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[恋愛小説]1978年の恋人たち...16/豊島園で修行

全力で取り組んだ卒業設計は、銅賞を獲得した。例年、金・銀無しの銅賞なので、健闘したと思う。先日、賞状とメダルを受け取りに行った。
美愛に知らせたら、とても喜んでした。今度見せてねと電話口の向こうの声は弾んでいた。

その3日後、優樹はG計画研究所の応接間で面接を受けていた。
黙って優樹の卒業設計を見ていた藤田所長が口を開いた。
「今、追い込みの案件があるので、明日から来てくれますか。」
優樹「…はっ、はい。」
暫くは、のんびりしたいと思っていた優樹は、不意を突かれ思わずそう返事をした。

優樹は毎朝、西武池袋線の分線の豊島園駅で下車する。殆どの乗客は子供連れかカップルで正面の豊島園のゲートに向かって楽しそうに歩いて行くが、優樹は右側へ曲がり、東の方へ歩いて行く。都道を横断し、細い坂道を下って100m程行くと、左に大木が茂った一角があり、その門をくぐる。そこは、目白駅前にある女子大理事長の邸宅だったところで、今は建築設計事務所になっている。
内定を貰った設計事務所は、G計画研究所といった。スタッフが20名位の中規模事務所だった。その位で中規模なので、世間の感覚とは大きく異なる。
公共建築、特に地方の集合住宅のパイオニアとして、注目を集めていた。茨城・水戸市内にもいくつか設計した集合住宅があり、学生時代見学した優樹は、従来の箱形とは一線を画したデザインに惚れて、一昨年も面接に来たが、その時は藤田裕也所長に「卒業設計が出来たら、もう一度見せに来てください。」と言われた。

翌日優樹はG計画研究所へ出勤した。付いたチーフはT芸大卒の厳しい人だった。その日から、帰宅は11時過ぎだった。当然終電は無く、最初はタクシーで帰宅したが、それも禁止された。週に2,3晩は事務所に泊まりになった。学生時代から寝袋で大学の製図室に泊まっていたので、それは平気だったが、やはり無理をすると、胸の古傷が痛んだ。

美愛に仕事の話をすると、驚いていたが、土日に桃花荘に遊びに来た。近くの代々木公園や吉祥寺の井の頭公園に二人で遊びに行った。
美愛「仕事きつそうね。」
優樹「こんなもんだよ、事務所は。通勤に便利な所へ越そうと思うんだ。」
美愛「前から思っていたんだけど、あたし東京へ来ようかな。」
優樹「いいのか、ご両親は?」
美愛「おかあさんは大丈夫だけど、お父さんがね…。」
優樹「銀行はどうするの?」
美愛「東京支店もあるから、転勤願いだしてみる。」
優樹「転勤できるの?」
美愛「わからない。でも、駄目だったら、転職しても良い。ゆーちゃん、と東京で住むのもいいな。」
優樹「そんなに甘くないよ。」
美愛「何処へ引っ越すの。」
優樹「そうだね、事務所の傍か、池袋線沿いだね。」
美愛「豊島園か、いつでも行けるね。」
優樹「近いと意外に行かないものだよ。」
美愛「そうかなー。」

翌週、二人は練馬駅前の不動産屋で、物件探しをしていた。店に入ると、女性担当者が対応してくれた。
担当者「お二人でお住まいになられます?」
優樹「…えっ、えっ、まー」
美愛「はい、そうなんです。2DKくらいが良いかな。」
優樹「職場が、豊島園傍なんで、歩いて15分位のところで探しているんです。」
美愛「鉄筋コンクリートが良いな。」
優樹「高いよ。」
担当者、物件ノートをめくって探してる。「そうですね。2,3件ご案内しますね。」

いくつか下見にいったが、結局練馬駅から4駅先の石神井公園駅から10分程の、2階建ての2DKに決めた。
そのうちに、美愛も引っ越してくるので、広めにしたが、家賃は高かった。
美愛は、住む気満々だった。

優樹「すいません、ちょっと二人で相談したいので、五分ほど外で待っていて貰っていいですか。」と担当者に言う。
担当者「はぁ、分かりました。」と怪訝そうに外へ出る。
彼が玄関のドアを閉める音がする。

優樹「これ。」鞄から小さな箱を取り出す。
美愛「何?…えっ…」
優樹「美愛、僕と結婚してください。」
美愛「…。」
優樹「なかなか、渡すタイミングが難しく…今になったけど。」
美愛「…。」
優樹「ダメ?」
美愛「そんなわけ、ないでしょ。嬉しい、有難う。」
美愛、優樹に抱きつく。二人、唇を合わせる。

玄関ドアの向こうから、担当者の呼ぶ声がする。
「あのー、まだですかー」

それが、1981年3月の出来事だった。

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