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「迷惑」って何だろう

TBS RADIO Podcast「荻上チキ・Session」をよく聴いています。その2023年10月20日放送で「永井玲衣さんと語る〜迷惑とは何か~哲学対話から考える」というのがあり、面白かったのですがそのときドタバタしていたので、後で聞こうと保存だけしていました。二ヶ月経ち、ようやく落ち着いて改めて聴いたところ、やっぱりいろいろ考えさせられたので、以下保存用にまとめておきます。
項目別にまとめたので順序はバラバラです。話し手は永井玲衣さん(以下永井)、荻上チキさん(以下チキ)、南部広美さん(以下南部)。(間違っていたらすみません。)

<定義について:迷惑とは?>
・心をざわつかせること(チキ)
・心の邪魔をすること(南部)
・「邪魔をする」と考える人は多いようだが「害を与える」とまでは言われない(永井)
・「迷惑な行為」とは「非常識な行為」(リスナー)
・大辞林のアプリには「どうしたらよいかと途方に暮れること」とあった(リスナー)
 -もともとはこういう意味だったらしい。それがのちに「不利益を被る」という意味になっていったようだ(永井)

<分類について:迷惑のいろいろ>
・ストーカー行為や声かけなどは迷惑行為といわれるが、迷惑というレベルを超えている場合もある(チキ)
・反対に必要な迷惑もある。突然倒れて隣の人に助けを求める場合、隣の人はあまり迷惑とは思わないだろう(チキ)
・だが助け合う場としても、例えば緊急停止ボタンを押されると「なんだよ、迷惑だな」と思うように、大人数になると迷惑になる(チキ)
・「迷惑施設」というのもある。住宅街の中の保育所や処理施設など(南部)
 -社会には必要だけど近くにあると迷惑な施設は「NIMBY」と呼ばれている(チキ)
・先日日本に帰国するときエールフランス航空を利用したが、着陸するとき他の機体がいたとかで再び高度を上げたことがあった。アテンダントは明らかに不快そうにフランス語でアナウンスしていたが、後の日本語での案内では「ご迷惑をおかけして申し訳ございません」と言っていた。迷惑は国や文化によっても違う(チキ)
・迷惑の範囲は人によって違う。「かけてよい迷惑」と「やっちゃいけない迷惑」。「匿名の誰かからの迷惑」と「身近な誰かからの迷惑」。迷惑はいろいろ区分できそう(チキ)

<展開:迷惑を考える>
・私たちは「迷惑をかけてはいけない」と言われて育つ。ゆえに「迷惑は悪いこと、してはいけないこと」と刷り込まれている(永井)
・「心に邪魔をする」だけなのに、なぜこんなに力をもっているのか?(永井)
・「こんなことしたら誰かに迷惑だろ」と言われるが、それを言っている本人が迷惑を被っているわけではない。迷惑をかけられることよりも、迷惑行為という現象を嫌っているのでは(永井)
 -迷惑をかけちゃいけないと思えば思うほど孤立し孤独になる(南部)
・心がざわつく理由は、誰がどういう理由で不快に思っているのかわからないのに、人に悪いことをした気分になるからではないか(リスナー)
 -迷惑には主語がない(チキ)
 -他人を「迷惑だ」と糾弾することで、自分が多数派であるようなパワーポジションを確保しているのでは(南部)
・迷惑の範囲は人それぞれなのに、人それぞれだということを考えずに「迷惑」という言葉をマジックワードのように(錦の御旗のように)使っている(永井)
・私たちは干渉されることによって生きている。ケアはある意味干渉なので、お互いにとって邪魔でもある(チキ)
・迷惑の対義語、「迷惑でない状態」にあたる言葉を考えているが、思い浮かばない(永井)


なるほどー、といちいち考えさせられました。その後考えて、自分としては迷惑を次のように定義するのがよいのではないか、と思いました。
「迷惑とは、ある目的をもって行動しているとき、または状態の維持を望んでいるとき、他人の全く無意図の行動によって阻害され、不快に思うこと」
類義語は「邪魔」で、上の定義の「全く無意図の行動によって」が「意図的な行動によって」に変えたのが「邪魔」の定義かなと思います。
そして永井さんの問い:迷惑の対義語ですが、私は「感謝」かな、と思っています。

「人は迷惑をかけあって生きている」と言われます。でもそれを口にしている人が迷惑行為をしているのをみて「迷惑をかけて何が悪い」と開き直っている気がして、ちょっと違うんじゃないかと思いました。ですが、自分も迷惑をかけない存在でいようと強く思いすぎているような気がします。
意図的に迷惑をかけるかどうかは別として、チキさんの言うように「私たちは干渉されることによって生きている」のですから、「迷惑をかけているんじゃないか」とあまりオドオドするのではなく、感謝して毎日を過ごす方がよいのかなと思っています。

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