愛あれば―永遠に吸えるタバコは美味いか―
死に方を考えることがある。人間いつかは死にゆくものだが、死に方はそれぞれ違う。私は静かに死にたい。ろうそくの火が吹き消されるように。
さて、最近の私の周りには、「理不尽」が溢れている。パワハラ発言、差別、暴力、全部全部「理不尽」だ。もちろん、これは私からすれば、の話だが。ろうそくの火が吹きかけられる息もまた、「理不尽」の一つかもしれない。
私は「理不尽」が嫌い。ある子の受け売りだけど、
ってあってさ、ホントにその通りだと思った。ロウソクの火も吹きかけられたくて息を吹きかけられてるわけじゃないんだよね。刺さりっぱなしで、どうすることも出来ないから消えていく。何でも同じ。
あ、でも、誕生日ケーキの上のロウソクとかって、妙に消えずに持ちこたえたりする奴がいるじゃない。燃え尽きるのを待つことなく吹いてくる息に対して、「うーん、こんなんではまだ死なん!」みたいな。投げつけられたバナナを食べちゃうブラジル人サッカー選手みたいな。
それくらい、しぶといというか、図太い心でありたいよね。
こういう理不尽、私たちに見えるありとあらゆるマイナスなことって、プラスなことの対極としてあるはず。じゃあその反対側にあるモノって何なのか。
結局「愛」なのかなって。
誰かが何かを愛せば、その他方で、どこかに、好き嫌いや嫉妬、憎悪、いろんな負の感情が生まれて。生きてれば当たり前のこと。個人的には、そんな感情が生まれること自体を否定はしない。
じゃあ愛は悪者かっていうとそれは違うかな。というか違わなきゃダメ。
大人たちってさ、「愛のムチ」だの「愛ある指導」だの言って逃げるじゃない。あたかも愛の上に「理不尽」が存在するかのような構図にしてごまかすゴミカス理論がまかり通った世界。
あと、「理不尽を止めるための理不尽」があるって言う人もいるでしょ。しょうがなさを醸し出して正当性を主張し、煙に巻くみたいなさ。謝ればいい?そういう問題じゃない。
「そこに愛はあるんか」ってさ、結構考えさせられる言葉だね。
そもそもこの世界って永遠じゃないんだ。「諸行無常」、ブッダは大変なことを教えてしまったよ。まったく。人間、やっぱり「永遠」を求めてしまう生き物で、永遠の命、永遠の幸せ、永遠の愛…。さっき言ったけど、いつかは死ぬっていう有限な時間の中で、みんな何か永遠を探してる。
じゃあずっと吸い続けられる煙草はおいしいんだろうか。違う、それは煙草じゃない。根っこギリギリまで行って、火を消して2本目に行くから煙草なんだ。じゃなきゃ美味くないんだ。
だから、多分、永遠に続かないからこそ、この世界は美しく成りうるんだと思う。永遠に続かないからこそ愛って重要なんだと思う。永遠じゃないからこそ、今隣にいる人が大切なんだと思う。今一瞬、刹那の間も、愛で満たしてあげなきゃいけないってことなんだと。
ダラダラと何が言いたいって、「理不尽」には、愛を返すべきなんだと思うって話。そんなの理想論過ぎるし、できっこないのは分かってる。でもだからこそやらないといけない。このクソみたいな世界の天井を壊すには、自分の心が少しずつ壊れていくのが分かっていながらも、愛を示し続けなきゃいけない。必要な犠牲。それをケアするのも誰かの愛。
でもね、限りある時間だから。自分の中にあるものを愛せずに、何を愛せるっていうのか。自分を大切にできずに、何を変えられるのか。「理不尽」を飲み込むだけが愛じゃない。誰かのために、自分のために、「理不尽」に立ち向かうことも、立派な愛。繊細な心がある人にしかできないこと。
この世界、まだまだ愛が足りひん。
あぁ、永遠に吸える煙草、もちろん欲しいのは欲しいんだが。