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[恋愛小説]1992年のクロスロード.../13.東京カテドラル聖マリア大聖堂

東京カテドラル聖マリア大聖堂
設計 丹下健三 施工 大成建設 1964年(昭39)  東京都文京区
1962年前川国男、谷口吉郎、丹下健三の3人による指名コンペの結果、当選案が実施にうつされたものである。他の2案は共にボックス型の空間を教会建築案として提出しているが、象徴的な空間をより強く求められる宗教建築案としては、丹下案が抜群であった。丹下はこの教会にHPシェル構法と、ステンレスを採用しているが、これほど大量のステンレスを素材として使ったことは、はじめてであった。内部はRC打放しを露出させることによって、従来の教会には見られない荒々しいダイナミックな上昇空間をつくりだしている。それ故に一般信者にとっては賛否両論に分かれるのも当然といえる空間である。(近江栄)

日本近代建築史再考   虚構の崩壊 新建築社 昭和50年刊より

登場人物

福山雅弥 : 設計事務所 つくば分室長、33歳
高峰由佳 : システムキッチン会社 コーディネート25歳
松山健一 :ゼネコン勤務 由佳の婚約者26歳
幸田幸子 : 家具デザイナー 雅弥の婚約者32歳
川崎直子 : CADオペレーター 雅弥のスタッフ21歳
柴 浩一  :設計補助 雅弥のスタッフ25歳
藤木昌 :雅弥の事務所の東京本店の所長 
福山惣平:雅弥の父
福山千鶴:雅弥の母
福山一郎:不動産会社 経営、雅弥の兄
高峰好哉 :由佳の父
高峰妙子 :由佳の母
清田徹 :TX大学 第一学群 雅弥の友人
宮本靖  :雅弥の高校の友人
幸田竜也 :幸子の父親、家具会社の社長
坂本亜希子 :システムキッチン会社 係長 由佳の上司


結婚式も、準備で色々な問題?があった。

当然親からは神社で式、地元ホテルで披露宴という話があったが由佳には、その点も拘りがあった。

雅弥は、特に希望はなかったが、由佳の希望では本格的にチャペルでウェディングドレスでという。

それも、結婚式場の偽物くさいのではなく、正式に教会でやりたいという。

雅弥は驚いた。

更に、挙げたい教会は決まっているという、聞くと目白の東京カテドラル聖マリア大聖堂だという。

由佳「だって日本で一番式を挙げたいと言ったら、聖マリア大聖堂しかないじゃない、だって世界の丹下が設計した傑作よ。他にあれより良い教会ある..。有ったら教えて」

雅弥「イヤ、無いけど…」

由佳「そうでしょ、決まりね。毎週ミサに通うわよ」

どうも、結婚式とかウエディングドレスとかの話になると、人が変わった様に、強気というか、強引に押し倒しても自分の意見を通す、最近この由佳の性格を知った。

やはり、あの魅力的な笑顔や蠱惑的なボディの中には、強靱な意志が有った。

雅弥はこの時点で、そういう由佳の怖さをもっと自覚すべきで有った。

あの 世界のタンゲ が設計したあれである。

教会に聞いたら、まず1週間毎日にミサに出ての洗礼を受けることが、前提条件だという。(今では1年間、日曜日毎ミサに出て、1年後の復活徹夜祭に洗礼となっている)
それならということで、由佳と雅弥は1週間、カテドラルへミサを受けに通うことになった。

披露宴については、つくばセンタービルの式場での披露宴となった。これについては、由佳から特別、注文が無かったので、皆は安堵した。

挙式は10月10日(日曜日)、目白 東京カテドラル聖マリア大聖堂で。

披露宴は17日日曜日、つくば センタービル披露宴会場で、つつがなく行われた。
これも、由佳から事前に、そこら辺の怪しい結婚式場はダメだと言われていた。だから、ポストモダンの旗手だった磯崎新設計のつくばセンタービルの式場の一択だった。
内覧会に行って、会場のインテリアや照明を見て、そのポストモダン的なデザインにご満悦だった。

ホールへ行くと、由佳が喜んで言った。

由佳「ねっねっ、これモンロー曲線よ」とガラスブロックの出窓のカーブを指さして、喜ぶ由佳を見て、ここにして良かったと思った。これが普通の式場だったら、多分一生嫌みを言われたと思った。

その後は、隣のホテルに泊まって、一線交えたが、さっきの余韻もあり、由佳は積極的だった。

部屋に入るや否や、雅弥の息子を取り出し、咥え上下に揉みしごいた。

十分膨張したのを確認すると、雅弥をベットに仰向けにし、その上に十分潤った彼女の泉を充てて、呑み込んで腰を回しグラウンディングし始めた…。

それは最近の由佳がハマっている動き方だった…。
この頃から、ベットでも攻守が逆転し始めたのだった…。

これが、1993年10月の出来事だった。

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