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[恋愛小説] 1974年の早春ノート...10/雨のステーション

優は八王子駅の北口に立っていた。今改札口で泉を見送ってきたところだ。

さっきまでどんより曇っていたが、とうとう春先の冷たい雨が降ってきた。

傘は無い。

3月に水戸で泉にあってから、彼女からの連絡が無かった。

八王子で下宿探しや引っ越しで忙しく、ドタバタと南柏から八王子へ引っ越した。

いざ八王子に来てみると、その田舎ぶりは、想像以上だった。

優の実家の周りと変わらない、いやそれ以上の田舎だった。

駅からバスで30分も掛かる、途中の浅川という橋を渡るとき、向こうに丹沢山系を見て、驚いた。

まるで信州の山奥にでも来たようにさえ思えた。

都落ちという、言葉が思い当たる、そんな失望感で一杯だった。

こんなことなら、もう少し頑張って地元の国立の工学部にでも入っていればとか、私大の情報工学だったら入れたのにとか、今更な事ばかり考えていた。
確かに建築学科の偏差値は、情報工学系よりも高く、そちらを選んでいれば、都内だったのにと、今更ながら後悔した。

そして入学式の前日に泉が八王子へ来るという連絡があった。

朝早く、勝田から電車で来るという、10時半に八王子駅で待ち合わせとなった。

改札口の奥から歩いてくる泉は、いつもの通り綺麗だったし、更に大人の雰囲気さえ身に纏っていた。

優「おはよう、遠かった?」

泉「うん、やっぱり遠かった。」

優「何時まで居られるの?」

泉「3時頃帰る。」

優「あー、そう..。」ふたりの会話にも元気がない。

駅北口からぶらぶら歩いて、西の放射線商店街の方へ行く。

優は先日来たばかりで、土地勘も無く。適当な喫茶店に入る。

優「来たばかりの町で、全然分からないから、ごめんね。」

泉「いいの。ゆーちゃんがこれから暮らす街を少しでも見たかっただけだから…。」

優「荒井由実の実家の呉服屋が通りにあるよ。」

泉「へー、凄い。」

優「この先に、浅川という川があり、歌詞の中に出てくるらしい。」

泉「そう言えば、あの駅も出てくるらしいわよ。雨のステーションって曲。」当時の八王子駅は平屋の木造で、春先に成ると軒先をツバメがかすめ飛んでいた。あの歌の歌詞のそのままに。

優「恋人を駅前で待つ、悲しい歌だね。」

泉「そう、あのCOBALT HOURってアルバム聴いた?」

優「去年、友達の下宿で聴かされた。」

泉「でも ひこうき雲は、名盤になるわよね。」

優樹「もう一度、一緒に聴きたいね。」

泉「….。」

泉「ゆーちゃん、と居るとやっぱり楽しい…。」

優「一緒に居れば、良いじゃない。」

泉「でも…なんで、八王子なの?もっと近いところにならなかったの?私のこと、本当に考えた?..」と、そこまで言うと、泉の目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれてきた。
ハンカチを取り出し、拭う泉。

優「…..。」返す言葉が見当たらなかった。

しばらく、続く沈黙。

優「浅川に行ってみようか。」

泉「うん。」

ふたり店を出て、桑並木大通りの歩道を浅川の方へ歩いていく。

泉「こうやって歩いていると、水戸の大通りを歩いた時を思い出すわ。」

優「ああ、懐かしいね。」

泉「どうこの街で暮らせそう?」

優「2年間だから、我慢するよ。」

泉「2年か…。」

優「2年すれば、都内へ行くから、それまで待てない?」

泉「…。」

優「泉は来年就職どうするの?」

泉「来月から教育実習で水戸の保育園に行くけど、多分水戸だと思う。」

優「大学出たら、水戸の事務所へ就職するよ。」

泉「そんな4年も先のこと、分からないでしょ。」

優「そうだけど。」

泉「ゆーちゃん、変わった。そんな軽い約束する人じゃ無かったのに。」

優は泉の怒りが相当深いことにようやく気が付いた。

それからふたり黙って歩いた。

やがて正面に河原が見えてきた。

橋の上で、ふたり西に広がっている丹沢山系を見てる。

泉「ここか、ユーミンの歌に出てくる河原は。」

優「何か感じるね。」

泉「何を?」

優「言葉では言えないが。」

泉「これからユーミンの歌聴くと、ここを思い出すだろうな。」

その言葉の後に、ここと優を思い出す、と言っていたような気がした。

それが、1976年4月の出来事だった。


ご拝読ありがとうございます。これで、[恋愛小説] 1974年の早春ノート 第1部を脱稿いたします。
今後の掲載予定は下記の通りです。

第2部
1.    誰のために生きるのか?^7/14
2.    新たな道^7/15
3.    湖畔の家^7/16
4.    エンゲージリング^7/17
5.    四人の盛夏^7/18
6.    跡取りの苦悩^7/19
7.    婚約^7/20
8.    突然の知らせ^7/21
9.    急いだ結婚式と長い披露宴^7/22
10.  葬儀と住人講^7/23

第3部..
1.    新しい当主^7/24
2.    ゼネコンと現地…^7/25
3.    初夏の北海道 その1 ^7/26
4.    初夏の北海道 その2 ^7/27
5.    再生 湖畔の家 ^7/28
6.    疑惑 ^7/20
7.    愛の奴隷^7/30
8.    起業^7/31
9.    明かされた事情^8/1
10.  家を継ぐ^8/2




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