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トランプ再来前夜と戦前

2024年2月現在、アメリカでは再びトランプ氏が大統領候補に有力視されているようですね。かつて大統領を4年務めたのち現在のバイデン大統領に変わったので、「選挙制度に問題があってたまたまなっただけだったのだろう」「彼が大統領になったのは事故のようなものだ」と、少なくとも私はそう思っていました。ところが再び大統領になるらしいとなると、「事故のようなもの」では済まなくなってきました。
なぜトランプ氏のような常識外れの人物が支持されているのか、アメリカ人の考えていることちゃあわからんな、と考えることを諦めてしまいますが、こうなんじゃないか、ということを私なりに書いてみたいと思います。

事実は「不都合な真実」より奇なり?

ずいぶん前に(2007年)前副大統領アル・ゴア氏によるドキュメンタリー映画「不都合な真実」(原題:An Inconvenient Truth、直訳コンビニエンスでない真実、「不便な真実」の方が訳として適切?)が少し話題になりました。日本ではレイチェル・カーソンの「沈黙の春」と同様に環境問題を告発するものとして受け入れられたようですが、どうもアメリカ人、特にトランプ氏周辺は文字通り「そんな真実は不都合だ」として受け入れなかったようです。
即ち「信じたくない」「信じたいものを信じたい」という思いをもつ人たちに対して「環境問題なんてウソだ」と声高に言ってくれる人がいる、それがトランプ氏ではないかと思います。

我々日本人は笑うでしょう。「いや、信じたくないという気持ちは百歩譲ってわかったとしても、事実は事実なんだから受け入れなきゃダメでしょ」と。ですが忘れてはいけないのは、アメリカは大部分がキリスト教信者の国ということです。「いやいや、キリスト教の国といっても何となく週末に教会にいく程度で(日本のように)習慣や風習でやってるだけでしょ。その証拠にアメリカの科学者を見てみろ。日本と変わらないじゃないか。」確かに科学者は概ねそのようですが、だからといって一般の人も科学者と同じ認識をもっているとは限りません。ましてやトランプ氏はキリスト教福音派の信者です。事実より宗教を重んじます。福音派とは近年勢力を拡大している極右派です。「信じたいものを信じたい」、それに応えてくれるのが宗教であり、極右派、福音派です。

ポスト真実

トランプ氏が大統領になった頃、「ポスト真実」という言葉が出現しました。間もなく姿を消しましたが、どういう意味だったのか私にはよくわかりませんでした。でも改めて考えてみて、次のような意味ではないかと思っています。
「(環境問題など、)正しいらしいけれど積極的には信じたくない主張に対し、それを否定してくれる主張」と。
「(環境問題などの)正しい主張」を否定することが目的なので、「正しい主張」がなくなれば「ポスト真実」もなくなると思います。白人至上主義なども同様かもしれません。でも事実は事実でなくならないので、「ポスト真実」も存在し続けてしまいます。困ったことです。

「いくら信じたいものを信じていても、事実は事実なんだから、遅かれ早かれ受け入れなくてはいけない、それが大人というものだ」と思うでしょう。しかし「事実よりも信じたい空想の上で生きよう」としているのが今の多くの米国人ではないでしょうか。
「子どもかよ」と唾を吐きたくもなりますが、「信じたい空想の上で生きようとしている」という点で言うと、日本人も70数年前はまさに「戦争に勝つ」という空想の中で生きていただろうと思います。

戦前にあった空想

「戦前」の正体」という書籍では、「戦前」を形作っていたのは別に政府当局の思惑だけではなく、それに呼応した商業主義や熱狂を楽しむ消費者だった、とありました。戦後の自虐史観の下で育った私は、心の中でどこか「戦前」には触れたくないものがあったのですが、この書籍を読んで多くの謎が氷解したかのように感じました。
おそらくナチスドイツも、「ヒトラーに煽(あお)られた独裁政権」というイメージで語られますが、「信じたい空想の上で生きようとしてい」た民衆が熱狂して自ら望んで従っていった結果大きな勢力となったのだろうと思っています。
今思えば私もなぜ自虐史観なんて抱いていたのだろうと思うのですが、今の非常識が過去には常識だったし、日本の非常識はアメリカの常識であることもあります。「信じたいものを信じたい」だったり「信じたい空想の上で生きようとしている」だったりは、外から見ると滑稽だし理解できないものもあるのですが、当事者にとってはそれが「当たり前」なのでしょう。
怖いですし、私も今が「当たり前」と思っているものも間違っているかもしれません。重要なのは、「当たり前」を当たり前として疑わないことこそ問題、ということだと思います。

懸念するのは、日本でも徐々に歴史修正主義が蔓延していることです。「関東大震災で朝鮮人虐殺はなかった」や最近あった群馬県での慰霊碑撤去などです。トランプ氏を非難するのであれば、日本国内での歴史修正主義と思える言動をやめてほしいと思っています。

環境問題との向き合い方

さておきトランプ氏の再来は、米国人にはともかく多くの他国にとって困ったことになると思います。とはいえ信仰を非難することもできません。だからといってその信仰に同調するのもどうかと思います。環境問題についてもトランプ氏は否定するとは思いますが、「日本は事実として受け止めている」と発信することはとても重要と思います(当たり前といえばそうなのですが)。
もっとも、未だ石炭火力に拘(こだわ)る日本は、EUなどからするとアメリカよりも「環境に無配慮な国」となっています。日本は環境問題を事実として受け止めていて環境教育もそれなりに進め効果もあげているだろうに、どうして環境後進国の汚名を拭おうとしないのか。私には日本の方が理解できないように思っています。

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