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春名真歩の個展「まっすぐ歩く」展覧会評 by M

白昼夢のような 8 月の暑い日に、aaploit で春名真歩の展覧会を見た。正面は全てガラスの引き戸、ほぼ正方形の空間、前面の道路からの反射光でギャラリー内部は明るく照らされていた。
それほど広くないスペースを最大限に使ってキャンバスが掲げられている。ざっと見て 10 点くらいの作品だが、もっと多くの作品によって空間が構成されているように見える。大型の作品が 3 点、中型の作品が 2 点、小型の作品が 4 点と、床にばらまかれた大量のドローイングである。恐らくこのドローイングが展覧会の全体像を曖昧にさせている。
展示されているのは《a full scale hole》と《私の現実》の二つのシリーズである。《a full scale hole》は大きなキャンバス作品を中心に構成されており、展示空間の大部分を占めていて、最も大きな作品は横幅が 2m ほどもある。存在感があるが、威圧されるわけではなく、むしろ引き込まれるような感覚を覚える。それはモチーフが穴だからではないだろうか。抽象画の《a full scale hole》シリーズは春名の言葉に依れば、“空気を描きたかったが空気は目に見えないため穴を描いた”と。

穴を描くとはどういうことか。

《a full scale hole》シリーズの作品は全て同じタイトルである。入り口を入って右手側の最大の作品は、展覧会メインビジュアルにも使われている作品である。最初の印象は青色であり、青を基調としているように見えるが、それは最前面に青の絵具が載せられているからだと気が付く。地は黄色であり、画面の中心に三本ほどの黒い縦線が見える。前面の青の絵具に見えて
いたものは、グレーなのかもしれない。青と印象付けられたのは背景に沈んだ緩やかな楕円の青によるもので、その上から重ねられたグレーが青と交わったのではないだろうか。画面に近づいて見ると、幾重にも重ねられた作家の仕事の痕跡を見ることができる。オイルの溜まりと垂れ、少しばかりの絵具の崩壊、ここにランドスケープがあると認められる。
ギャラリー奥の壁の作品、これも《a full scale hole》である。こちらの作品の画面は黄色が主体であり、中央に背骨のような濃い紫色の筋が見える。近寄ってみると筋の上には絵具の塊が載せられており、キャンバスには実際に穴も開いている。所々にキャンバスの地が見えており、しかしながらうっすらと残る黄色の絵具、どうやら削り取ったのだろう。絵具を盛り付け、文字通り穴を掘り、穴を現した。
入り口側から見て左手側に掲げられたもう一枚の大型作品を見る。こちらは濃い緑の地に白が載せられている。中央にある穴は、縦に太い線が四本走る。穴の色は地の緑であり、表面にある白地を削り取っている。やはり掘られた穴なのだろう。まるで岸壁の壁面を削り取るかのような画面である。これらの作品に威圧感が無かったのは、穴が存在しているからなのだろう。
春名の作品は、画面の中に様々な痕跡を認めることができる。キャンバスに絵具を載せていき、削り取る。ここに作者が重ねた時間を否応なく感じる。もちろん作品は現在で完結しているが、春名は周囲の空気を感じ取り、画面に表すという。それが空気を描いているという理由でもあるが、周囲の状況と自身との対話、その時間の中で春名の作品が形を表していく。

小さな作品で構成された《私の現実》シリーズを見る。絵画の山から絵画が生まれる。レトリックのような響きだが、床に無造作に積まれたドローイング、その行きつく先に小作品がある。ばらまかれたドローイングと額装された小作品の違いは何だろうか。ドローイングをドローイングとして見れば、一枚一枚の紙であるが、全体としてこれを見ると、何かがあふれ出し、流れ出したようにも見える。無造作に床にばらまかれたドローイングは、手に取ってみることができ、壁にかけられた作品を鑑賞するのとは異なり、すかしたり、離して見たり、自分の意思によって作品の立ち現れを操作する。それは様々な形を見るとともに、自身と作品との距離と連続を意識させる。この作品群には自由な連想や、即興的に見えるが、両シリーズに通底する雰囲気がある。

春名が捉えた世界を鑑賞者は自身の経験に基づいて何かに例える。このとき作品と鑑賞者とが共通して持つ何かがあるだろうか。

春名はあるがままの世界を描いている。彼女が空気を描くということは、自身が置かれた場所について表現するということであり、具体的な形として穴を借りている。世界を表現するために裏側としての穴を召喚することで空気を描こうとするのである。春名が経験していることを記録として留め、さしずめ記憶として時間の経過を表している。それは画面に現れたオイルの垂れや溜まり、絵具の崩壊、画面の削り取り等の痕跡から示唆される。春名がやろうとしていることは世界と私の重ね合わせであり、展覧会で見せているのは各々の作品とそれらが並べられた空間であり、世界を入れ子状に表現しようとしているのだろう。

改めて展示を見渡せば穴に囲まれた空間であることを再認識する。視線をどこに投げても、ぽっかりと穴が空いている。その隙間に《私の現実》が表れる。《私の現実》も穴を描いているように見えるが、幾分様相が異なるのは、空気、穴という対象から「私」へ還ってききたためだろう。それでもなお共通しているのは、穴の底をのぞき込むような感覚である。世界を自分
のこととする作家の挑戦を示す絵画の山に迷い込んだようである。

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