の跡は縞模様となりそれは生命力のような勢いをも生み出していた。
松下は、この作品タイトルを『母子』としている。須弥山は母子の姿であった。
愛と生命の源の母子の形は、須弥山の宇宙世界とフラクタルな相似形に思えてくる。
また、この作品でもう一点気になる箇所がある。右下にある遠くからやってくる鳥の群れのような黒い影である。そしてその影は大地に接し見えないある種のエネルギーとなって拡散しているように見える。一瞬、画面のその場所に磁力のようなパワーが生じているような錯覚を覚えた。

松下は現在、京都芸術大学大学院で、日本画の顔料の研究をしているという。ゆえにその表現は、日本画材を知り尽くした上に生まれたもののようだ。
日本画とは何かと調べても、日本古来の顔料で描かれたものとあり、ただそれだけで日本画となるものなのかと筆者は不信感を抱いていた。日本画材で描かれた山の絵とアクリルや油絵具で描かれた山の絵の違いは単に画材の違いだけなのかと。
しかし松下の作品に触れ気がついた。日本画とはその画材を用いて描かれただけでなく、そのものや空間や時間、生命や自然や宇宙の日本人特有の捉え方や精神を持って描かれることも日本画の一つの要素ではないかと思えた。また、鉱物や植物の自然素材の日本画顔料を研究することは、自然宇宙の全てと繋がることでもあるように思う。
松下は、形も支持体の和紙も顔料も自分の肉体もそこに漲るエネルギーも全てが一体となり一つの作品としているのではないだろうか。松下作品の前で鑑賞者は、そこに何が描かれているかではなく、形や、色や顔料や全てが一体となったある種のエネルギーを全知覚でキャッチすべきなのだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?