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「教授」の思い出 その2 「教授」その人

未だに不思議なのは、「教授」は自分からの遊びの誘いを一度も断らなかったことです。
いつも快く受けて一緒に出かけてくれていたこと。確かにリタイヤ生活で仕事もそれほどしていなかったのだが…。
普通はまたかよ~と、断ることもありますよね。
それが唯の一度も無かった。

Aalto「今度の水曜日に、房総半島ツーリングしましょうよ」

教授「いいよ、アハハ」

と、闘病生活に入る前までそんなやり取りで、二人で色々な所へ行きました。勿論教授は愛車ボルボS60Rで自分もV40です。大体待ち合わせ場所は、峠や山の駐車場で、先に付いた自分が待っていると、あの独特な排気音を周囲の山に響かせて、教授が来るわけです。
教授「いやー、下道で来たら2時間かかっちゃったよ~」と笑いながら。

だからクルマの事で相談をすると親身に色々と考えてくれたりとか、世話を焼き、知人を紹介してくれたりとか。
一番印象に残っているのは、ドラテクについて相談した時のこと。その時は、晩秋に蓼科でボルボ仲間とツーリングすることになっていて、その下見に埼玉・長野の峠道で教授の運転で、ハンドリングやブレーキングを懇切丁寧に教えてくれる訳です。「教授」というアダ名はそれから来ています。教授の元々のHNは「XX暴走」でしたからね。流石にそのHNを口にするのも憚れる場面もあり、「教授」と呼んでいました。
で、その時のやり取りが短い動画に残っているので、再度見たら

教授「コーナーに入ったら、スパッとBペダルを離すんじゃなくて、こういう風に残してコーナを曲がるんです。」
Aalto「ああ、そうなんですね」

その時 2014晩夏 蓼科ツーリングの下見で十石峠展望台にて


と、丁寧に実技付きで教えてくれる訳です。まー、この歳になって聞く方もどうかですが…。ちょほほ。
こんな感じで、一相談すると三、四は返事が返ってきます。本当に面倒見が良い方でした。そういう人なんです。

上の画像は2014年5月10日 野田のハイコに行った時のもの。愛車のS60Rと。

その1 追悼
その2 「教授」その人
その3 峠
その4 ドライビング…。
その5 イタリアンシェフ
その6 人間の奥が深い
その7 晩秋蓼科ツーリング
その8 いつか

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