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[恋愛小説]1992年のクロスロード.../14.デザインオフィス創設

登場人物
福山雅弥 : 設計事務所 所長、36歳
高峰由佳 : 雅弥の妻 コーディネート28歳
山崎直子 : CADオペレーター 24歳
清田徹  :TX大学 芸術学群建築コース 助手 高校の同級生
愛田久美子 :設計スタッフ 25歳


ハネムーン。

これも、揉めた。

雅弥は、ハワイ、オーストラリア、ニュージーランドといい、由佳は、バルセロナ、イタリア、パリということで、紛糾した。

雅弥もそれは由佳の言う所へ行きたかったが…。

独立資金を取り崩すのも、躊躇した。

由佳には、その話をして、ハネムーンについては、落ち着いてからということで、取り敢えず国内1週間で、数年後、つまり独立後に海外へ行くということで納得してもらった。

大体、藤木昌所長が、そんなに休暇をくれる訳がなかったからだ。

結婚式やハネムーン代わりの国内旅行が終わり、10月下旬から通常生活に戻った。

分室も不在の間、スタッフの柴浩一や川崎直子だけでは回らず、東京本店から応援が来てフォローしていてくれたが、停滞しそうな現場もあり、待ったなしだった。

それらの処理に1週間掛かった。

1993年当時、バブル崩壊があり、つくばの開発も次の段階への踊り場にいた、TXの終点になる、センタービル周辺はほぼ開発されており、唯一東北部の花室交差点付近の旧桜地区からから藤沢荒川沖線沿いを北へむかう旧道沿いが残るのみとなっていた。

東京本店の藤木昌所長は、住宅都市再生機構のつくば支店とその開発について、学者村、共有緑地というコンセプトで提案していた。

住宅地開発は、定型の狭小区画が一般的だが、藤木はどちらかと言えば、アメリカ的な郊外型を提唱し、広い緑地を宅地の中に、付属させて、いく方式を目論んでいた。

それには、再生機構だけで無く、地元地主や工務店・材木店も巻き込んだイベントが必要になる。

その出先として、雅弥のつくば分室がそれらの取り纏め役として動くことが、期待された。

一方、建築の方でも、校倉造型の木造を提案していた。
それまでは、住宅がメインで経験を積んでいたが、いよいよ特殊建築物への展開を目論んでいた。
国産木材の消費拡大や外材への依存率が高い問題を抱えていた林野庁が旗振りしていた。
問題は、耐火建築の性能をどう確保するかだが、建築研究所とその研究開発をしており、この時期に実物大の火災実験を行った。

結果は、一部炎の周りが早いところがあり、そこは改善することで、実用化の目安をつけた。
設計は本社で、現場の設計監理は、雅弥の分室が担当することになった。

その場所は、産総研の南側にある地域に計画された、市立小学校だった。

日本の小学校は、かつて全て全て木造の平屋造りだった。

戦後のベビーブームで児童数が多くなると、不燃化、耐震化でRC造へ移行した。

ある意味、そのふり戻しがこの時期、顕著化した。

一部では、この小学校は、先進的木造教育建築として、話題になった。

そのような、本社の出先として仕事をこなしながら、雅弥はつくばで営業展開もすすめた。個人住宅から公共建築まで手がけた。

由佳と結婚してから3年目に、独立する機会を得た。

会社の名称は、福山建築研究所とした。

当初スタッフは、CADオペレーターの山崎、事務とインテリアは由佳が担当した。

半年後に、設計補助で柴 浩一が加わった。

事務所は取り敢えず、春日にある賃貸マンションの3LDKをオフィスとした。

仕事の三分の一は、藤木昌の事務所からの住宅地開発計画絡みで、残りは一郎からマンションや店舗の設計依頼と注文住宅の設計が有り、経営は軌道に乗りつつ有った。

問題はスタッフの確保だった。

今日はつくばのTX大学の芸術学群を訪問している。

建築コースの助手をしている清田徹に求人の件で会いに来た。

徹は、水戸の高校の同級生だった。

徹「やー、元気そうだね。」

雅弥「事務所のオープンの時は、色々ありがとう。お陰様で助かったよ。」

徹「まー、どうってことないよ。由佳さんも元気?」

雅弥「うん、色々やってもらっている。」

徹「いいね、おしどり夫婦で。」

雅弥「何時も、一緒っていうのも、それはそれで大変だよ。」

徹「お前の場合は、由佳さんの監視が必要だからな。」

雅弥「そんな暇無いよ。」

徹「そうか?ははは…。」

高校の同級生には、全てお見通しらしい。油断も隙もない。

雅弥「ところで、設計スタッフ探してるんだけど、どう?いい人いない。」

徹「うん、先月東京の事務所を辞めて来た、卒業生がいるけど..。」

雅弥「ほう。どんな人?」

徹「26で、マスター修了で東京のアトリエ系事務所に2年いたんだけど、どうも厳しかったらしくて、先月遊びに来て愚痴こぼしていた。」

雅弥「いいね。聞いてみて。」

徹「じゃー、連絡してみるよ。女子だよ。」

雅弥「ああ、そう。」

それが1995年5月の出来事だった。

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