見出し画像

「建前と本音」について考えた

先日(2022年8月27日)、ダイナミクス・オブ・ダイアログ主催のオンライン哲学対話「“本音と建前”ってなんなのか?」に参加しました。参加後にいろいろ考えたことをまとめます。

ついていけなかった

実は、一人目の方が「そもそも本音ってあるのか」と問いかけたのを皮切りに、けっこう始めからついていけなくなっていました。そのため7~8割方はあっけに取られてただ見守っている形だったと思います。皆さん頭がいいですねー。
ただ、皆さんが当たり前のように前提としていることがあるのではとも思いました。つまり「たいていが建前で接している」「建前で接してくる人の本音を探りたい」「みんな本音で接するべきだ」などという前提です。
オンラインではついていけなかったので、ここでは「建前」を中心に考えたいと思います。そのためオンライン哲学対話では「本音と建前」がテーマでしたが、ブログのタイトルは「建前と本音」にしてあります(あまり変わらない?)。

「建前と本音」の定義

参加後にいろいろ考えて、私は「建前」とは「ある社会に対して自分のキャラクター(性格)を示し行動すること」と定義づけられるのでは、と思いました。それに対して「本音」を「建前に対する自分の意見・意思」とします。
ちょっとトリッキーでしょうか。でもこう定義すれば「本音はあるのか」「本音とは何か」という難題をひとまず置くことができるかと思います。

このとき「建前」はまるで“海の上”で互いの交流をしているような形かと思います。それに対し「本音」は“海の下”にあってよく見えません。でもよく見れば見えなくはありません。“海の底”にある「本音」には高低差がある気がします。
これを図にするとこんな感じです。

比喩的に「建前」と「本音」を図にしてみると

「建前」は空間によってほとんど意図的に変えていると思います。
例えば私たちは仕事に行けば仕事の顔を、友人といるときはそれに応じた顔をしています。顔とは即ち「建前」、演じているキャラクターです。会社にいるときは大人しくしっかり働くけれど、家に帰るとだらけて時間にもル-ズ、という人を想像してみてください。その人は建前を場面によって使い分けていると言えます。ただ特定の空間(例えば会社)にいるときはおよそ同じキャラクター、建前を維持しています。時間(例えば午前中)で変えるわけではありません。
つまりある特定の空間で「こう見られたい」と思って意図的に演じることが「建前」だろうと思います。

それに対して「本音」は、ほとんど無意識に変わっていくように思います。変化するのは同じですが、空間への慣れ具合によっても、また気分によっても、気付かないうちに変化する。上の図で例えれば「高低差が変わる」のではないでしょうか。
「建前」と「本音」とに距離がある、即ち「海の底が深い」ときは、深い海の底は水面からはよく見えないように、他人からは「本音」がどこにあるのかよくわかりません。でも「海の底が浅い」ときは、即ち「建前」と「本音」とにほとんど距離がないときは、よく見えるしよくわかる気がする。そのように思います。

まとめると次の表のようになります。

建前と本音の比較

本音で接するには

このように考えると、「みんな本音で接するべきだ」という意見に対して答えが見えてくるような気がします。つまり建前と本音とにほとんど距離がないようにすればよいんです。
それにはどうするか。仲よくなればよいんです。本音はほとんど無意識に変わっていくので、打ち解ければその分建前と本音との距離が小さくなることでしょう。
「いやいや、仲よくできない相手の本音こそ知りたいんだ」と言われるかもしれません。でも相手は建前で意図的に自分をガードしています。その相手には、あえて本音を探ろうとするのではなく忖度(そんたく)すべきと思います。
「忖度(そんたく)」とは「相手の気持ちを察すること」で、本音はどこかと根掘り葉掘り聞くよりも、こうじゃないかな、ならこうすれば相手は喜ぶんじゃないかなと察し、実行する。違ったり思ったほど相手が喜ばないなら、もう一度考えてリトライする。面倒ですが、急がば回れ、もしかすると案外これが近道かもしれません。

雑感

以上、「建前と本音」について考えました。
オンラインではついていけなかったのでやや短くなりましたが、私もできるだけ本音を話せる関係を築きたいなと思ってはいます。

ただ個人的な感覚ですが、日本の特に成人男性には、過去と比較すると、建前と本音の差はあまりなくなっているんじゃないかとも思います。それだけリラックスした人生を送れているのではないか。
でも一方で、鬱病を発症する人は徐々に増えている気もしますし、鬱病の原因のひとつに建前と本音のギャップがあるとするなら、日本社会もまだまだ寛容ではないかもしれません。
建前と本音の差をできるだけなくした社会になっていくといいなと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?