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aalto yuki
2024年4月10日 06:59
新しい家は、戦後開拓農家が入植して開発された地域にある麦畑や梨畑の真ん中に建てられた。そこには、新光開拓通りと呼ばれる道が旧水戸街道の宿場から南南東の方向に伸び、私達が通う小学校を経由し、常磐線の小さな駅とその駅前商店街へと続いていた。その地域は新治(にいはり)台地と呼ばれ、そのため畑や果樹園が多かったが、少ない低地には水田もあり、そこへ農業用水路が繋がり、そこに霞ヶ浦から機上で揚水した豊富な