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[恋愛小説]1978年の恋人たち... 4/西新宿の超高層ビル群と彼らの事情

1978年の西新宿の超高層ビル群はまだ数棟で、一つ一つの個性が際だっていたし、それらの間には、まだ空が広がっており、一つひとつのビルが遠くからでもよく分かった。
建設順から、京王プラザホテル、住友ビル、KDDビル、三井ビル、安田火災海上本社ビル(現:損保ジャパン本社ビル)、野村ビルで、1978年には、新宿センタービルが建設中だった。都庁が出来るのは、それから10年後である。
優樹の通う工科大学は、西新宿再開の以前の淀橋浄水所があったころからあった。だから、それらとの間には、何か壁があったように感じられた。そして大学自体が超高層ビルになるのは、それから20年後である。
それらの超高層ビルに同級生たちと食事に行くこともたまにあったし、恋人の美愛とデートで行くこともあった。

超高層ビルのひとつの三井ビルとその下にあるサンクガーデンは優樹のお気に入りで、野外のテーブルで美愛と二人でのんびりデートを楽しんだ小さな公園だが、公園と言うよりPlazaという言い方が似合う場所だった。このサンクガーデンでは、筑波大の先生が率いる芸能山城組が、夏にケチャ祭りを開くことでも有名だった。優樹は、建築デザイン系の学生だからか、この三井ビルの外観が好きだった。ミース・ファンデル・ローエのシカゴ・シーグラムビルに似ている外観は、他の超高層ビルの数倍、格好良かった。
中には何でこんなデザイン何だと思うものもあったが、それが自分の趣味のせいなのか、世の中の理なのかな、分からなかった。

6月末に「小学校」の課題提出も終わり、ひと段落して落ち着いたが、美愛との関係は、彼女との気まずい別れてから、電話もせず、宙に浮いていた。
あれから優樹は、悩んでいた。どうしてあんな行動をとってしまったのか。自分の身勝手さと美愛への思いやりのなさに、我ながら嫌気が差した。

そんな時に、同じ研究室の汐川という同級生と話していたら、結婚を約束している彼女と付き合っていると言う。卒業して故郷の札幌に帰ったら結婚するという。同じ歳なのに、自分と余りに考え方が違うので驚いたが、よく話しを聞くとそこまで考えて行動している汐川に尊敬の念さえ湧いてきた。
「それで良いの?」と尋ねると、「自分には過ぎた彼女だから。」と言う。
それは、自分にとっての美愛も同じだろうと思った。
そうか、これから先、美愛のような娘に出会えるとは限らない。
大体これまで自分の事しか考えてこなかった。先日の件だって、自分の身勝手が原因だし、彼女にすまないと思う気持ちが募ってきた。

取り敢えず、電話で謝ろうと、思い切って公衆電話から彼女の家に電話を掛けた。
暫くして、電話口に出た彼女は、言葉も少なく、会話は進まなかった。やがて涙声が聞こえてきた。
優樹「ごめんよ、僕がわるかった。」
美愛「….」
優樹「また、会ってくれる?」
美愛「…うん。」

一方美愛には、優樹に言えない事情があった。美愛が今勤めている銀行から内定を貰った時に、念書の提出が内定の条件だった。その念書には、二つの条件があった。一つは結婚したら退職すること。または34歳に成ったら退職すること。
だから美愛にとり、優樹が彼女との付き合いをどのくらい真剣に考えているのか、どうかは彼女の人生を左右する重要な事柄だった。
男女雇用機会均等法が施行されるのは、それから8年後の1986年だった。
若い女性が、一人で生きていくのは、まだまだ大変な時代だった。

だから、優樹と付き合い始めてから、彼が本当に自分のことを大切にしてくれるのか?信頼に足るパートナーに成れるのかを、慎重に見ているところはあった。だから、前回の優樹の態度は、今までの期待を裏切るものであった。
将来の約束も無く、最後の一線を許すつもりは、無かったし、そんな軽い気持ちで、優樹と付き合うつもりも無かった。
正直、このまま、連絡が無ければ、それはそれでしょうがないという気持ちもあった。
そんな時に、優樹からの電話があった。少し気が緩んで、涙ぐんだが、次のデートであの態度を反省してなければ、別れを告げようと思っていた。

次回の待ち合わせは二人の住む場所の中間になる常磐線、取手駅になった。


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